やっと自分のことを考えることができたから…。心の機微を表現したニューアルバム!

 2024年11月6日に上白石萌音がニューアルバム『kibi』をリリース。自身も複数の曲で作詞に携わった今作。1日の時間の流れのなかにある心の機微を、様々な情景や感情に沿って表現した全10曲が収録されています。昔から“違うひとになる”ことに興味があり、自分のことを考えたり話したりするより、役として在るほうが楽だったという彼女が今回、自分の心の機微と向き合ったきっかけとは…。さらに、自身の歌声の特徴、水野良樹(いきものがかり・HIROBA)による提供曲「まぶしい」を聴いたときの驚き、作詞の際に現れる3つの大きな壁、などなどじっくりお話を伺いました。今作と併せて、歌詞トークをお楽しみください。
(取材・文 / 井出美緒)
hiker作詞:上白石萌音 作曲:こたろう何があったって必ずここにいるんだって
月並みな愛の台詞さえ悔しいほど効いてしまうけど
だけどこうやって帰る場所があるんだって 下向きの日常も抱いて
どこに行ったって私のままでいいんだって
素直に思いたい明日を今夜も夢に見るんでしょう
だからいつだって回り道でも待っていて ひたむきな毎日に愛を
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演じれば演じるほど自分が見えてきて、最終的にイヤになります(笑)。

―― 萌音さんは子どもの頃、歌詞やポエムなどは書かれていましたか?

歌詞はありませんが、よく物語を作ってノートに書いていました。外国人の主人公が多くて、未来の話とか、まだこの世にない機械の話とか、巣から落ちてきた鳥を助けてあげる話とか、そういう物語を想像するのが好きで。どれも未完成ですけど(笑)。本を読むのも好きでしたし、とにかくフィクションに夢中で、本気で書いていましたね。

―― ご自身の日々や感情を書くよりも、どちらかというと日常からかけ離れた世界というか。

そうですね。あと、自分を書くより、違う誰かを想像して書くほうが楽しくて。昔から舞台も好きでしたし、ずっと“違うひとになる”ということに興味があったんだろうなと思います。

―― 萌音さんご自身は当時、どんなことをよく考えていたのでしょうか。

photo_01です。

うーん…、何を考えていたんですかねぇ…。あまり自分のことを考えてなかったように思います。だからこそ違う世界の物語を想像していたんだろうなって。かといって、本を書くひとになりたいという欲もなかったし、自分を表現したいとか、役者さんになりたいとか、CDを出したいとか、小さい頃はまったく考えていませんでした。物語を作ることも、本当に私だけの密やかな遊び、楽しみという感じで。

―― 自然と導かれていくように、ご自身が演じる・表現するほうへ進んでいかれたのですね。

はい。年齢を重ねて、いろんなご縁ができて、気づいたらここにいるという気がします。でもやっぱり今でも、自分の名前で自分として話すよりも、違う名前で役としてセリフを言っているときのほうが居心地がよくて。

―― ご自身と異なる個性を与えられている状態のほうが楽ですか?

そのほうがずっと楽です。自分のことを考えるより、役のことを考えるほうが好きですし。歌うときも、とくに歌詞も提供いただいた曲を歌う場合は、わりと“違うひとになる”感覚が強いかもしれません。私によく似た誰かとか、物語のなかの主人公に思いを馳せて歌うというか。だから「自分の気持ちを書いてください」と言われると、「私の気持ちって何だ…?」ってなるんですよ。

―― では、音楽面で“上白石萌音らしさ”が確立されてきたと実感されたタイミングはありますか?

それもいまだにわからないんです。私って本当に特徴がないなって。レコーディングのときも、「つまらない歌声だな」って思いますし。

―― まったくそんなことないですよ!

いやいや…。それを何とかディレクターさんや、いろんな方が作品として持ち上げてくださるんですけど、自力だと何の特徴もなくて。パッと聴けばわかる声でもないし、印象的な歌い方でもないし、どちらかといえば、音符通り、楽譜通り歌うことが好きなので。でも、格別な個性がないことが逆に個性なのかな、と最近は受け入れるようになってきました。

―― 1ファンからすると、陽だまりのように優しくて柔らかくて軽やかで唯一無二な歌声だと感じるのですが…。ご自身でその歌声を言語化すると、どんなものだと思いますか?

あ、でもある方に「水みたいだ」と言っていただいたことがあって。多分、透明感のようなニュアンスだったと思うんですが、それは自分的にも腑に落ちたところがありました。私の歌声は、味もしないし、色もない。でも、なんとなく潤うというか、なんとなく美味しいというか、そこを目指したいなと。

―― たしかに水って、ただそこに在ることも、静かに揺れていることも、流れていくこともできますよね。何者にもなれる。

そうなんですよね。すごく綺麗なお水もあれば、泥水もあるし、濁流もある。自分のいいところも、イヤなところもすべて入っているという感じもします。水って奥深くて、究極だなと。だから水みたいな歌声で在れたら、理想だなと思います。

―― あまり自分のことを考えないとおっしゃっていましたが、他者から“上白石萌音”に持たれるイメージなどは意識されるのでしょうか。

それは強烈に意識していると思います。意識した上で、「ちょっと違うことを言ってみようかな」というときもありますし。自分で自分のことを考えない代わりに、他者からどう思われるか、頭のなかの9割くらいで気にして生きているかもしれません。

―― たとえば、どんなイメージを持たれていると思いますか?

まず…生活感。その辺にいそうな感じ。それはまさにその通りで、その辺にいる人間なんですよね。あと、愚痴を言わなさそうとか、すごく健やかそうとか。だけど実際は、愚痴だってすごく言うし、「ケッ!」って思うことだっていっぱいあるし(笑)。

―― そのイメージは、作詞を含む楽曲制作の際、どれぐらい意識・反映されますか?

よくミーティングで、キーワードとして「意外性」という言葉が出るんですが、私としては「それはあまり要らないかな」と思うんです。でも、たとえば、肌触りはいわゆる“上白石萌音”っぽいけれど、実は愚痴が漂っていたり、滲んでいたり。ちょっと棘があったり。淀んでいたり。私自身もそういう楽曲を聴くのが好きなので、イメージは崩さず、その“ちょっとの本音”を斜めから入れたいなという気持ちが強いです。

―― ちなみに、歌詞面で影響を受けたアーティストというと?

影響を受けたというのもおこがましいのですが、大好きなのはハンバート ハンバートさんです。難しい言葉を使わず、小さい子が聴いても理解できる。でも、それぞれの人生や経験によって聴こえ方が変わる。その余白が綺麗だなと思います。しかも優しい声で歌われているから、ほっこりソングだと思って聴いていたら、結構なエッジが効いた内容だったりもして。毛糸でくるくる巻かれた可愛いペンだと思いきや、中身はナイフ、みたいな。

―― しっくりくる表現ですね。

たとえば「国語」という曲は、最後に<テメー>って言うんですよ。あの優しい声で。音だけで聴くのと、歌詞だけを文章で読むのとでは印象が違ったりするので、活字で読みたい楽曲もたくさんあって。ただ優しい音楽じゃない。声も音も、言葉もぜんぶ好きです。

―― また、萌音さんは、役としてひとつの作品に向き合う期間も都度あるかと思いますが、その主人公のマインドで歌詞を書くことなどはあるのでしょうか。

いえ、演じる延長線上で歌詞を書いてみたことはまだないです。ただ、その子のことを思い出しながら、という感覚はあるかもしれません。実際に演じているとき以外の時間は、役ではなく完全に私自身で、歌詞を書いているのも私自身だな、と思います。

―― 役として“違うひと”を演じ続けていると、ご自身の感情がわからなくなったりはしないものですか?

その子の感情に対する自分の感情が必ずあるんです。「わかる、そうだよね」とか、「悲しいよね」とか、「よかったね」とか。だから自分が迷子になることはないですね。役とは双子のような感覚なんです。ひとりの他者と、ちょっとずつ気持ちが混ざっていくというか。むしろ役を演じることで、逆に自分がくっきりしてくるところもあります。そのひとのことや、セリフや感情について、自分自身はどう思うか常に考えることになるので。

―― 今作の収録曲「hiker」に<ふたりでいて ひとりを知る 自分が自分になっていく>というフレーズがありますが、そんな感覚に近いのでしょうか。

まさにそうかもしれません。たしかに、演じれば演じるほど自分が見えてきて、最終的にイヤになります(笑)。物語の登場人物たちは、作品のラストに向けて成長していくし、大体は解決していくじゃないですか。でも私の場合、目に見えて成長を実感することってあまりないし。現実を生きているなかで、何かがわかりやすく解決することって少ないですよね。

―― ですね。ドラマや映画にはひとつのゴールがあるけれど。

だから、「あなたはいろんなことを乗り越えて、ひとつのゴールを迎えられてよかったね。すごいね」って役を送り出す一方で、「それなのに私は…」という気持ちになるんですよね(笑)。でも、演じた役からヒントをもらって、それが自分の細胞になって、また次に進んでいるような気もしています。

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