―― アルバムタイトルの『銀化』とは、「ガラスを地中や海底に埋めたとき、まわりの微小な物質と化学反応を起こしてガラス成分が層化し、光を乱反射してプリズムやオーロラのような複雑な輝きを放つ」現象だそうですね。これはどのように出会った言葉なのでしょうか。
ものすごくピンポイントなのですが、小田急線の東林間駅から歩いて数分のところにある「海福雑貨」という雑貨屋さんです。ガラスの破片とか石とか、アンティークよりもう少しディープなものも売っていて、魔女の隠れ家に迷い込んだような気持ちになる。行くと1時間以上は居てしまう、とても好きな場所なんですよね。そこで3~4年前に「銀化ガラス」という言葉に出会いまして。そういう現象があると知り、メモしておいたわけです。
―― そして、今回のアルバム制作にあたり、『銀化』という言葉がリンクする部分があったわけですね。
そうですね。ただ、この『銀化』というタイトルに込めた意味の完全回収は、実は数年計画で考えておりまして。今言えるのは、ここまでです(笑)。
―― 今作『銀化』には、未発表の新曲のみでセトリが構成された“未発表曲ツアー「エリア未来」”(2024年開催)で演奏された楽曲たちが主に収録されております。ライブではどのような反応が印象的でしたか?

エッセイにも書いたとおり、「次にいつ聴くことができるかも分からない音に夢中で食いつき、振り落とされまいと神経を尖らせステージを睨むお客さんの射抜くような眼つき」が本当に凄いんですよ。いい意味で、どこの公演でも試験会場のような集中力と静けさに満ちていました。「一文字たりとも、一音たりとも、聴き逃すまい」というあの感じは、“未発表曲のみ”という出題した側としておもしろかったですし、ありがたかったですね。
―― ご自身で演奏をされていて、場の空気がより濃密になったように感じた楽曲はありましたか?
3曲目「vacancy」と7曲目「ラスティランド」かな。どちらもストーリーテリング的な構成で曲を作っていったので、頭から通して物語を浴びないと、いちばん最後に何が起きるかわからない。そういう緊張感もあり、お客さんがより集中力を高めて聴いているのを感じましたね。
―― 私もアルバムを通して聴いてみて、3曲目「vacancy」でハッと止められ、撃ち抜かれた感覚でした。まず二人称が<お前>なので、ふいに“自分事”として聴く感覚になるというか。
<お前>と言われるとドキッとしますよね。私は一人称や二人称をその曲にいちばん合いそうなスパイスとして選んでいるんですよ。すると「vacancy」のメッセージで聴き手をよりグッと捕まえるには、二人称は<君>や<あなた>ではなく<お前>であり、一人称は<僕たち>ではなく<俺たち>だよなと。もう首根っこを掴むような感覚で。見事に捕まってくださって嬉しいです(笑)。
―― 「vacancy」というタイトルにはどのような意味合いを込められましたか?
“空虚さ”ですね。それも何か大きなことを成し遂げたあとの空虚さ。たとえば、フェス実行委員の方が大きなフェスを4日間やり終えたとします。今年はものすごく盛り上がった。お客さんもいっぱい来てくれた。打ち上げではたくさん飲んで。「それではみなさんお疲れさまでした!」と、解き放たれてひとりで家に帰って、ふーって息を吐く。そのときの、「俺、これからどうしよう」みたいな感覚。むしろ不安のほうが押し寄せてくるような。
―― わかる気がします。まさに歌詞にある<ここで終われたならどんなに幸福か>という状態ですね。しかしこの人生の終われなさ。
そう、そうなんです。そしてアーティストもそこに押しつぶされて消えるひとが多いなと。やれ武道館だ、やれアリーナだ、目標を掲げて。それを達成したのはいいけれど、その先に続く人生があまりに長いことに気づいてしまう。持て余し感と言うんですかね。「俺たち、長く生きすぎなんじゃないの?」ぐらいまで考えてしまう。そういう気持ちに対する返歌があればいいなと思って、「vacancy」を書きましたね。
―― 日食さんご自身も持て余し感を抱くことはありますか?
ずっと抱いています。私はいろんなひとから「欲がない」と言われておりまして。私の叶えたい目標だけなら、実はとっくに叶ってしまっているんです。今、すべてのゲートを通ってしまった先にいる。まさに「vacancy」状態。「まだ綺麗な形のうちに終われたほうがいいんじゃないの?」と悪魔のささやきが聴こえるときもありますし。だからこそ、自由という絶望の前で迷わないランプとして「vacancy」が欲しかったんだと思いますね。
―― 最後が<成し遂げた夢が 素晴らしければそうであるほど その先の道は果てしなく ただ白く続いているんだろう>と“白”だけに委ねられているところも素敵だなと感じました。
<続いていく>ということに対して、せめてマイナスではない意味で終わりたいなと。だから個人的には、真っ白なキャンパスだったり、かすかながらの希望だったりもイメージしながら、最後のフレーズを書きました。
―― また、同じく二人称が<お前>であり、歌ネットで“注目度ランキング”にランクインした8曲目「i」についてもお伺いしていきたいのですが、まずどのように生まれた楽曲なのでしょうか。
「i」は想像半分、実体験半分。活動を長くやっていると、途中で道がわかれるひともどんどん増えていくわけです。前まで同じステージに一緒に立っていたのに、ずいぶん遠くへ行ったなぁとか。逆に私はどういうふうに見えているんだろうなぁとか。まさに自分もこの歌のような気持ちになったこともありますし。いろんなことを考えながら、相手を見送る側になった立場の<僕>のことを描いていきました。
―― <片付いてない散らかり倒したお前のほうがよかったのに>という表現が絶妙ですね。自分にとって「都合がよかったのに」や「居心地がよかったのに」というニュアンスにも取れます。
きっと万人にある感覚ですよね。たとえば、高校時代ともにしょうもない夏休みを過ごしていた同級生が、立派なホワイトカラーの職に就いていたり。昔は箸の持ち方さえ変だったのに、フレンチなんか行っていたり。「きっと今の居場所でこいつは上手くやっているんだと思ったら、僕が言うべきことはないな」と飲み込んだ言葉がこの歌に詰まっている気がします。「そっちに行ったんだ、ふーん…」の「ふーん」を解剖した歌詞というか。
―― この歌は<お前>に何を求めるわけでもない<僕>の独白で。
そうそう。そもそも<お前>はもう<僕>が何か影響を及ぼせる対象ではなくなっている。相手にこの想いが伝わることはない。だからこそ、ここまで赤裸々になれるんでしょうね。それに実社会で直接「さよなら」と言ってお別れできることって、そんなにないじゃないですか。なんとなくフェードアウトしていくことがほとんど。だから、自分自身で何かに終止符を打つためには、「i」のような言葉が必要なのだと思います。
―― その赤裸々な言葉により、曲のなかで徐々に気持ちが整理され、<最終的には認めるけど 悔しいけど かっこいいな>と相手を認められたことは、きっと<僕>にとって大きな意味があることですよね。
この独白行為は、かつて私がずーっとやっていた絵日記に結びつくところがありますね。「なぜ私はこんなにイライラモヤモヤしているんだろう…」と、まとまらないうちにバーッとノートに書きつけていくと、「繰り返しこの言葉が出てくるということは、ここに引っかかっていたのか」と気づいたりする。同じように<あのさ、僕はさ、>と吐き出してみることで、いろんな気持ちが整理整頓され、やがて前に進むことができるんだろうなと。
―― 今作でとくに挑戦曲というといかがですか?
5曲目の「夜刀神」かな。この歌は私の経験などはまったく関係なく、夜刀神という日本の伝承を私なりの表現で書きました。茨城県のほうの古い伝承で、角の生えた蛇の祟り神がいるらしく。出会ってしまうと、末代まで祟られると。それをマンガで読んだのですが、夜刀神を描いた見開きのページがものすごく怖かったんですよ。画力が凄すぎて、それをポスターにして飾りたいくらい。しばらくあっけに取られてしまいました。
同時に、辞書で言葉を拾うような感覚で「夜刀神」というワードが頭のなかにポンと残っていて。これをテーマにいつかは曲を書きたいなと思いながら数年が経ち。そして今回、アルバムを作るにあたり、この強力なメンバーと一緒なら「夜刀神」をやれるだろうと着手しました。破れかぶれな気持ちをすべてこの歌に凝縮しましたね。恨みつらみがドロドロになった果てに、そのひとが怨霊・怨念になってしまうまでの経緯を辿るというか。
―― フィクションではありますが、現実でも近い状態になってしまうひとはいるかもしれませんね。最初は神さまに祈っていたはずが、神を呪うようになってしまう。
「救済されたい」という祈りから、「救済されない」という現実にばかり目が行って、恨みに落ちていくひとは本当に多いと思います。私自身、何回もそちら側になりかけていますし。この歌は、気持ちが落ちていくときに聴くと非常に共感してもらえる気がします。誰にも救われたくないような気分のときに聴いてほしい曲ですね。