Q)詞と曲とは、どちらを先に書かれるのですか?
もういろいろですね。だいたい、言葉が先に出てくる方が多いですけど、同時進行で「ドン」ていうのもありますね。こっちのとこっちのを混ぜちゃうってこともあるし、なんでもありなんです。なるたけ無駄にしないように(笑)。忘れちゃったものは、それまでですね。いいものは、なんかまたふっと出てくるんで、「おっ、あんたやっぱりいいもんだから出てきたね!」って感じで。出てこないんだったら、いいメロディじゃなかったんだって、自分に言い聞かせますね。逆に、いいものは、どんどん繰り返し頭の中に出てきて、まるで「早くまとめてくれ!」って言われてるみたいです。
Q)歌詞を書く時に気を付けていることはありますか?
頭の中にドカーンて降りてきたものを書きとめたら、それになるたけ忠実に歌詞にしたいと思っています。変な言葉とか、ひっかかる言葉とかあるんですけど、後になって見ると、やっぱりそこにもちゃんと意義があるってことがわかってきたりするんですよね。だから、最初に出てきた言葉を絶対変えちゃいけないって思っています。ただ、人を傷つける言葉とか、どう考えても誤解を招く言葉とかは使わないですね。自分が善意の心を持って発した言葉に関しては、全責任を負っているから、人に何か言われても、そう簡単にはなおせないと思ってます。ただ、自分だけしかわからなくて、人には伝わりにくいなっていう表現は、ちょっと考えなおすこともあります。
Q)どうしてそう考えるようになったのですか?
言葉は、最近だと「言霊」って言われるように、やっぱり魂が宿っていますからね。だから、私は、マイナスの要因となる言葉は、普段からも使わないようにしているし、とくに歌に関しては、「憎い」とか「殺してやる」とか、そういう負を背負った言葉は発しないってことが、プロとしての礼儀だと、私は思っていますね。それはしてはいけないって思いますね。歌はね、絶対、命を持ってくるんですよ。だから、憎しみを歌ってると、そこに命が宿って生命力を持っちゃうんですよね。いい方向に行く生命力はいいんですけど、負の方向に行く生命力の方は、他の人がやっていることに関しては、べつに批判するつもりはないですけど、私自身はしてはいけないと思っています。やっぱり、人を傷つけたり、憎しみを倍増させるようなことはいけないですね。そういうとこから、争いごととか戦争とかにつながっていくような気がするんですよね。だから、作品を提供する責任としては。してはならないと思っています。
Q)イルカさんの歌には、たとえば「はるじょおん ひめじょおん」とか「けさらん ぱさらん」とか「こころね」とか、新鮮な言葉がたくさん出てきます。
そうですね。8年くらいまえに、ラプンツェルって言葉を歌詞に使ったら、「そんな言葉は誰も知らないからやめた方がいい」って、ある人に言われたことがあったんですけど、「それなら、調べればいいじゃない!」って思いますね(笑)。)、「そのことだけでも一つ知ればいいじゃん!」って(笑)。もし、誰もが知っている言葉だけで詞を書かなきゃいけないってことにしたら、つまんないと思いますね。「いかに誰も使っていない言葉を探し出すかってことも楽しみなんだから!」って思いますね。そしたら、今年、ディズニー映画で「塔の上のラプンツェル」ってのがくるんですよね(笑)。
Q)イルカさんのメロディ、言葉、歌声は、今も昔も、とても優しいですよね。
ありがとうございます。でも、私、そんな優しい人間ではないんですけど(笑)。ただ、絵本書いた時もそうなんですけど、汚いものにフタをして、見ないようにしましょうって気持ちは全くないの。真実は真実なんですよ。ただ、真実のきたない部分を見ないんじゃなくて、それを見たうえで、どう表現するかってことだと思うんです。たとえば、ただ「きたない」って、そのまま言ってしまったら、何の作品にもならないと思うんですよね。それを、いかに、「真・善・美」って言葉があるように、真実があって善意があって、そこに美という作風というか創造がなければ、音楽としてのアートがないって思いますね。
Q)そこがイルカさんの根幹ですね。
やっぱり、表現者としては、美ってことが、ただ単に綺麗なものだけじゃなくて、にごったものでも、そこに美しさを感じてもらえるように表現することが、私たちの役目だと思うんです。どんなに恐ろしくすさまじいものでも、それがみんなの心に美しく入っていくかもしれないじゃないですか。だから、人殺しも戦争でも、「見ないでくださいね」とは絶対に言わない。それを、ちゃんとわかったうえで、「私たちは、もっともっと美しいものを求めていきたいよね…」って思うんです。
Q)イルカさんの歌詞には、「女はつらいよ」とか「はんぶんこ」みたいな素敵なラブソングもありますが、最近もコマーシャルで再び使われている「まあるいいのち」に代表されるような、命や自然、生き物をテーマにした歌が多くありますが、それらが生まれてくるバックグラウンドは何でしょうか?
子供のころから生き物がとても好きで、野生生物の仕事をしたいって思ってたんです。だから、小さいころから、動物や、ちっちゃい虫とか、石ころとかと遊んだりして、そういうものたちと心を通わせるってことに喜びを感じている子供だったので、そういうものたちに役に立つ仕事がしたいって思ってましたね。子供ながらに、そういうものたちから「心を育ててもらっているんだな」ってことを感じてたんですね。
Q)その感受性はすごいですね。そういうことが数々の作品につながっているんですね。
人間とそのほかの生き物の間にある壁に理不尽さを感じていて、怒りのかたまりだったですね、子供ながらに。「なんで、この生き物はこうやって捨てられていなきゃならないんだ?」「なんでみんな見ないようにするんだ?」とか思ってて、「どうして?」って大人に聞くと、「だって人間は偉いんだから当たり前だ」とか「大人になればわかる」とか、だいたいそんなようなこと言うんだけど、そのことに関しては、ものすごい怒りを感じていて、「絶対そんな大人にはなりたくない!」って思ってました。大人になって変わってしまった部分もあるかもしれないけど、でも、その幼いころに感じた理不尽さや怒りを、私がいつまで持ち続けることができるかってことが一つの課題のようなものだったと思うんですよね。いろいろな生き物が私のまわりに現れて、メッセージを投げかけてくれてきて、そこからいろんな作品が生まれたんですね。
Q)それは、まさに、名曲「いつか冷たい雨が」ですね。すごく衝撃的で悲しい気分になる歌ですよね。
あれも当時としてはかなり長かったから短くしろって言われましたけど(笑)。でも、みんな、ああいう気持ちってあるでしょう? それって、「あきらめたりとか、自分をごまかしたりして生きてくことじゃないの?」って子供心に思ってたんですよね。あの歌は、机の上で想像して理論的に作った歌ではなくてね、本当に死にそうになった犬に会った時に感じたことをそのまま詞にしたんです。大人になっても何も解決できない自分の無力さ、そういう自分自身に対する怒りみたいなものもありましたね。 |