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Q)今年(2013年)の11月で、歌手生活37年目に入られました。最新のオリジナルアルバム「腕の中のスマイル」を35周年記念アルバムとして出されましたが、これまでを振り返って、どういう思いがありますか? うん…、あの…、今回、こういうアルバムを作れたからこそ、私の中では辻褄があった思いです。これを作らなかったかったら、本当に、何かあっても死ぬに死ねない感じですね。 Q)まさに、これまでの集大成ですね… そうですね。私の中で、ポップスとラテンジャズとの両面がありますから、これは、ポップスの面での集大成ですけど、このあとに出したラテンジャズの方「Amor Jazz」と合わせてですね。 Q)このアルバムのために、これまでの35年があった…? いや、そこまで言うと大げさですけど…。でも、いままでのいろいろな仕事の流れの中で出来上がったものや、何回も何回も焼き直しをしたものもあったり、その結果、曲とアレンジが、かなりうまくフィットしていますし、いい状況でできたと思います。以前のような規制もなかったので、自分の思い通りに作ることができました。 Q)2010年に独立されて、個人事務所「Kamome Music」を設立されました。それも、そういう、より自由な環境での音楽制作を求めたからですか? そうですね…、でも大変ですよ。事務所を設立した翌年には100年に一度の不況とまで言われましたし、その後、震災もありましたし…。私の場合、結婚とか出産とかをしていませんから、今までは、音楽だけをやっていれば良かったという幸せな状況でした。でも、現実の足固めと言うか、音楽とはかけ離れた数字的なものとかまで考えなくてはいけなくなりましたからね。 Q)アーティストと代表の二足の草鞋だと、判断が相反することも少なくないと思います…。そんな中でのアルバム制作は、相当大変だったのではないかと思いますが… 私の場合、テレビなどでジャンルを問わずいろんな曲を歌う機会に恵まれてますけど、でも、曲を覚えるだけでも、頭を全て支配されてしまうような状況なのに、一方では、現実と向き合わなければいけない…。そんな中でのアルバムのレコーディングだったんですけど、これまでとは違って、今までになかった数字的なものからくることで、やっぱり、力の入れどころとか、力の入り方が違ってきますよね。大変でしたけど、でも、完成した時の充実感はこの上ないですよね。 Q)35周年記念アルバム「腕の中のスマイル」のコンセプトを教えてください… ちょっと話はそれるかもしれませんが…、震災後、被災地にお金を送ったりしてたんですけど、それが、どこでどういう風に使われているのかが見えないと思っていたんですね。それで、「私が今、ここでやるべきことは何なんだろう?」ってことを考えて、それだったら、本物の音を聴かせたい…、と思ったんです。 Q)「かもめが翔んだ日」「歌って歌って恋をして」のオリジナル2曲に加え、カバー曲で「Smile」「Amazing Grace」「展覧会の絵」と、フルオーケストラで録音された曲が5曲も入った、すごく贅沢なアルバムです… アルバムを作る時に、まず金銭的なことを考えてしまうと、とっても夢がなくなってしまいますよね…。コストを下げることはできますけど、機械で全部打ちこんで作る音ではなくて、本物の楽器の音で録りたかったんです。やっぱり、こういう時だからこそ、手弁当さげてでもシンフォニーだと…。被災地の方々をはじめ、みんなに元気になってもらうには、「1羽ではなく100羽でも飛ばそうじゃないか!」という思いで、それで最初に「かめもが翔んだ日」のシンフォニーを入れてドカーンといったんですね。 Q)以前にも、オーケストラとやってらっしゃいます… 2年前、サンクトペテルブルクに日ロ友好で行った時に、あちらのシンフォニーの方々と、ムソルグスキーをやることができたんです。 Q)今回のアルバムにも収録されている「展覧会の絵」ですか? はい、そうなんです。私が高校生の時に、ELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)の「展覧会の絵」を聴いて、ショックなくらいステキだと思ったんです。でも、ピアノは難しくて弾けないわ…、じゃあ、歌うことくらいで出来ないかしら…っていうのがきっかけで歌いだしたんです。私の「私の展覧会」って歌もあるんですけど、それにすごく感化されて作った曲なんです。「展覧会の絵」には到底およばないですけどね。でも、「展覧会の絵」を初めて聴いてから何十年もたって、少しくらい人生もわかってきて、それをロシアでシンフォニーで歌う機会ができて…、それをどうにか形に残したいと思って「やっぱりシンフォニーでしょう!」ってことになりました。 Q)でも、オーケストラはお金がかかりますよね… そうなんですよ〜! オーケストラの1日借り切りって大変じゃないですか、70名ですからね。今回、オーケストラの編曲と指揮をしていただいた藤野浩一さんに相談したら、「まっちゃん…、1日で出来ないことはないけど、せっかく良いものを残すんであれば、ここまでやるんだったら、付け焼刃にならないように日数を増やして丁寧にやったらどう?」って言われた時には、結構うなりましたけどね(笑)。 Q)そうですね…、オケだけじゃなくて、スタジオ代もかかりますからね… 藤野さんにそう言われて、最初は「えーっ!」って思ったんですけど、でも、藤野さんも諸手を挙げて応援してくださったんですよ。彼も「いいものを残したい」って同じ気持があったんですね。「そこまでやるんだったら中途半端にするな!」「いいものを残せ!」という感じで応援してくださったので、「それだったら、もうやっちゃいますよ!」ってことになったんです。でも、このジャケットの中にも書かせてもらったように、本当に清水の舞台から飛び…上る?(笑)くらいの気持でしたね…。 Q)結果的に、素晴らしいものになりましたね… そうですね…。それで、レコーディングが進行して行く中で、一青窈さんからの作曲依頼のお話や、山口百恵さんのトリビュート盤への参加のお話なんかが次々と出てきたんです。一青窈さんは、娘にしてもおかしくない年齢なのに、年代を超えた出会いでしたし、百恵さんは、同郷で年代も同じくらいですし、そういう素晴らしい方々との関わり合いが自然と出てきたんですね。 Q)決意のもとに足を踏み出せば、自然といろいろ集まってくるんですね… そうなんですね〜。今回のアルバムは、そいういう「今の流れ」に「過去からの流れ」もあり、「シンフォニー」もあれば、私の「ホームバンド」だけでやったものもあって…、私のありのまま、今の等身大の全てを表現できましたね。これだけ30何年もやってきて、ここで繕う必要もないし、今更にわかなことをやっても、たかが知れてますからね。だから、自分が今まで積みあげてきたことを信じて、「それをどういう風に出したら、みんなにわかりやすく伝わるのか?」「受け取ってもらえるのか?」ってことを考えて、この形になったんですね。 Q)単純にオーケストラを使えばいい音が録れるとは限りません…。今回、音の良さにビックリしました。オーケストラの鳴りもいいですし、柔らかくて優しいにのこもっていない音質、それぞれのパートがちゃんと聴こえるミックス、リバーブの空気感や奥行き感… わぁ〜うれしい! エンジニアの鈴木英治さんに伝えますね。ナチュラルで清々しい感じですよね〜。 Q)アレンジもいいですね…。感心したのは、「かもめが翔んだ日」が、原曲のアレンジに忠実で、ヒットした昔の印象はそのままに、オーケストラの良さ、オーケストラにしかできない音になっていることです。名曲はアレンジの印象を含めて心に残っているものなので、当時の船山基紀さんの編曲、羽田健太郎さんのピアノの印象を裏切られたくないという気持があります。 そうですね…、35周年記念アルバムも、あの時のヒットソングがあったからこそ、これまでずっと歌ってこれたわけですからね。 Q)歌も、印象は昔のまま、でも、昔よりやわらかくて、のびやかで、深みがあります… ありがとうございます…ほっとしました。10年、20年…と歌い続けてきて、海外にも行ったりして、自然とそなわってきたものがあるんじゃないかなと思います。だから、「それでいいんだと…」そういう自負はありますね。
Q)新曲「愛のゆくえ(いのちのゆくえ)」は、ある程度、歳を重ねないと出来てこないし、歌えない歌なのではないかと思いますが、この曲は、どういう想いで作られたのですか? これは、2年半くらい前に書き始めた曲なんですけど…、実は、もともと、この曲のイメージをつかんだきっかけは、岩崎宏美さんなんです。彼女は離婚されたりして、子供たちと離れて暮らしたりしていた時代があって、彼女の子供たちを想う気持がとてもよく伝わってきたんです。その宏美ちゃんの気持を表すとしたら、どういう言葉で表わしたらいいか…ってずっと考えていましたね。子供の最後まで見届けたい…くらいな愛情の迫力を感じたんです。 Q)完成までには、かなり時間がかかったのですか? 宏美ちゃんからも、「真知子ちゃん、いつか書いてね…」ってずっと言われてたんですけど、「安易なものは書けないな…」っていう思いもありましたし、事務所の独立もあったりして…。そしたら、震災は起きるわ、中学の時の友達は亡くなるわで、もともと作りかけていた「愛のゆくえ」が、どんどん大きなものになっていったんです。もともとあった母性の愛の中に、いろんな命が入っていっちゃったんですね。 Q)とても大きいテーマの歌です… 「これラブソングなのかな?」って最初は思うけど、聴いていくと「あれっ?」っていう感じになりますよね。「時代を超えて 今、癒えない痛みも知った…」っていう歌詞で、そこまでとは全く違った絵になるじゃないですか。「時間の経過をどういう風に出すのか…」ってことを考えながら、やさしい言葉で書いたと思うんですけど、それだけに、かなりきつかったですね〜。何回も頭の中で練り直して作りなおしました。 Q)いつも歌詞は何度も書き直されるのですか… あの…、若い頃に作ったラブソングっていうのは、だいたい締切があったので、おしりたたかれてってことだったんですけど…(笑)、今回は、お金のこととか、いろんなことを学びながらでしたけど、なにしろ、私が曲を作らないことには、アルバムの青写真も進んでいかないってこともわかっていたので、「どうにかしなきゃならない!」「ねばならない!」って感じで、ヒマさえあれば考えてました。 Q)メロディもメジャーキーで、歌声の響きも明るいから、だからこそ、より言葉が直接心に響いてくる気がします… うん、だから、そこらへんは、一番最初の岩崎さんの子供に対する思いが入ってるんでしょうね。自分も、こういう、いい年齢になってきて、お客様の中には私よりもご年配の方もいらっしゃいますけど、私よりも若い方もいらっしゃいますから、そういう人を包んであげるような気持で、優しく歌おうという意識がはたらいたんじゃないかとは思いますね。 Q)「愛のゆくえ」は、BS朝日のドキュメンタリー番組「昭和偉人伝」のエンディングテーマ曲にもなっていますが、番組にピッタリの曲ですね… そうなんですよ〜、「昭和偉人伝」ですからね〜、もう、「やったぁ〜!」って感じでした。光栄の至りですね。だって、1回目が松下幸之助さんですよ。もう思い残すことはないくらい(笑)、本当に幸せですね…。 Q)スターダストレビューの根本要さんとのデュエット曲「腕の中のスマイル」は、もともとは、尾崎紀世彦さんとのデュエット曲として作られたと聞きましたが… はい。まさか、尾崎さんが亡くなるなんて思いもよらなかったですね。尾崎さんて、印象が濃いじゃないですか…、だから亡くなってもまだ「うそぉ〜」って感じがありますね。信じたくもないしね…。 Q)歌詞は書き直されたのですか…? 要さんが承知してくれて、詞はほとんど書き直しました。ただ、「タテガミを失くしても 君を守りたい…」ってところは、最初からあったんですよ。どうしても尾崎さんのイメージがライオンで、「歌の百獣の王」っていう感じがしてて、だから「自分を失くしても守りたい」という意味で、尾崎さんなら、それはタテガミだろうと…(笑)。そこからこの歌詞が出来たんですけど、要さんも、やんちゃな感じなんで、この人だったら「髪を振り乱して守るぞ!」って感じでイメージできたので、そのまま残しました。 Q)歌うと、とてもメロディが難しい曲じゃないですか? そうですか…? でも…、たしかに、ブレスするところが、あんまりないんですよね…。もしかしたら、要さんが最初に聴いた時、「お前、オレいくつだと思ってるんだ!オレ殺す気か!」って思ったかもしれませんけどね(笑)。 Q)要さんのパートは、高い音ばかりだし、音の動きも激しいです… 彼は出だしのところを、「うつ くし い もの は」って2音づつで歌ってますよね。でも、それが、彼だから許せちゃうみたいな…、いとおしくなっちゃうような感じがありますね〜。そもそも、彼の声が女性のキーなんですよね。11月15日の私のソロコンサートで、初めてライブで一緒に歌わせていただいた時も、「え〜っ、そこまでいくの〜?」ってところまで高い音が出ちゃいますからね(笑)。その時、スタレビの「木蘭の涙」も歌ってくれたんですけど、それを聴いてても思いましたね。 Q)「美しいほど罪だよね 残酷だよね…」「本当の強さは 強いほど やさしさが違う…」詞もいいです… きっかけは震災のことなんですけど、女性に置き換えてもいいんです。「腕の中のスマイル」が、最後には「母性」というか「新しく生まれた命、赤ちゃんのスマイル」になってゆくというようなことも、彷彿とさせるような詞にしたつもりです。 Q)1978年のサードシングル「ブルー」が、今季あのアルバムにはアカペラ・バージョンになって入っていますが、オーバーダビング(多重録音)でコーラスパートも全て真知子さん一人でやられているそうですね… この多重録音のコーラス(オケ)は、実は、40代前半くらいに録ってあったものなんです。そのオケに、歌を入れ直しました。ずっと前から、「自分の声だけでやってみたい…」という思いはあって、その当時、バンマスだった光田健一さんに相談して、クリスマスのディナーショーでやるために、アレンジしてもらって、録音したんです。今から10年以上前ですので、体力もあったし、夜を徹して一晩で作りました。 Q)とても凝った複雑なコーラスアレンジですが、バックコーラスは何パートくらい入っているんですか? え〜っ…、とにかくすごい数です…。でも、ほとんど1回でOKでした。だから、一晩で出来たんです。光田くんが「倍音がすごく聴こえるってことは、ピッチが正確なんだね…」って言ってくれたのが嬉しかったですね。 Q)ということは、10年前の真知子さんとの共演ですね… はい…そうなんです。 Q)このアカペラアレンジは、「ブルー」という曲が本来持っているイメージによく合っていて、とてもいい雰囲気になっていると思いました。もしかしたら、もとのアレンジよりも良いのかなと…。もちろん、もとのアレンジも歌謡曲として大変よく出来ていると思いますが、これを聴いてしまうと、「こういう曲だったんだ…」とあらためて気付かされる気もします。前のはポップすぎるのかもしれませんね… そうですよね〜。光田くんのコーラスアレンジは、いつ聴いてもステキなんですよ〜。スターダスト・レビューのメンバーでしたし、今も、コーラスグループのアレンジを多数やっています。 Q)一青窈さんの歌詞に曲を付けられた「あたしだって」は、一青窈さんからお願いされたのですか? はい。彼女は、去年、10周年で、その時に「曲を付けてほしい」って言われたんです。それで、4つくらい詞を見せてもらったんですけど、わりと世界観がはっきりしていたので、「こんな感じかな…」って2つくらい選んで曲を作ってみたんです。聴いてもらったら、その中の1曲が「これでお願いします…」ってことになって、すぐ決まったんです。 Q)一青窈さんの歌詞は独特ですから、メロディは付けにくくなかったですか? いや、そんなことないですね〜。まず読んで「やめた やめた やめた」ってところを、どのくらいのテンションにするのか考えましたね。あと、自分も、こういう女性の時がありましたので(笑)。「まかせとけ!」って感じでしたよね(笑)。 Q)言葉がメロディを指定してくるような歌詞ですよね… 最初、マイナーのメロディも何パターンか付けてみたんですけど、やっぱり詞がすごく鋭角にきているので、メロディは引き算でやわらかくしないとって思ったんです。これで、メロディもマイナーにしちゃったら、ドロドロになっちゃっいますからね。だから、聴いてる男の人がみんな「ドッキーン!」ってしちゃうような感じに作らないと…(笑)。 Q)一青窈さんとは、もともとお知り合いだったんですか? いえ、お会いしたことはなかったんですけど…。でも、実は、一青窈さんの「ハナミズキ」を、テレビ番組で大橋純子さんと二人で歌ったことがあるんですよ。それが、母の亡くなった日だったんですね。朝から危篤になって、番組で「ハナミズキ」を歌って、横須賀の病院に駆け付けて1時間後に母は亡くなったんですよ。 Q)忘れられない曲になりますね… 番組で歌うために「ハナミズキ」を覚える期間、その間も母が危なかったので、横須賀へ行き来する車の中で、聴いて歌ったりしていたんです。でも、「君と好きな人が 百年続きますように…」ってあの歌詞を歌う時には涙が出てしまい、何度も路肩にクルマを止めました。その度に、「まだ死んだわけじゃない…」って言い聞かせてね…。 Q)そんなエピソードがあったのですね… そうなんです…。そんな、私にとっては所以のある「ハナミズキ」であり、一青窈さんであったので、20歳も年齢差がありますけど、彼女から「曲を作ってくれ」って依頼された時には、もう考えもしないで「いいですよ〜」って言ってましたね。 Q)そんな風に、突然、お願いしてくる一青窈さんもスゴイですね… それで、「なんで、また私に?」って聞いたら、私の前のアルバム、30周年記念で出した「鴎30〜海からのメッセージ〜」(2007年)を聴いて下さったみたいで、「どの曲を聴いても全部素敵だと思ったから…」って明快な答えをいただきました。もう、それ聞いて、余計に「はいっ、はいっ!」って感じですよね〜(笑)。 Q)「歌って歌って恋をして」は、真知子さんのこれまでの生き様を、そのまま歌われているような歌詞ですね。言葉がよく聞こえてくるメロディ、伝わってくるメロディになっていて、詞と曲のマッチングがとても良い曲です… ありがとうございます。20周年の時のライブ盤「歌祭 〜歌って・歌って・恋をして〜」(1998年)に最初に入れたんですけど、今はもう廃盤になってしまっていますし、当時、アレンジが光田くんだったのを、今回、服部克久さんにリアレンジしてもらった時に、また違った色が見えたので収録しました。 Q)服部克久さんのストリングスアレンジは、いつ何を聴いても本当にすごいですが、「歌って歌って恋をして」のストリングスアレンジも、「これしかない!」って感じで、この曲を盛り上げていますね… ねっ! そうなんですよ〜。薄いピンクの花がふわ〜って咲く感じの…なんだろう…、品のいい感じでね…、先生のオハコですよね。それで、コンサートで、このアレンジで藤野さんが振ってくれたんですけど、その時に、「いや〜、これだけしか音を使ってないんだけど、やっぱりすごいわ〜」ってうなってました。だから、この曲はシンフォニーで入れたかったんです。
BS朝日 毎週水曜日 22:00〜22:54 エンディングテーマ曲「愛(いのち)のゆくえ」
2月5日(水) BS朝日 「日本の名曲 人生歌がある」
2014年1月18日(土) 「渡辺真知子コンサート2014」三重県紀宝町生涯学習センター
2014年1月25日(土) 「めざましクラシックス in もりおか」(盛岡市民文化ホール)ゲスト出演
2014年1月31日(金) 「渡辺真知子Live2014」 名古屋ブルーノート
2014年2月1日(土) 「渡辺真知子Live2014」 ビルボードライブ大阪
2012年 10月 26 日発売 Kamome Music KAMOME-001 ¥3.000(税込)
2013年 1月 25 日発売 Kamome Music KAMOME-002 ¥3.000(税込)
10月23日生まれ、神奈川県横須賀市出身の歌手、シンガーソングライター。1975年、「オルゴールの恋唄」がヤマハポピュラーソングコンテストで特別賞を受賞。1977年、洗足短期大学音楽科を卒業し、同年11月1日「迷い道」でデビュー。「シンガーソングライターはテレビに出演して歌わない」という当時の音楽業界の常識を覆して積極的にブラウン管に登場し大ヒット。続くセカンドシングルの「かもめが翔んだ日」も、日本レコード大賞最優秀新人賞など音楽祭12賞を受賞。その後も「ブルー」「唇よ、熱く君を語れ」「ホールド ミー タイト」など、日本のポップスシーンに残るヒット曲を出す。印象的な歌詞と耳に残るメロディー、抜群の歌唱力で一躍人気アーティストの仲間入りを果たし、その後、その明るいキャラクターもあり、音楽番組以外にも、テレビやCM、映画やドラマなどにも出演。一方、デビューの頃よりコンサート活動を精力的に続けており、 オリジナルはもちろん、ジャズ・ラテン・ロック・クラシックなどジャンルにこだわらず幅広く歌う。近年では、そのライブパフォーマンスが評価され、ブラジル、キューバの日本人移民100周年式典など海外で歌う機会も多い。2011年には、日ロ友好イベントとしてロシア・サンクトペテルブルグにて地元のオーケストラと共演し、 翌2012年には、ロシア大使館でのサマージャズコンサートにも出演。2012年、デビュー35周年記念アルバム「腕の中のスマイル」を発表。2013年には、かっこよく年を重ねている人物におくられる「グッドエイジャー賞」を受賞。
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