2021年11月3日発売
マカロニえんぴつというグループ名からSDGsな雰囲気を感じ取ったのは僕だけではないはずだ。
かつて割り箸や鉛筆など木材を主原料とするものへの見直しが叫ばれたが、マカロニのえんぴつなら、それもクリア……、というのは、あくまで名前から受けるイメージに限っての話だが…。
でもポップな音楽を目指す場合、時代の風とマッチングしてるのは重要なポイントなのである。彼らのグループ名からは、そんな風向きを感じるのだ。
当初から、幅広い聴き手に訴える音楽を目指してきたという彼らだが、そのためにも歌詞は当然ながら重要だったろう。誰にも思い当たり、身につまされ、キュンとする歌を生むなら、独りよがりの言葉じゃダメだ。
代表的な作品をいくつか聴いてみて分かったのは、彼らが「感情」という不定型なものと向き合い、丹念に作品を生んできた事実だ。そのなかから今回は、初登場でもあり、この曲はハズせないだろう、という人気曲を。「なんでもないよ、」。タイトルはこんな感じだが、けして“なんでもなくはない”のがこの曲で、実に特徴的な作品づくりがなされている。
歯切れの悪さもヒトの心のリアリティへ
特定の相手に対して愛を伝えている点では、シンプルな構造だ。でも、“君のためなら〇〇〇になる”的な誇張はない。なかなか言葉にならない感情に対しては、曖昧模糊とした部分も残しつつ、むしろそのことをリアリティへつなげようとする手法がとられている。
[参っちまうよもう]とか[そんなんじゃなくて]とか、歯切れが悪い言い回しもあえて採用している。[とびっきりの普通]というのも言葉の組み合わせが微妙な表現だが、この場合は効果的だ。
しまいに最後のほうで、[何が言いたかったっけ]という決定打も登場。効果的に響かなかったら、何が言いたいか不明な歌になってしまう危険を伴うフレーズも、勇気を持って用いている。
“僕の中身”に気づいていく主人公
ところで1番から2番への進展は注目に値する。最初、[僕にはなにもない]と思っていた主人公だが、何もないに対し、[そんなこともない]と気づき始めるのが2番なのである。
何に気づいたのかというと、空気のように当たり前に存在し、透明だった感情に、輪郭をもたせていくことだった。そう。相手の何気なさのなかの“かけがえのなさ”に気づき、歌詞で言及していくのが2番の役割なのだった。
この歌を聴いていると、そんな主人公の移りゆく心を追体験することにもなる。この愛に対して、当初は自信なさげな彼のなかに芽ばえた確信(まだホンモノとはいえない淡いものではあるが)が、聴いてる私たちにも染み込んでいくのだ。
台詞の「何でもないよ」と、心で想う“何でもないよ”
歌詞を眺めると、[「何でもないよ」]のカッコつきの台詞のあと、カッコなしの[なんでもないよ]が続いている。カッコなしは独白か、心の呟きだと解釈するのが妥当だろう。
ひとつ言えるのは、“なんでもない”とカッコつきで言葉に出しておきつつも、この言葉すら特に意味あるものではないとダメ押しするのがカッコなしの部分、ということだ。歌の作者のはっとりは、確固たる覚悟のうえで、言葉を越えたものとして「感情」そのものを歌に込めようとして、このアイデアへ至ったのかもしれない……、と、ここまで話が進んだところで、いよいよあのキラー・フレーズへと話を進めよう。
“からだ”や“言葉”を越えた「心の関係」とは?
[心の関係]と、ハッキリ歌っているのが印象に残る。この言葉が、作品全体を司っているとも言える。先ほど、歯切れの悪い言い回し、などと書いたが、もちろん理由がある。この歌に描かれている感情が揺れたままで明瞭さに欠けているのは、そもそも「心」という物が、そういう性質だからだ。
ただ、こうした葛藤を文字で表そうとすると、無駄に行数を費やすことにもなる。字数制限が厳しく存在する歌詞というジャンルには、ハッキリ言って向いてない。でもこの歌は、それを試みることで多くの支持を得たのだった。
[心の関係]と明示したのは、宣言のようなものだったかもしれない。可能な限り、揺れてる部分にも言葉を費やし、でもそれがなんのためかということを、宣言により明らかにして、聴き手が迷わないようにした、という解釈も可能だろう。
飛躍ぎみだから効果的な[僕より先に死なないで…]
さて最後に、この歌の最大の胸キュン・ポイントである[僕より先に死なないでほしい]について書いておこう。
ドキッとするような表現でもあるが、「おまえ百までわしゃ九十九まで、ともに白髪が生えるまで」なんていう古い言い回しの、現代的な活用でもある。
このフレーズは、幅広い聴き手に訴えかけることを目指す彼らにとって、ひとつの目的達成でもあったろう。16歳の少年が彼女に対して、ちょっと背伸びして導き出した言葉としても成立するし、老夫婦の間のこととしても成立する。
歌全体のバランスをみたら、この表現はやや唐突と思え、でも、だから効果的だ。平凡な日常に至高の愛を見出そうとするこの歌は、言葉に表しづらい揺れ動く感情を飛び越え、この言葉に行き着いたのだ。
ここに至るまでのこと…、○○○なことのあと△△△な日々を過ごし、ついに???となって、だから[僕より先に死なないでほしい]みたいなことだとしたら、ここまで聴く者の胸に飛び込まなかった。やや唐突であることが主人公の切実な想いを反映し、大きな効果を生んだのだ。
かつて割り箸や鉛筆など木材を主原料とするものへの見直しが叫ばれたが、マカロニのえんぴつなら、それもクリア……、というのは、あくまで名前から受けるイメージに限っての話だが…。
でもポップな音楽を目指す場合、時代の風とマッチングしてるのは重要なポイントなのである。彼らのグループ名からは、そんな風向きを感じるのだ。
当初から、幅広い聴き手に訴える音楽を目指してきたという彼らだが、そのためにも歌詞は当然ながら重要だったろう。誰にも思い当たり、身につまされ、キュンとする歌を生むなら、独りよがりの言葉じゃダメだ。
代表的な作品をいくつか聴いてみて分かったのは、彼らが「感情」という不定型なものと向き合い、丹念に作品を生んできた事実だ。そのなかから今回は、初登場でもあり、この曲はハズせないだろう、という人気曲を。「なんでもないよ、」。タイトルはこんな感じだが、けして“なんでもなくはない”のがこの曲で、実に特徴的な作品づくりがなされている。
歯切れの悪さもヒトの心のリアリティへ
特定の相手に対して愛を伝えている点では、シンプルな構造だ。でも、“君のためなら〇〇〇になる”的な誇張はない。なかなか言葉にならない感情に対しては、曖昧模糊とした部分も残しつつ、むしろそのことをリアリティへつなげようとする手法がとられている。
[参っちまうよもう]とか[そんなんじゃなくて]とか、歯切れが悪い言い回しもあえて採用している。[とびっきりの普通]というのも言葉の組み合わせが微妙な表現だが、この場合は効果的だ。
しまいに最後のほうで、[何が言いたかったっけ]という決定打も登場。効果的に響かなかったら、何が言いたいか不明な歌になってしまう危険を伴うフレーズも、勇気を持って用いている。
“僕の中身”に気づいていく主人公
ところで1番から2番への進展は注目に値する。最初、[僕にはなにもない]と思っていた主人公だが、何もないに対し、[そんなこともない]と気づき始めるのが2番なのである。
何に気づいたのかというと、空気のように当たり前に存在し、透明だった感情に、輪郭をもたせていくことだった。そう。相手の何気なさのなかの“かけがえのなさ”に気づき、歌詞で言及していくのが2番の役割なのだった。
この歌を聴いていると、そんな主人公の移りゆく心を追体験することにもなる。この愛に対して、当初は自信なさげな彼のなかに芽ばえた確信(まだホンモノとはいえない淡いものではあるが)が、聴いてる私たちにも染み込んでいくのだ。
台詞の「何でもないよ」と、心で想う“何でもないよ”
歌詞を眺めると、[「何でもないよ」]のカッコつきの台詞のあと、カッコなしの[なんでもないよ]が続いている。カッコなしは独白か、心の呟きだと解釈するのが妥当だろう。
ひとつ言えるのは、“なんでもない”とカッコつきで言葉に出しておきつつも、この言葉すら特に意味あるものではないとダメ押しするのがカッコなしの部分、ということだ。歌の作者のはっとりは、確固たる覚悟のうえで、言葉を越えたものとして「感情」そのものを歌に込めようとして、このアイデアへ至ったのかもしれない……、と、ここまで話が進んだところで、いよいよあのキラー・フレーズへと話を進めよう。
“からだ”や“言葉”を越えた「心の関係」とは?
[心の関係]と、ハッキリ歌っているのが印象に残る。この言葉が、作品全体を司っているとも言える。先ほど、歯切れの悪い言い回し、などと書いたが、もちろん理由がある。この歌に描かれている感情が揺れたままで明瞭さに欠けているのは、そもそも「心」という物が、そういう性質だからだ。
ただ、こうした葛藤を文字で表そうとすると、無駄に行数を費やすことにもなる。字数制限が厳しく存在する歌詞というジャンルには、ハッキリ言って向いてない。でもこの歌は、それを試みることで多くの支持を得たのだった。
[心の関係]と明示したのは、宣言のようなものだったかもしれない。可能な限り、揺れてる部分にも言葉を費やし、でもそれがなんのためかということを、宣言により明らかにして、聴き手が迷わないようにした、という解釈も可能だろう。
飛躍ぎみだから効果的な[僕より先に死なないで…]
さて最後に、この歌の最大の胸キュン・ポイントである[僕より先に死なないでほしい]について書いておこう。
ドキッとするような表現でもあるが、「おまえ百までわしゃ九十九まで、ともに白髪が生えるまで」なんていう古い言い回しの、現代的な活用でもある。
このフレーズは、幅広い聴き手に訴えかけることを目指す彼らにとって、ひとつの目的達成でもあったろう。16歳の少年が彼女に対して、ちょっと背伸びして導き出した言葉としても成立するし、老夫婦の間のこととしても成立する。
歌全体のバランスをみたら、この表現はやや唐突と思え、でも、だから効果的だ。平凡な日常に至高の愛を見出そうとするこの歌は、言葉に表しづらい揺れ動く感情を飛び越え、この言葉に行き着いたのだ。
ここに至るまでのこと…、○○○なことのあと△△△な日々を過ごし、ついに???となって、だから[僕より先に死なないでほしい]みたいなことだとしたら、ここまで聴く者の胸に飛び込まなかった。やや唐突であることが主人公の切実な想いを反映し、大きな効果を生んだのだ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭
(おぬきのぶあき)
先日、巣鴨の地蔵通り商店街へ行ってきた。高齢者は依然外出を控えているからか、閑散としていた。大行列ができるはずの「洗い観音」ですら、待ち時間ゼロだ。あんパン専門店というのが目にとまったので買ってみた。美味しかった。「銀座の木村家と較べたら~」とか書き始めるとややこしいので、ただ一言、「美味しかった」とだけ書いておくことにする。
先日、巣鴨の地蔵通り商店街へ行ってきた。高齢者は依然外出を控えているからか、閑散としていた。大行列ができるはずの「洗い観音」ですら、待ち時間ゼロだ。あんパン専門店というのが目にとまったので買ってみた。美味しかった。「銀座の木村家と較べたら~」とか書き始めるとややこしいので、ただ一言、「美味しかった」とだけ書いておくことにする。