相手に伝えた形では書きたくない。だって、言えないんだもん。

―― ニューシングルのタイトル曲「」は、TVアニメ『僕のヒーローアカデミア』第7期のエンディングテーマとして書き下ろされた楽曲です。この「蕾」という言葉にはどのようにたどり着いたのでしょうか。

歌詞全体はもうとことんヒロアカ着想で、作品をかなり読み込んだ上で書いたんですけど、サビは先にあったメロディーから<咲き誇った笑顔で この道を照らして>というフレーズが出てきて。そこから「まだ咲くことができていない気持ち」という対比の意味で「蕾」に至りましたね。

―― 冒頭の<擦れ違ってもがいて わかりあえず痛くて 「それでも」って叫ぶ>というフレーズが、切り口であり、歌詞の大きな核になっていますね。

もうヒロアカも第7期で、主人公・デクも最初と比べたら、ひととしてすごく強くなっているんですよ。だから今は、敵(ヴィラン)さえも救いたいと思っている。そこが第7期のテーマとしてあるので、歌詞を書くときにいちばん意識したところです。ちょうど、先日放送された回で、“敵のなかに「助けて」と泣いている子どもが見える”というシーンがあって。それは「歌の肝になるな」と思って、抽出しましたね。

―― そこから敵とでさえも、「わかりあう」ことや「わかちあう」ことを諦めたくない、というメッセージが見えてきたのですね。

photo_02です。

はい。でも実生活で、最初から敵であるひとってほぼいないじゃないですか。むしろ、そばにいるから喧嘩してしまったり、「離れたいな」って思うときがあったり、近しいひとほどいつのまにか敵対していたり。仲がいいからこそ、わかりあえない、わかちあえない瞬間が生まれる。人間の距離感って不思議だなって。そう考えたとき、この歌詞みたいに大切なひとに<振り払われた>ときどうする? というのも大きなテーマになりました。

―― リスナーの方からは、「ヒロアカを読み込んでないと書けない歌詞」、「ヒロアカを彷彿とさせるフレーズがたくさんある」という声も印象的です。そういう面でご自身でとくにこだわったフレーズというと?

わかりやすい“ヒロアカワード”としては、<オリジン>という言葉がひとつあれば成立するようにしたいと思っていました。これはヒロアカでの頻出ワードで、ヒーローが「自分がなぜそうなりたいと思ったのか」という原点や動機を思い出すという意味でよく出てくるんですね。逆にヒロアカのタイアップ楽曲でなければ、絶対に使うことができなかった言葉だと思います。

自分がこだわったのはラストのサビかな。<どうしたって僕らは ひとつにはなれない それぞれが 違う心で 生きている だけど君の痛みに 僕の胸が泣くんだ わかちあえなくても 寄り添わせてくれないか>というところ。みなさん、「ヒロアカの〇〇と○○の歌に聴こえた」と結構いろんなパターンで聴いてくださっていて。そこは狙った部分だったので、届いていてすごく嬉しかったです。

―― ヒロアカのエンディングテーマでありながらも、聴き手が自分事にもしやすいフレーズですよね。

ありがとうございます。おっしゃるとおり、行きつく先は現実世界の自分と誰かの関係だと思ったので、まずはヒロアカの世界でそう思ってもらえないと絶対にダメだなと。わりと、「自分とみんなは同じ感性だ」と思っているひとって多いじゃないですか。でもまったくそうではなくて。

たとえ<君の痛みに 僕の胸が泣く>ほどの大切な相手だとしても、ひととひとは“寄り添う”ことぐらいしかできない。逆にいえば、他者に無関心になるのは簡単だけど、まずは“寄り添う”ことを諦めたくないなという想いで書きましたね。

―― また、1番のAメロBメロでは<手>にスポットが当たっているように感じました。ワンシーンの描写が繊細で、スローモーションで撮っているような。

そうなんですよ。5秒ぐらいのシーンを1つの歌詞で書こう、というのが自分のなかでもうひとつテーマとしてありまして。とはいえ、概念や感情だけを内側に内側にと書いていくと、絵が見えづらくなる。気持ちを描きながらも、絵を見せたいというところで、比喩的な存在として<傘>を使ったりして、あえて<手>にまつわる描写だけに絞りました。

―― そして、やっぱり主人公は不器用ですが、優しいですよね。決して「君の気持ちを知りたい」とか「君とわかりあいたい」とは言わないし、<君に着せた>強さを、強引には脱がせようともしない。

そうそう。あとその<「強さ」を君に 着せたのは僕だ ほころばせる 言葉を探して>というフレーズには、“蕾がほころぶ”という意味合いを込めたのも実はこだわりです。「強さ」という衣は、殻にこもった相手のメタファーでもあるので。それをほころばせて、そしていつかは咲き誇ってほしい。それが込めた願いですね。

本当に僕らの主人公は不器用(笑)。しかも、ただ思っているだけ。相手には「守りたい」ぐらいしか言ってない。解決しちゃったら、そんな綺麗な話なんてないから。思えば僕は、そういう歌詞を書きがちなところがあるかもしれません。気持ちの変化は書くけど、解決はしない。相手に伝えた形では書きたくない。だって、言えないんだもん。というか、「言えないけど、こう思っているよ」というのが歌だと思っているんですよね。

―― 歌ネットの「今日のうた」では、すでに「蕾」の歌詞エッセイも書いていただきました。大親友との人生で初めての絶縁のエピソード。そのきっかけとなった「ほんの些細なこと」が気になるのですが…。

あはは、本当にほんの些細なことですよ。昔、彼と一緒に飲んでいて、そのときは「今日は俺が出すよ」って言ってくれたんです。でも次の日になって「あれ、金がない」って。だから「昨日、俺が出すってみんなに言ってたじゃん。潰れてたから出しといたよ」と言ったら、「そんなこと言ってない」と。普段そんなことで怒るようなやつでもなかったので、違和感があって。あいつどうした? みたいな話から…。

―― 彼もきっとひとつの理由じゃなく、いろいろな何かが重なって…。

そう、それだけじゃなかったんだろうなって。でも不思議と、その飲みがきっかけで会わなくなってしまったんですよ。僕としては、「縁が切れるとしたら、もっとヤバいこといろいろあったじゃん!」と思いつつ…。

―― でも「蕾」を書けたことで、また連絡をして、繋がることができたんですよね。

うん。こんな曲を書いておいて、自分自身が何も行動しないのもイヤだなと。なんか変にお互い、近い平行線をたどっていたんだろうなと思います。

―― エッセイには、「単行本に貼った、付箋のページを見返す。書く前と、書き終えた後じゃ、感じ方が、ほとんど違う」とも綴られていましたね。感じ方として、何がいちばん変わりましたか?

わかりづらく言ってしまうと、立体的に見えるようになりました。たとえば、一時的に感動したところには「感動した」とか「刺さった」とか付箋を貼ったわけです。でも「蕾」を書いて、単行本を読み返してみたら、「このときはこういう気持ちでこのセリフを言ったんだろうな」って理解できるようになっていたというか。

それは歌詞を書く上で、いろんな言葉を選んで、書いて、そのなかで自分のエピソードもたくさん思い出したから。書き終えたとき、「このページはあのときの俺みたいだ」とか、「この痛みは俺で言うとあのときの痛みだ」とか、手に取って見せられるぐらい近くに記憶があった。自分事としてより深く感じられるようになったってことなんだと思います。

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