言葉の達人

SAKUSHIKA

 達人たちは1曲の詞を書くために、言葉を巧みに操り、その時代を象徴する言葉を探した。その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、その歌は大ヒットした。
「孤独がつらく感じるとき」、「愛することがよくわからなくなったとき」いつも、勇気と力を与えてくれた…、作詞家は言葉の魔術師である。そんなプロの「作詞家」の皆さんをゲストにお招きして、毎月、紹介していくこのコーナー。
今回は、女優から作詞家に転向し、演じる側からドラマを創る側になり、八代亜紀さん・田川寿美さん等を育て数多くのヒット曲の作詞でお馴染みの「悠木圭子」さんをゲストにお迎え致しました。

悠木圭子

代表作

なみだ恋」「おんなの夢」/八代亜紀
女…ひとり旅」「哀愁港」「海鳴り」/田川寿美
浮雲」/香西かおり
おまえと生きる」/山本譲二
愛愁」/真咲よう子
逢えて…横浜」/五木ひろし
恋勿草」/椎名佐千子
他多数あり

作詞論

私の場合、言葉から入るのではなく、まず主人公の境遇・場所・季節などを設定し、次に聴く人の心に共感してもらえる・・・ドラマそして言葉を考えます。今日から〜明日へと、どんな時にも強く生きてほしい・・・と願いながら。

悠木さんに伺いました。
Q:
作詞家になったきっかけは?
A:
映画、舞台、テレビの掛け持ちのハードなスケジュールで一ヶ月入院。その時に書きためた詩の中からお見舞いに来た同県人の作曲家鈴木淳(現在・夫)が曲をつけレコードになる。
Q:
プロ、初作品について
A:
1969「さよならがこわいの」(小川知子)女優の仕事と両立だったのでプロと言えるかどうか…。
1973「なみだ恋」(八代亜紀)が大ヒットにより作詞家に転向。
Q:
作品を提供したいアーティスト
A:
新人
Q:
あまり売れなかったが、私の好きなこの歌
A:
田川寿美の「ねんねんふるさと」
Q:
なぜ「詩を書くことを選んだか」
A:
いろんな役を演じてる中、自分でドラマを作ってみたくなった。
Q:
プロの作詞家になりたい人へのアドバイスを
A:
人の話を心で受け止め聞いてあげること。
歌詞を見る ともしび 八代亜紀

新国劇の舞台に立っている時、山口県に住んでいた母が危篤と言う知らせを受けながらすぐに帰れず、代役をお願いして帰りましたが、すでに間に合わず白い布が掛けられていました。その時の心境を何時か詩に残して置きたいと思っていましたが、亜紀ちゃんと出逢い、彼女なら分かってくれる、表現出来る…と思い恋人同志に置き換えて書きました。出来上がった詩を亜紀ちゃんに渡した時、ポロポロ泣き出して、レッスン出来ずレコーディングの時も又、涙、涙で大変でした…。

■私の好きなあのフレーズ
「明るく笑って あなたをだまし ただ祈るだけの 私でした」「私の中に生きてるあなた…」

PROFILE

山口県防府市に生まれる。
16才で芸能界入り。「10代の秘密」(藤田佳子の名)で映画女優としてデビュー。
代表作「湯島の白梅」「霧の音」「大奥」など。更にNHK・TV「アラスカ物語」「青い糧」「悪女の手記」TBS芸術祭参加作品「あざのある女」に主演、銀幕のスターとして活躍、また新国劇「宮本武蔵」「人生劇場」などにも出演した

  • アラスカ物語
  • 湯島の白梅
1969年
「さよならがこわいの」(小川知子)で作詞家としてデビュー。「なみだ恋」(八代亜紀)の大ヒットで作詞家に転向「おんなの夢」(八代亜紀)・「ともしび」(八代亜紀)「おまえと生きる」(山本譲二)・浮雲(香西かおり)等がヒット。
1989年
当時13才の田川寿美をスカウト、1992年春「女…ひとり旅」でデビューさせ若手No.1の演歌歌手に育成し、その後1998年「哀愁港」(田川寿美)の大ヒット。
1973年
なみだ恋(八代亜紀)新宿音楽祭 金賞
1998年
哀愁港(田川寿美)日本レコード大賞 優秀作品賞
2001年
海鳴り(田川寿美)日本レコード大賞 金賞・日本作詞大賞 優秀作品賞

■本人についての詳細はこちら…(鈴木淳音楽事務所)

[CDリリース情報]

O's
「あなたとならば」

YICD-71007 ¥3,000(tax in)
2006.02.15 Release
収録曲「恋の迷い子」「今日から明日へ」
(別ペンネームY'keikoで)

●2007年3月(発売予定)
入山アキ子(新人)「溺れ酒」「港町…なみだ雨」

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