Q)名曲「ガラス越しに消えた夏」でソロデビューしてから25周年、シャネルズの「ランナウェイ」からは31年になりますが、今、振り返ってみて、この25年をどう感じていらっしゃいますか…?
そうですね。もう四半世紀以上も歌い続けてきていることになるんですよね。1980年に、シャネルズでグループとしてデビューして3年、そのあと、ラッツ&スターとして3年、その後、ソロ活動に入っていったんですけど、やっぱり、グループ時代は、歌い手というよりも、リーダーとしての立ち位置の方が大きかったですね。どちらかというと、プロデューサー的に「このグループをどうしていこうか」ってことを常に頭の中で考えていて、なかなか、歌のスキルを磨くということが出来なかったように思います。ソロになってからは、ヴォーカリストとして、いろんな楽曲を自分色に染め上げることができればっていう思いで歌い続けてきました。1年1年が、自分の中でとっても刺激的でもあり、今伝えたい気持ちを1年1年積み重ねてきて25年が経っているっていう感じがしますね。まあ、「あっと言う間」って言うのもなんだけど、人生の半分以上が音楽の時間になっていることは確かだから、本当に、音楽につつまれて生活していることは確かです。
Q)デビューしたころ、30年後の自分、50代の自分をイメージされていましたか?
いやぁ。想像つかなかったですね。考えてもみなかったよね。19歳でシャネルズを結成して、デビューが23歳の時ですから。その時に、50代っていうとめちゃめちゃオジサンと言うか、へたすると当時のウチの父親と同い年だからね(笑)。
Q)デビューした頃は、プロの歌手として歌うことをどういう風に考えていましたか?
デビューするってことそれ自体がとても大きな節目だと感じていましたけど、20代の若者にとっては、今をどれだけ楽しんで、そして、その楽しさをどれだけ多くの人に伝えられるかということしか考えていなかったですね。とにかく、あの頃は、自分たちが楽しいと思うことは、きっと見ている人も楽しいと思ってくれるんじゃないかって、自身満々だったよね。でも、タイムマシンがあるならばね、デビュー当時の自分のところに行って、「お前は30年後も歌っているんだよ!」って、こっそり言ってやりたいよね(笑)。
Q)そうすると、何か変わっていたんですかね?
もうちょっとだけ早めにタバコやめてたかもしれないね(笑)。
Q)タバコをやめられて違いますか?
やめてから、もう10年になるんですけど、全然、違いますね。とにかく、若い頃、20代とか30代のころは、もう勢いで生きていましたからね(笑)。お酒をたくさん飲んでも、次の日に思いっきりステージで汗かいて、夜には、またみんなで楽しいお酒を飲むみたいな、そういう時代だったからね。だから、その頃は、自分の喉とか声帯のこととかって、考えもしなかったんだよね。でも、それをメンテすることによって、自分のボーカリストとしてのビジョンを、5年を10年に延ばすことができるとか、そういうようなことは、40代後半にならないと、わからなかったね。
Q)何かきっかけがあったのですか?
風邪ひいて喉を壊したりしたりしたのがきっかけだったんだけど、意外とね、子供のころから、扁桃腺とか気管支は弱かったんだよね。冬場の乾燥とかがダメで、だから、その時も、すごくケアしてたんだけど、結局、喉がやられちゃって、ステージを延期せざるをえなかったりしたんだよね。そういう風に、喉を悪くして、楽しみにしていた人の時間を台無しにしたりしているのに、それでもタバコ吸っていて「いやぁ、まいったな〜」なんて言ってたら、信頼してついてきてくれているスタッフに対してカッコ悪いなって思ったのね。それからは、出来る範囲のことは自分でやらないといけないなって思いましたね。
Q)これほど長く、第一線で歌い続けることができている理由は何だと思いますか?
やっぱり、あまりにも当たり前すぎることだけど、音楽が好きだってことが第一だよね。何事もそうだと思うんですけど、「好きこそものの上手なれ」って言うように、本当に好きなことであれば、絶対に前に進める、間違いないって思いますね。25年という時間の中には、そりゃ、いいことだけじゃなくて、悪いこともいっぱいあってさ、でも、それも全部、自分が選んだ結果の時間じゃない。自分で見つけて、この道を極めていきたいって気持ちになったのも、こうやって歩んでこれたっていうのも、やっぱり好きだってことと、鈴木雅之の音楽を必要としている人達がいてくれたからこそ。だから続けられるんだよね。
Q)子供のころから、歌手になりたいと思っていらしたのですか?
そうですね、10代の頃から…、もっと言っちゃえば、子供の頃、それこそ、漣健児さんが訳詞したアメリカンポップスを日本語で歌っている歌手の人たちをテレビで見て憧れましたね。それが、人生を支配するくらいのとても大きなものになっていったっていうのは、とても恵まれていると思います。
Q)歌手としてデビューしても、多くの人は、これほど長く続けられなかったりしますが…
たとえば、「音楽の神様」って、オレはいると思ってるわけ。その「音楽の神様」が、チャンスというギフトをふりかけてくれている時に、いかにキャッチできるかって、これ、とても大事なことなんだよね。たとえば、すごいいい音楽やっている人なのに、なんかキャッチできない人って、やっぱりいるんだよね。だから、自分では、いつでもキャッチできるように、自分を常に磨いて、アンテナを張っておかないとって思うんだよね。
Q)どんな時も常に張りつめていないといけないんですね…
そうだね。でも、それが、なぜ出来るのかって言えば、やっぱり根本は「好きだから」ですよ。でも、プロになって歌い始めて、「マーチンさんのこの歌で救われました!」なんていう手紙をもらったりすると、「好きだから」だけじゃあ責任持てないぞっていう気持にもさせられましたね。自分が歌うことで、メッセージを送ることになって、他人の人生さえも救うことができるっていうことの「大きさ」とか「重さ」みたいなものを、音楽は持っているんだって感じたことも、続ける後押しになっていますね。
Q)ところで、シャネルズでのデビュー以来、マーチンさんと言えば、ヒゲとサングラスがトレードマークですが、サングラスにこだわりはあるのですか?
昔、1975年にシャネルズを結成したころ、時代はオールディーズブームだったんだよね。当時サングラスは若者に欠かせないアイテムだったんだけど、あまり売っていなかったんですよ。レイバンが唯一で、それさえも、なかなか手に入らなくて、横須賀のどぶ板通りとかまでわざわざ足を運んで、米軍の払下げのお店とかで買っていましたね。今は、ツアーのたびに作っています。あとは、最近、気に入っているメーカーで「CAZAL(カザール)」っていうのがあるんですけど、そこのビンテージものを使ったりとかね。そこから、自分なりにアレンジして作ってもらったりとかしていますよ。デザイナーの人とかといつもディスカッションしながらね。
Q)サングラスはいくつくらい持っていらっしゃるのですか?
いやぁ、数は数えたことないよね(笑)。衣装とかに合わせて使い分けてるから、そりゃあ、もうかなりな数になるよね。
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