言葉の達人

SAKUSHIKA

 達人たちは1曲の詞を書くために、言葉を巧みに操り、その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、その歌は大ヒットした。
「孤独がつらく感じるとき」、「愛することがよくわからなくなったとき」いつも、
勇気と力を与えてくれた…、作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんをゲストにお招きして、毎月、紹介していくこのコーナー。
今回は、「四季の歌」芹洋子、「哀しみ本線日本海」森昌子、「時の流れに身をまかせ」テレサ・テンなど数多くの作詞でお馴染みの「荒木とよひさ」さんをゲストにお迎え致しました。

荒木とよひさ

荒木さんに伺いました。
Q:
作詞家になったきっかけは?
A:
19歳の頃、スキーの事故で病院に2年半入院した時に、ベッドで作った「四季の歌」
が一人歩きしたこと。
Q:
プロ、初作品について
A:
「四季の歌」
Q:
作品を提供したいアーティスト
A:
矢沢永吉、井上陽水etc.
Q:
あまり売れなかったが、私の好きなこの歌
A:
テレサ・テンの「恋人たちの神話」
Q:
なぜ「詩を書くことを選んだか」
A:
それしかなかったから。
Q:
プロの作詞家になりたい人へのアドバイスを
A:
作品はどんどん書いて、惜しがらずにどんどん捨てること。
歌詞を見る 手紙 神野美伽

誰の為でもなく、レコード化を考えたわけでもなく、
ただ自分の為に書いた詩である。

■私の好きなあのフレーズ
「悲しいけれど 少しずつ
 忘れていいよ ボクのこと」

PROFILE

1943年大連生まれ。日大芸術学部在学中より音楽活動を始める。
71年フォークグループ「有限会社荒木組」結成。
72年、ミリオンセラーとなった「四季の歌」(作詞・作曲)で作家デビュー。
20歳代半ばより手がけたCMソングの数は2000曲余りに及ぶ。
同時並行にバンド活動も続ける。
30歳代半ばより、作詞家としての活動に重点を置く。
「哀しみ本線日本海」(作曲:浜圭介、唄:森昌子)で日本作詞大賞優秀作品賞を受賞。
40年間で実に2000を超える歌謡曲を手がけており、多数の受賞暦を誇る。「恋唄綴り」(作曲・唄:堀内孝雄)は、日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞している。
その後の活動はCMソング、歌謡曲、イメージソング、社歌、校歌などの作家活動のみにとどまらず、音楽企画プロデュース、ラジオパーソナリティー、講演、ライヴ活動、ナレーション、エッセイ執筆など多方面で活躍を続けている。2003年、子供時代からの夢であった映画製作に進出を果たす。「いつかA列車(トレイン)に乗って」は、記念すべき監督第1作である。

[CDリリース情報]

二葉百合子

「米つぶの詩」
8/25発売

八代亜紀

「不知火酒」
7/25発売

神野美伽

「手紙」
6/23発売

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