息を切らして駆け抜けていたのかい?
さよなら成功気取りのヒーロー 全開でしか得られない将来を
まだ傷だらけでもない かすり傷も怖がる
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―― 優さん、まもなくお誕生日ですね(取材日:2024年12月11日)。ひとつの節目であり、不惑と言われる40歳の一年、振り返ってみていかがでしたか。
僕、数え年でいうと本厄だったんですよ。だから気持ち的なものは大きいでしょうし、40年も同じ身体を使い続けていたらガタも来るようで、まず声帯炎になりました。2024年2月に患って声が出なくなった。そのときツアー中だったんですけど、幸い2週間の空き期間に症状が出たので、なんとか療養できてツアーを飛ばさずに済んだのですが。
さらに9月、7会場目となる『秋田 CARAVAN MUSIC FES』が2日間どちらも土砂降りと強風。だから俯瞰してみると、不惑というより、「あ、厄年っぽいことが起こったな」という感じがしています。
―― しっかり大きめの逆境が…。
ただ、僕のマインドとしては、変化だと思っていて。どんどん前を向いています。性格的に、逆境があったほうがむしろ燃えてくるところがあるんです。もちろんフェスについては、スタッフとも協議して安全第一で開催をしたんですけど、ライブするときはめちゃくちゃ燃えていましたね。「雨のなか、やったろうじゃねーか!うぉー!」みたいな(笑)。声帯炎も、「なったあとのほうが、もっと歌えているじゃん!」って言われたくて。
―― 前回(2022年)の取材の際、最近いちばんよく考えていることは「心身の健康」とおっしゃっていましたね。そうして2年前からご自身の免疫力を上げられていたからこそ、今年を乗り越えられたのかもしれません。
ああ、多分それ大きいですね。今日も午前中にジムに行きましたし。やっぱり何より健康が大事だと思うんですよ。最近も、まだまだ聴きたいと思っていたアーティストや、見たいと思っていた役者の方が急に亡くなられることが続いているじゃないですか。いてくれることが当たり前ではない。だからこそ「今日ある幸せが明日もあると、みんな信じすぎてない?」という思いが強くなっていて、そこが今回のアルバム『HAPPY』にも込められています。
僕は、才能なんかあるかわからないし、神に見初められたシンガーではない。自分では一般人だと思っているんです。でも、「一般人にしては元気すぎるよく歌うやつ」でありたい。1秒でも長く。負けないです、絶対。20代のひとにも長距離走なら負けない(笑)。今、そういうテンション感でいられるのは幸せだなと思いますね。まだまだ全然、怒っているし、「やってやるぞ」という気持ち。見方によっては痛いかもしれないけれど。
―― その勢いはアルバム『HAPPY』からも伝わってきました。ちなみに前作『ReLOVE & RePEACE』は、「今までのなかでいちばん自由に楽しく、のびのびと作れた」とおっしゃっていましたが、今作のマインドとしては?
心のどこかで、厄年とか40歳になったとか、若干は気にしていたし、実際に声帯炎になったりいろんなトラブルもあったんですけど、パーってトンネルから抜けていく瞬間の気持ちというか。目の前にすごく輝かしいものが待っているような気持ちになっていますね。だから、前作よりもさらにのびのび作れた気がします。この2年、いろんな固定概念に捉われず、「作っちゃえ!」という気持ちで自由自在に書けた曲がいっぱいあるので。
―― では、今もかなり明るいものが見えているというか。
はい、それを冷静に見つめている感じですね。僕って希望の真っ只中にいても真顔なんですよ。日本中がサッカーの試合を観ていて、「ゴール!」「ワーッ!」って賑わっているときにも、「ほぉ…」って言っているタイプ。ハイタッチとかしない人生を歩んできた。そういう部分を自分は持っておいたほうがいいなと思っています。だから、たとえこれから僕自身にハッピーな何かが訪れたとしても、このテンション感で楽しんでいたいんですよね。
―― 優さんはご自身に対しても、楽曲のなかでも、どこか俯瞰の視点を持っていらっしゃいますよね。
いちばん大事だなと思っているものは、ほんのちょっとの想像力だから。今作の収録曲「現下の喝采」なんかもそうで。これは脳内で自分に対する喝采が起こっているイメージなんです。たとえば、この部屋に入ってくる前、誰かにドンと肩をぶつけられて、本当は「なんだよ!」って言いたいけれど、「あ、すみません」って謝った。そうしたら、「おー偉い! 自分から謝った!」とか実況している。その感覚が僕、大学生ぐらいからある。
―― ご自身の姿を、もう一人の自分が見ている感覚でしょうか。
一人どころじゃない。脳内スタジアムいっぱい(笑)。そのスタジアム内で自分を実況して、喝采が起こるわけです。「嫌味を言われたけど、ちゃんと笑顔で返した! すごい!」とか。だって生きていても、誰もそんな細かいところ褒めてくれないじゃないですか。子どもの頃は、自分で本のページをめくれただけで、ペットボトルの蓋を開けられただけで、褒められていた瞬間があったのに。そんなの今はね?
―― 大人なんだからできるのが当たり前だと。
そうそう。でも本来、ありきたりな言葉になるけれど、こうしてここに居られるだけでかなり立派だと思うんですよ。ひとりひとりが。それなのに「立派」のハードルが高くなりすぎて、「それぐらいできたって普通ですよ」って思われる。もがいても、もがいても、何も起こってないのと同じ。そういうことに僕はちょっと苛立っていて。いやいやいや、自分の脳内ぐらいでは称えようよ、と。それができるのって人間だけだから。
―― 「脳内で実況をしている感覚が大学生ぐらいからある」とおっしゃっていましたが、その原点は何なのでしょう。
たしかに…原点って何だろうな…。
―― 人生で最初に作った歌詞などは覚えていますか?
それはよく覚えています。中学3年生の頃、教育実習生の方が僕のクラスの担当だったんですね。若いから熱血で、すごく空回ったり、酔っぱらって授業に来ちゃって朝から酒臭かったり(笑)。でも僕はその先生がとても好きで、「このひとが3年生を担当してくれてよかったな」という思いのなかで、初めて「レター」という曲を作りました。もしかしたら昔、何かの番組で少しだけ歌ったことがあるかも。
―― どんな楽曲だったのですか?
先生が、「これだけは学校を卒業しても、絶対に忘れるんじゃないぞ」って言って、「執念」と「努力」と…なんか3つ漢字を書いて。それをそのまま歌にしました。<あなたから学んだこと 僕は忘れないよ>みたいな感じ。まぁ忘れちゃったんだけど(笑)。書いた歌詞はまだ家にあるので、今度お会いしたとき歌いますね。
―― ぜひ聴きたいです。人生最初の歌に綴ったのは感謝だったのですね。そこからどのように優さんならではの視点が培われていったのでしょうか。
うーん、街中でよくメモはするかな。たとえば先日、坂道を歩いていたら正面から、僕よりだいぶ年上っぽいおじさんが、ずっと上着のジッパーを上下する作業しながら向かってきたんですよ。で、僕にぶつかりそうになった。手元2ミリの問題で大怪我する可能性もあったわけです。そう考えると、<ほんの2ミリのかけ違いで 僕らの人生は狂わされる>みたいな曲を「ジッパー」というタイトルで書いたらおもしろいかも、ってメモしたり。
―― やはり「ほんのちょっとの想像力」ですね。
どうしても今ジッパーを閉めないといけなかったおじさん。坂の下で久しぶりに娘さんと会う約束をしていたのかもしれない。なかに可愛いTシャツを着ていて、見られたくなかったのかもしれない。そういう想像が大好きなんですよ。とくに僕はいつもジョギングをしているので、歩いているひとたちをすごく冷静に見ている部分があって。余裕で鼻をほじっている女のひととか(笑)。なんか、そういうところも歌詞の原点にあるのかなぁ。
―― 余談ですが、優さんファンの方がSNSで、「優さんの言葉や楽曲からは“見守っているよ”という思いを感じる」という旨のことを書かれていたのが印象的で。それは優さんがこれだけ他者を見て、他者を想像しているからなのかもしれないなと、今のお話を伺いながら思いました。
そう言ってくれている方がいるんですか! でもたしかに僕、他者が大好きなんですよ。本来であれば、喋るよりもインタビュアーをして、誰かの話を聞くほうが好き(笑)。あと「見守っているよ」って自分で言うと、ちょっと上からみたいな感じがしちゃうけれど、とにかく僕は自分がステージの上から何かものを言えるような偉い人間だと思っていなくて。「僕もあなたと同じところにいるよ」とずっと思っています。
―― 「アーティストは自分と違う世界のひとだ」と思ってしまいがちだけれど、そうではなくて。
うん。だから「そこを見逃している?」ということを言いたいとき、文章や歌詞にしているところはあります。さらに、まったく別ジャンルの人間同士でも、男性でも女性でも、子どもでも大人でも、あらゆる概念を超えた共通点があるかもしれないとも信じていて。そういうことを自分より若い世代の子とか、もっと小さな子どもたちに訴えかけたい、という気持ちも強いんですよね。
子どもたちってたくさん疑問を持っているじゃないですか。彼らに「なんで?」と聞かれたとき、真剣に答えられる自分でいたいなって思うんです。「そういうものなの!」っていうのがいちばん嫌い。それって「固定概念で生きなさい!」って言っているようなものだから。ちゃんと子どもとも「同じところ」で考えたいなって。多分、そう思うようになったのにも、自分の人生を遡れば何かきっかけがあるはずなんですけど…。原点については、持ち帰ってもっと考えてみますね。