そこのフレーズは、完全に渋谷龍太を思い浮かべながら書きました。

―― SUPER BEAVERさんの歌詞はこれまでも人気が高く、それこそ井上苑子さんも「歌詞のよいアーティスト」としてずっと名前を上げてくださっていて。ただその魅力がここ数年で、さらに広く遠くまで伝わっているじゃないですか。よい歌詞であることは変わらないのに、突然バッと大きく人気が上がる理由って何なのでしょうか。

これは難しいなぁ…。おっしゃってくださるように、以前から歌詞の良さはあったのだとすると、より多くのひとに届いたのは外的要因なのかなと思います。タイミングというかね。やっぱりどれだけ素晴らしいものを作っていたとしても、見つからなかったら、ないのと同じじゃないですか。僕も、「曲さえ聴いてもらえればわかる」ってずっと言ってきたけど、曲を聴いてもらうことがいちばん難しくて。活動そのものがひとり、またひとり、とコツコツ届いていって、活動を見つけてもらった結果、歌詞に着目してもらえる機会も増えていったのかなと思います。それは自分たちなりに続けてきたトライが、ちゃんと繋がっている気がして嬉しいですね。

―― 年齢や経験を重ねるにつれて、歌詞に書きたいテーマや価値観の変化などはありますか?

やっぱりありますね。とくに今作『東京』はそうだと思います。ガラッと何かが変わったわけじゃないけれど、視点が増えている感覚。生きれば生きるほど、経験も感情も知っていくから、ひとつのものごとに対して思うことがいろいろあるというか。このアルバムにはいくつか制作の上でキーワードがあって。そのひとつとして自分のなかで、“経年によるポジティブな変化”を伝えていけたらいいなって。

―― 経年によるポジティブな変化、すごく感じました。1曲目「スペシャル」や2曲目「人間」、4曲目「ふらり」など、大人になるおもしろさや“こうするともう少し息がしやすいよ”ということを教えてくれるというか。

まさに「ふらり」なんかは、大人になることで窮屈な気持ちになっているひとがいるとしたら、「変わることでよりよくなれるなら、変わっていいのかもよ」みたいなことを歌として渡せたらと思いつつ書きましたね。自分たちの過去作品でいうと、『27』ってアルバムは「大人」をテーマにしていて。当時はまだ、大人になりたくない概念も少なからずあったし、とりあえず大人が嫌だったところもあるし、嫌なところしか見えてなかった。ともすると嫌なところしか見ないようにしていたのかもしれない。それが少しずつ、「あぁ俺って、この側面しか見てなかったな」って思うようなことが増えてきているんですよ。

―― その変化は突然訪れたわけではなく、年を重ねるにつれ徐々に気づいていくような。

そう、自分が年を重ねることによって、「あぁ大人ってこんなに楽しいんだ」って思えてきた。責任を「負わなきゃいけない」って思っていたけど、「負える嬉しさ」があることを知ったり。自分で決めていい心地よさに気づけたり。いろんなひとたちと出会うなかで、自分たちが大事だと思える価値観が、この数年ずっと増え続けている感じがするんですよね。そういう「人間冥利」が表れているのが、この『東京』というアルバムなんじゃないかな。

―― アルバムタイトルの『東京』というワードには、どのようなイメージからたどり着いたのでしょうか。

アルバムタイトル自体はいちばん最後についたんです。まず「東京」という楽曲があって、どういうアルバムタイトルにしようかとなったとき、メンバーから「『東京』じゃない?」って。この「東京」という楽曲自体も、曲を書きあげて、最後にタイトルをつけたんですね。歌詞のなかに「東京」って単語自体は出てこないんですけど、これにタイトルをつけるならば「東京」かもしれないなって直感的に思ったんですよ。

自分たちにとっては、今日冒頭でお話したような子どもの頃の記憶、いろんな感情の原点、出会い、経験、誰かに渡したい気持ち、そういうすべてのものが生まれた場所が「東京」で。各地でライブをやらせていただいて、帰ってくる場所もやっぱり「東京」で。すごく「生活」そのものを表すような言葉だったんですね。だからこそ、タイトルの「 」のなかには、聴いてくださる方が思い浮かべるものを置いてほしいんです。それは「大阪」かもしれないし、ひとの名前かもしれないし、〇〇中学校かもしれないし。そのひとの生活のいろんな瞬間で、それぞれの曲が響くようなアルバムになったらいいなと思ってこういうタイトルになりましたね。

―― 「東京」=「それぞれの暮らしの中心地」のような意味合いだったんですね。

あとすごく個人的な感覚の変化もあって。「生活」とか「暮らし」って非常に牧歌的なワードじゃないですか。だから20代前半ぐらいの頃は、そういうものは「夢」や「希望」とは別のところにあって、混ざっちゃけないものだと思っていました。だけど、そこって切り離しちゃいけないもので、むしろ「生活」や「暮らし」が基本にあるからこそ、夢に進んでいけるんだよなって、年を重ねるにつれ実感しているんです。だから「東京」ってワードが「生活」や「暮らし」も意味するものであってほしかったし、まったりしたものではなく、厳しくもあり、「それこそがすべてである」ということを表したかったところもあります。

―― たとえば「ふらり」の歌詞には、<一人で食べるより 誰かと食べる方が 美味しいこと そういうのを大事にしたい>というフレーズがあったり。SUPER BEAVERさんの歌詞は“人間として健やか”であるとも感じます。まさに「まずちゃんと暮らそう」というか、衣食住をないがしろにしないというか。

photo_01です。

たしかに健やか! 生活感を出したいわけじゃないけど、価値観のひとつとして大事にしているところなんですよね。あと、そこのフレーズは、完全に渋谷龍太を思い浮かべながら書きました。あのひと、ひとりでご飯を食べるのが嫌いなんですよ。ひとりで食べるってわかった瞬間に、自分のご飯がすごく適当になっちゃう(笑)。基本的に外食が好きで、何を食べるかっていうより、とにかくひとと食べることが好きなひとで。でもその感覚がわかるようになってきたのも、自分のひとつの変化かもしれないなって。

―― なるほど。渋谷さんのリアルな価値観から生まれたフレーズだったんですね。

そうそう。だから説得力があるなと思って。もちろん歌詞の冒頭にあるように、「他に何も要らない」って口にしていたときもあると思うし、それぐらい貪欲でありたい気持ちを今でも持っていていいと思うんですよ。魅力的な情熱というか。でもそれと「生活」や「暮らし」を同じ天秤にかける必要はまったくないなと思うようになりましたね。そもそも天秤が違うのに、そこを測ろうとするからおかしなことになるんだなって気づいた。両方を自分の人生にいさせればいいんだなって思えるようになってきたのが、圧倒的に変わってきたところですね。

―― 渋谷さんを思い浮かべて歌詞を書いたのと同じように、柳沢さんは誰かを思い浮かべてとか、誰かのために歌詞を書くことが多いのでしょうか。

どうだろう…。50/50ですかね。日々、自分が書いているすべてを実行できているわけではないし、何かを悟ることができたわけでもないし。自分自身が「そうなれたら」という気持ちもまだすごくあります。でも、だからこそ、「この気持ち、俺もわかるよ」って届けたいんですかね。それこそ年齢とか経験の違いで、「あー、俺もそこ経験して通り過ぎたなー」って思うことも歌にできたらいいなって。もし聴いてくれているひとが、その真っ只中だったとしたら、何かしらのヒントとか、自分を鼓舞する力とか、もしくは心を休める場所とか、そういうものにビーバーの音楽がなれたらいいなという思いは、たしかにすごく強いですね。

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