Q)高校生の時に「ポプコン」(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に出られていますが、大学は洗足学園の声楽科というクラッシックの方に行かれています…
本当は、あまり行く気はなかったんですね…。母が「やはり今からの時代は女性も働けないといけない…」、だから「何かあった時のために教職免許を…」と言っていて、そのためにピアノを習わせてくれていたっていうこともあったからなんです。

Q)小さい頃からピアノを習っていたのですね…
はい。それで、そのピアノの先生の勧めで、歌の方も習うようになっちゃったんです。おなかの上に、別冊マーガレットをこ〜んなに乗せられて、先生に、その上から座られましたね〜(笑)。

Q)一度、クラッシックの歌い方になってしまうと、なかなかポップスを歌えなかったりしますが…
そうですね、全然歌い方が違いますからね。でも、声楽をやる前に、ポップスを歌っていましたから。それに、ジャンルに関わらず、まず「歌うこと」が大好きだったので、たとえば、「ベルカントはこう出すのか…」とか、学ぶことは嫌いじゃなかったですね。

Q)もともと歌手になりたいと思っていたのですか?
そうですね。子供のころ、気が付いたら歌が好きでしたね。

Q)その頃は、どういう歌を聴いたり、歌ったりしていたのですか?
最初は「鳩ぽっぽ」とかでしたけど、そのあとは歌謡曲ですね。仲宗根美樹さんの「川は流れる」とかを、幼稚園の時に歌ってましたね。それも、ちゃんと歌のシチュエーションを作んないといけないんです…、「レースのカーテンの脇で、涙を浮かべながら歌う…」っていうことを家でやっていましたね(笑)。

Q)幼稚園の頃に、そんなことを考えていたんですか!
そうですね。それがこだわりだったから、よく覚えてるんです。ませてますよね〜。

Q)その後は、おもにどんな音楽を聴いていらしたのですか?
最初は、加山雄三さんです。その次は、もうモンキーズになっちゃいますね。そうですね…、「帰って来たヨッパライ」とかも好きでしたし、あと、兄がギター弾いていて、ベンチャーズやったり、PPMやったりしてましたし、父は父で、田端義夫さんが好きで、そんなのも聴いてましたね…。父は、ひばりさんの「真赤な太陽」を覚えたいから、「歌ってくれ」ってよく言われました。

Q)曲を書き始めたのは、いつ頃だったのえすか?
高校2年生くらいですね…。

Q)じゃあ、曲を書き始めて、すぐにポプコンに出られたんですね?
そうですね〜、その間、1年くらいしかないと思います。小学校5年生くらいまでは、大磯ロングビーチで歌ってるアグネス・チャンさんとか、「わたしの彼は左きき」の麻丘めぐみさんとか、「17才」の南沙織さんとか…彼女たちとかを見てて、「楽しげでいいな〜」「私もこういう歌だったら歌えそうだな〜」って思ってましたね。でも、一方で、自分で歌い甲斐があったのは、弘田三枝子さんの「人形の家」だったりしたんですけど…(笑)。

Q)歌手に憧れたきっかけは、わりとフツ〜ですね…(笑)
小学校の頃、お年玉を3年くらいためて、1万円に満たなかったですけど、それは歌を勉強するために東京へ通うための交通費としてだったんですね。だから、少しは本気だったんですよね、歌い手になるって気持は。そういうアイドルと呼ばれる人たちが出てきて、「すごく可愛いな」って思っていたんですけど、だけど、自分が歌手になるためには「いろいろなものが備わっていないと難しいかな…」とかも思いましたね。それで、鏡を見たりして「なんとなく基本のラインが違うな…」っていうのも、子供ながらに感じていましたね…(笑)。

Q)それで、シンガーソングライターになろうと…?
その後、中学校、高校と、一度は運動の方にも行ったんですけど、バレーボールやってても身長伸びないし…、なんかしっくりこなかったんですね。そんな時に、小坂明子さんが自作自演で出てきたんですよ…「あなた」でね…。それを見た時、「う〜ん…私もピアノ習ってるし、曲を作れば、ありうるかな〜」って思ったんです。こういうニューミュージックで、シンガーソングライターっていう形だとするとあり得るかもってことで、ちょっと作ってみようと思って作りだしたらば、結構、それがトントントン〜っていったんですよね。

Q)曲はすぐに出来たのですか?
最初は苦しかったですけど、一応、1曲、曲になりましたね。その後は、「じゃあ、パターンを変えて作ってみよう」ってことで、1曲1曲増えていった感じです。

Q)当時、ポプコンで歌われた真知子さんのオリジナル曲は、今でも音として残っているのですか?
ポプコンには、合計4回出てるんですけど、2回は譜面で歌い手としてだけで出ていて、あとの2回が自作自演の部で出たんです。その時の「オルゴールの恋唄」とか7曲が『Machiko Premium 1975-1982』に入っていますよ。それこそ、ポプコンでは、中島みゆきさんとか八神純子ちゃんと一緒で、純子ちゃんもよく言ってますけど、当時、二人とも、麦わら帽子をかぶってブルーのコットン着てて、それでピアノの弾き語りだったから、二人の写真が逆に扱われちゃったりしたこともよくあったんですよ。名古屋と横須賀で、お互い全然知らなかったんですけど、偶然にも同じものを選んだっていうのは、何なんでしょうね…?あまりにも似てるから、お互い「あの人誰?」って思ってたみたいですね…(笑)。

Q)その後、ヤマハ時代とかも、八神純子さんとは交流があったのですか?
ヤマハ時代は、そうでもなかったですけど、その後、尾崎亜美さんと3人でくくられてた時期がありましたね…。

 


Q)1977年に「迷い道」でデビューされています。歌い出しの「現在 過去 未来〜」のインパクトが強烈でしたし、その伸びやかな歌声が印象的で大ヒットしました。歌謡曲調でポップですが、かなり凝ったアレンジも新鮮でした。「迷い道」は、何回も歌詞を書きなおされたそうですが、最初は、全然違う歌詞だったのですか?
いえ…、そもそも最初は出来ていなかったんです。「迷い道」のB面になった曲「愛情パズル」をデビュー曲にしようってことになっていたんです。高校2年から大学2年まで、ヤマハで見てもらっていて、ずっと渋谷のエピキュラスに通っていて、早くデビューしたいって思ってたんですけど、なかなかレコードが出なかったんです。その後、ソニーの中曽根さんに出会い、ある時、突然、急に「レコードが出ることになったよ」って言われて、「えええ、いつ?」って聞いたら「暮れあたりかな…」って具体的な日も決まっていて、そうなると、自分の中で急にガーッってテンションが上がったんですよね。「ちょっと待ったぁ!」「これを最初の曲にするわけにはいかない!」って思ったんです。最初の曲は、やっぱり、自分が今後歌っていきたい曲たちの権化みたいなもの…そういうテーマを含んだみたいなものにしたいってね。

Q)それで「迷い道」が出来たのですね…
当時、二十歳くらいで、まだ若いから恋愛のボキャブラリーなんてなくて、それで四苦八苦して出来たのが「迷い道」だったんです。ディレクターに、「ヒットソングとはこうだ」ってことを教えられて、最初にサビだったところを頭にもってきて、「サビはもっとテンションを上げて!」って言われたりしてましたね…。見込んでくれたからだと思うんですけど、まあ〜何度も何度もふるいにかけてくれて、ヒ〜ヒ〜言いながら作りましたね(笑)。でも、そのおかげで、作り方や要領を、教えて頂いたんですね。

Q)横須賀から東京まで電車で何往復もしながら、歌詞を考えたと聞きましたが、何回くらい書き直したのですか?
少しずつ少しずつ書き直して、最終的に東京まで往復したのが16回でした。本当は、10回で終わるはずだったんですけど、「2コーラスじゃ詞が足りない」って言われて3コーラスの構成になったんです。

Q)何度もふるいにかかっているせいか、インパクトがあって無駄のない、計算されつくされた本当に緻密によく出来ている歌詞です。歌い出しの「現在 過去 未来〜」のインパクトもそうですが、2コーラス目の「いかさま占いは続く スペードをハートに…」という個所などは、そのシーンが浮かんできて、せつない女性の気持が伝わってきます…
そうですね…、なんとかうまくいかせたいから、カードを「えいっ!」って替えてしまうんですよね…(笑)。「迷い道」は、今読んでも、そろばんではじいたような歌詞だと思います。

Q)1978年、2枚目のシングルで、これも大ヒットした「かもめが翔んだ日」は、実は、作詞は真知子さんではなく、伊藤アキラさん作詞の曲です。どうしてご自身で書かなかったのですか?
それは…、ディレクターも、「迷い道」の時に「オレだって大変だったんだ〜」って思ったんじゃないですか〜(笑)。あと、思いのほか、「迷い道」がヒットしちゃったっていうのもありましたね。レコード会社の方は3か月後くらいって予定もあって、「2作目は16回も通ってるヒマないぞ!」ってことだったと思います。その間、半分はアイドルみたいな日常の活動も忙しかったですし。

Q)当時は、メロディーを先に書かれていたんですか?
いえ、ケースバイケースですね。「かもめが翔んだ日」は詞が先です。1977年11月1日にデビューして、急に忙しくなって、それで、12月の暮れに会社にあいさつに行った時に、「これどう思う?」って見せてもらったのが「かもめが翔んだ日」の詞だったんです。その時、「たとえば、こういう詞に曲を付けるとしたら、どんなのが付くかな?」ってディレクター聞かれたんですけど、むこうもドキドキですよね(笑)。それで、「かもめが翔んだ かもめが翔んだ あなたは一人で生きられるのね…」を読んだんですけど、最初は「う〜ん…なんだかよくわかんないな〜」って感じでしたね。まだ二十歳でしたから、そんなに冷静になれないですよね。「やだ〜、別れるのやだ〜、一人にしないで〜」ってそいういう感じですから(笑)。


Q)最初の印象ではピンとこなかったのですね…
でも、「それが本音なんだろうな〜」とも思ってたんです。それに、「かもめが翔んだ…」って言葉は、すごく悲しい感じがしてたので、「ここは泣いた感じだけど、でもしみったれたくはない」って思って、「♪かもめ〜が とんだ〜」ってわざとメジャーで歌ってみたんですよね。悲しいから、失恋ソングだから、わざとメジャーで歌ったんですよね。そしたら、「それいいから、今の譜面に書いて!」って言われて…、そんな調子で出来ましたね。

Q)ほとんど、その場で曲が出来たのですね…
そうなんです。でも、後になって、ディレクターが「いいんだけど…、あとちょっと何かが足りないんだよな〜」って言ってきて、それで、最後の最後に、頭の「♪ハーバーライトが 朝日に変る〜」のバース部分を付けたんです。

Q)サードシングルの「ブルー」は、真知子さんご自身の作詞作曲で、4枚目の「たとえば…たとえば」は、また伊藤アキラさんの作詞です。その後、1980年、カネボウ化粧品のCMソングとして大ヒットした7枚目のシングル「唇よ、熱く君を語れ」は、東海林良さん作詞の曲で、初めて、明るい感じの失恋ソングでない曲でした…
あれは、「唇よ、熱く君を語れ」ってカネボウさんの春のキャンペーンのロゴ部分が最初にありましたね。CMソングとして書いたんですけど、最初はマイナーで書いちゃったんです。すると、先方から「春だからもっと軽快な方がいい…」って言われちゃったんですけど、ちょうど、その時ストックしてあった曲で、「今日聴いてもらうためにもってきた曲」の中から、「こんな曲ですか〜?」歌ってみたら、「いいじゃない!」って言われて、しかも、ちょうどサビに「唇よ〜熱く君を語れ〜」って言葉がぴったりはまったんですよね。こういうことって…不思議ですけど、自然と集まってくる時ってありますよね…。

Q)伊藤アキラさん以外にも、三浦徳子さんや、ちあき哲也さんなど、ご自身ではいろんな方の歌詞を歌われていますが、これまで耳にしてきた音楽の中で、とくに好きな作詞家さんは誰でしょう?
そうですね…、私も書いていただきましたけど、あの頃の、康珍化さんとかですかね。スマートでおしゃれですよね。あと、やっぱり、阿久悠さんは別格だと思います。松本隆さんもいいですね。「時の河を渡る船にオールはない…」(「Woman〜Wの悲劇より〜」)って言葉は、なかなか思いつかない言葉かな〜って思いますね。

Q)真知子さんが書かれる詞は、職業作詞家の書くような詞だと思います…。構成やシチュエーションが明確に出来ていて、言葉に無駄がないと思います…
そうですか〜? う〜ん、もしそういう風に思っていただけるんでしたら嬉しいですけど…、きっと、メロディがそれを助けてますね。

Q)メロディが助けている…?
はい。たとえば、昔のコマーシャルソングは、「♪チョッコレイト〜 チョッコレイト〜」とか、一度聴いたら頭から離れないみたいな、頭の中をグルグルするようなキャッチーなフレーズがありましたけど、そういうのは、言葉とメロディがぴったり合わないとだめですよね。ほんのちょっとのずれでもいけない…。私が得意なのはメロディの方かもしれませんけど、そのメロディが詞をひっぱるんですよね…、キャッチーな歌詞を求められるというか…。何か言葉を乗せた時、メロディの方から「まだ考えが浅い…」「もうちょっと詰めてみろ」みたいに言われる感じで書きなおすと、「ぎゅっ」とした言葉になるわけですね。

Q)なるほど…、言葉の意味だけでなく、メロディとのマッチングが大事なんですね…。他にも、何か歌詞を書く時に気を付けていることはありますか?
そうですね…、とにかく、メロディに乗せて歌ってみた時に、理屈抜きに感動できることですかね…。メロディと言葉がバチンと当たってると、嬉しくて泣けますね。



Q)アルバム「Amor Jazz」にも「Volare(ボラーレ)」が入っていますが、ラテン系の曲も、かなり前からよく歌われています。以前からお好きだったのですか?
そうでもないかな…。やっぱり、もともとは、バラードとか歌いあげる方が好きだったかもしれませんけど…。ただ…、苦労って言うほどの苦労はしてないと思いますけど、ちょっと大変な時期もあって…、ボーカルものが少しはじかれてバンドブームになった時があったじゃないですか。それまで自分が注目されていたのに、さーっと引いていった感じで、その流れには太刀打ちできないって思いましたね。その時、はじめて自分の中に、寂しい陰りみたいなものを見つけた時に、朗々と歌って涙を流すものではなくて、逆に、自分をパーンと表現できるもの「悲しい時にはこっちだ!」っていうのを、初めて自分で受け入れたんですね。

Q)それがラテンミュージックだったのですね…
はい。そうしたら、自分の奥底にある性格と、とてもいい形で重なったんです。そこには、一番最初に「迷い道」に託した人間の機微みたいなものもあったんです…。泣き笑いとか…、人って泣いたり笑ったりしている時は時間を感じていないじゃないですか…、一生懸命生きている時ですよね。だから、そういう歌を、時間を忘れてしまうような、その歌の世界に入ってしまうような、そういう歌を歌っていきたいって、その頃思って、それで、ラテンも歌うようになったんです。

Q)ご本人では気付いていなかなかったかもしれませんが、「Volare」とかを歌っている姿を見ると、もともとラテンの血が流れていたような気もしますが…
はい…大いに…(笑)。熱帯JAZZ楽団のカルロス菅野さんと出会っちゃった日には、もう大変ですよ(笑)。

Q)カルロス菅野さんと一緒にやられた、先日のソロコンサートでも、本当に気持よさそうにうたわれていました…
はい、はい。とにかく、ラテン系のコッテリ感てあるじゃないですか、それだと、自分のパワーが素直に出る感じがしますね。

Q)最近、新たに知って面白いと感じた音楽を教えてください…
この前のソロコンサートでピアノを弾いてくれた石塚まみさんの弟さんがフラメンコ歌手で(石塚隆充)、派手ではないですけど、日常をガサガサな声で歌う歌が、とっても良かったですね〜。その時、新沼謙治さんの「津軽恋女」をフラメンコ調で歌ってたんですけど、それは本当にすごいですよ! 同じく感動したラジオディレクターの友達が、なんと J-Waveで、その「津軽恋女」をかけたんです。たぶん、演歌をJ-Waveでかけたのは初めてなんじゃないですかね…、すごい面白いです。

Q)他にも何かありますか…?
そうですね…、最近は、私が、こういう音楽をやっているってことを、見つけてきてくれる方々がいるんですよね。それで、そういう方々の音楽を聴いてみると、なんかわかるんですよね。私自身もそこから何かを得たいという気持になれるような音楽だったりしますね。

Q)真知子さんの一般的なイメージは、「明るくて、元気で、パワフル」、そして「海」と「カモメ」だと思います。「かもめが翔んだ日」は、地元、京急電鉄堀ノ内駅の駅メロにもなっていますし、カモメがチームキャラクターの千葉ロッテマリーンズの応援ソングとして千葉マリンスタジアムの試合で流れていましたし、独立された個人事務所の社名も「カモメ・ミュージック」です。やはり、「カモメ」には特別な思い入れがあるんですね…
う〜ん…やっぱりそうですね…。これだけいろんなものがある中で、なぜか「かもめが翔んだ日」が生まれて、ずっとそれと一緒に生きてきていますもんね…。たとえば、「ローズ」っていうのがベット・ミドラーの代名詞で、「バラを見ればベット・ミドラー…」みたいに、「カモメを見たら渡辺真知子…」って思ってもらえればいいですね…。もし名前を忘れても、「ホラ…あのカモメちゃん…」とかね…(笑)。

Q)真知子さんの歌声は、日本人で他に似ている人がいないように思います…。響きが豊かでパワフル、地声から裏声になったりしても、全音域に渡って音量も音質も変わらず、言葉もよく聴こえてきます…。その声を維持するために、普段から何かやられているのですか?
ないですね〜。発声とかもしてませんし…、特別に気をつけていることとかはないですね〜。やっぱり、歌い続けてきたことじゃないですかね。

Q)あまり気にしない方ですか?
はい。気にしなくても大丈夫な、丈夫な体みたいですね(笑)。もちろん、声帯は肝心なんですけど、歌うためには全身ですからね。それに、もともと、声帯が平均的な日本の女性より大きいみたいですね。高音は、誰でも訓練すれば…締めれば出るんだけど、低音は、声帯の大きさで音域が決まりますからね…、これは頂いちゃったものですよね…。

Q)最近の日本の音楽について、思うことはありますか?
う〜ん…、あの…、ジャンルもそうですけど、かなり出尽くしちゃってるという感じがしますね。だから、たとえば、メロディを、本来自然に行くべき形じゃなくて、わざと違う方向にもっていっちゃってるとか…、そういう風にも感じます。「夜もヒッパレ」に出てた頃に、一番それを感じたんですけど、でも、震災以降は、できるだけみんながすぐに参加できるようなメロディが増えてきた感じがして、ちょっとホッとしました。

Q)時代の大きな流れの中で、ちょっと戻ったような感じですね…
はい…。もともと人間の中にある、心地の良いメロディの流れは変わらないんだと思いますね。それと、歌詞の部分でも、震災以降はメッセージが変わってきましたよね。素直な中でも逞しかったり、一生懸命立ち上がろうとしている感じがあって、抱きしめたくなっちゃうような感じのものも出てきましたね…。

(2013年11月、取材・文:西山 寧)


  【BS朝日「昭和偉人伝」エンディングテーマ】

BS朝日 毎週水曜日 22:00〜22:54
エンディングテーマ曲「愛(いのち)のゆくえ」

  【テレビ】

2月5日(水) BS朝日 「日本の名曲 人生歌がある

  【コンサート・イベント】

2014年1月18日(土) 「渡辺真知子コンサート2014」三重県紀宝町生涯学習センター

2014年1月25日(土) 「めざましクラシックス in もりおか」(盛岡市民文化ホール)ゲスト出演

2014年1月31日(金) 「渡辺真知子Live2014」 名古屋ブルーノート

2014年2月1日(土)  「渡辺真知子Live2014」 ビルボードライブ大阪

  最新スケジュールはコチラ!

アルバムCD 「 腕の中のスマイル 」  

2012年 10月 26 日発売
Kamome Music
KAMOME-001
¥3.000(税込)

<CD収録曲>

01. かもめが翔んだ日
02. 愛(いのち)のゆくえ
03. 腕の中のスマイル
04. ブルー
05. あたしだって


06. SMILE
07. AMAZING GRACE
08. 展覧会の絵
09. 歌って歌って恋をして
10. 横須賀ストーリー
   (ボーナストラック)
 

 
アルバムCD 「 Amor Jazz 」  

2013年 1月 25 日発売
Kamome Music
KAMOME-002
¥3.000(税込)

<CD収録曲>

01. 夢をわたる鳥たち
02. Amar Haciendo El Amor
03. 愛の讃歌
04. Speak Low
05. Como Fue?


06. Volare
07. Summertime
08. Cry Me A River
09. What's New      
10. Here's To Life
  (ボーナストラック)
 


10月23日生まれ、神奈川県横須賀市出身の歌手、シンガーソングライター。1975年、「オルゴールの恋唄」がヤマハポピュラーソングコンテストで特別賞を受賞。1977年、洗足短期大学音楽科を卒業し、同年11月1日「迷い道」でデビュー。「シンガーソングライターはテレビに出演して歌わない」という当時の音楽業界の常識を覆して積極的にブラウン管に登場し大ヒット。続くセカンドシングルの「かもめが翔んだ日」も、日本レコード大賞最優秀新人賞など音楽祭12賞を受賞。その後も「ブルー」「唇よ、熱く君を語れ」「ホールド ミー タイト」など、日本のポップスシーンに残るヒット曲を出す。印象的な歌詞と耳に残るメロディー、抜群の歌唱力で一躍人気アーティストの仲間入りを果たし、その後、その明るいキャラクターもあり、音楽番組以外にも、テレビやCM、映画やドラマなどにも出演。一方、デビューの頃よりコンサート活動を精力的に続けており、 オリジナルはもちろん、ジャズ・ラテン・ロック・クラシックなどジャンルにこだわらず幅広く歌う。近年では、そのライブパフォーマンスが評価され、ブラジル、キューバの日本人移民100周年式典など海外で歌う機会も多い。2011年には、日ロ友好イベントとしてロシア・サンクトペテルブルグにて地元のオーケストラと共演し、 翌2012年には、ロシア大使館でのサマージャズコンサートにも出演。2012年、デビュー35周年記念アルバム「腕の中のスマイル」を発表。2013年には、かっこよく年を重ねている人物におくられる「グッドエイジャー賞」を受賞。

渡辺真知子 オフィシャルサイト
渡辺真知子 オフィシャルブログ

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