「ゴールド・ディガーズ」の20年前の話。

 2023年9月13日に“a flood of circle”が新曲「ゴールド・ディガーズ」をリリースしました。同曲は、ホリエアツシ(ストレイテナー)がプロデュース。MVの映像ディレクションはShun Mayamaが担当。佐々木亮介(Vo)からMayamaへのラブコールにより実現したMVでは、なんとメンバー全員が“学ラン”を着用するという、これまでのa flood of circleからはかけ離れたビジュアルとなっております。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“a flood of circle”の佐々木亮介による歌詞エッセイをお届け! 綴っていただいたのは、新曲「ゴールド・ディガーズ」にまつわるお話です。自身のストレイテナーとの出会い。そして、ホリエアツシと共に曲を作っていくなか学んだことは…。歌詞と併せて、エッセイをお楽しみください。



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「ゴールド・ディガーズ」の20年前の話。
自分がストレイテナーの曲を初めに聴いたのは高校生の頃、2003年の「TRAVELING GARGOYLE」で、東京江東の実家で何気なく付けていたテレビからミュージック・ビデオ(当時はプロモーション・ビデオという、もっとドライな言い方だったけど)が流れて来た時だった。
すぐに好きになった。
 
イントロはシンプルなビートで、ギターが複雑なボイシング(和音を構成する音がすぐには聴き取れない感じ)で隙間を作りながらリフを刻んでいく。
余計なものがない。
ビデオとしては、ヴォーカル&ギターとドラムス、2人のメンバーが海に向かって演奏をぶつけている様を背後からのカメラワークで見せるシンプルなもの。
映像にも余白が多い。
歌い出したヴォーカルのイライラしたような語尾が、17歳の自分の耳に刺さってくる。
何故だろう。
歌詞に出てくるような「レコード」じゃなくて自分の場合は大体中古のCD、もしくはそれをコピーしたMD(知ってる?ミニ・ディスク)だったけど、歌詞に出てくるようにそれらが「散らばった」部屋で寝転がっていたからだろうか。
名前が気になってテレビ画面の左下を見ると「TRAVELING GARGOYLE」と書いてある。
GARGOYLE? なんて読むんだろう。
分からないままサビが来る。
あ、ガーゴイルって歌ってるのか。
あのヨーロッパの古い城の高いところについている魔除けの石像みたいなやつのことかな。
ドラクエのモンスターみたいなやつ。
そんな言葉を冠した曲を、それをサビで叫ぶ曲を、他に聴いたことがない(いやその後だって無い。今、歌ネットの検索欄にGARGOYLEと入力して検索してみたら分かる、これしか出てこない)。
なんだこれ?
すごく気持ち良いメロディー。
内側から焦りが溢れ出すみたいに、でもどうにかそのエネルギーをギリギリで制御してリズムを打ち出してるみたいな、力強いビート。
っていうか2人組のバンドなんだ?
そんなのアリだったのか。
そのガーゴイルは、次の時計台を目指して飛び去っていくらしい。
 
後になってこの曲が入ってるアルバム『LOST WORLD’S ANTHOLOGY』を聴いて、共感と脅威を感じた。
 
「TRAVELING GARGOYLE」の<雪に埋もれた町>というフレーズもそうだし、ヨーロッパ的なイメージは他の曲でも登場する。
例えば“国境を越える列車”というワードは地続きに小さな国が並ぶ大陸的なものだし、そのせいか鐘/塔/湖とか日本にもあるものさえヨーロッパ的なイメージで伝わってくる。
自分は子供の頃、7歳から13歳までブリュッセルとロンドンで過ごしてきた。
地震がない国では古い建物がものすごくたくさん残っていて、そのせいか良くも悪くも古いものの支配力が強く、城と教会と戦争の跡が観光名所になる。
歴史や文化がゴチャゴチャに混じっていて寛容なところもあるけど、6年間他所者として過ごした実感が自分には残っている。
それと17歳当時に生活していた下町のギャップを、時計台を行き交うみたいに日本語のガーゴイルが繋いで、それも同じ一つの世界だと感じさせてくれた…のか? 話が大袈裟だな、おい。
ただとにかく、それまでどこの生活も長続きしないで所在なく感じていた自分には『LOST WORLD’S ANTHOLOGY』がとても肯定的に響いた。
 
今「TRAVELING GARGOYLE」のビデオを見ると、全然顔を映さない背中ばかりの2人の姿が、それだけで世の中に立ち向かっているようにも見える。
実は歌の内容と反対で、どこかへ飛んで行こうというより、自分でい続けようとする決意のような。
そんなバンドは見たことがなかった。
 
 
2
ストレイテナーのホリエアツシさんがプロデューサーとして参加してくれて生まれたa flood of circleの一番新しい曲「ゴールド・ディガーズ」。
これを作っていて学んだのは、譜割りにこだわることで生まれるものがあるということ。
「譜割り」って言葉を自分が正しく操れているか怪しいところなんだけど。
例えば歌の譜割りを決める、というと、それはメロディーを形作る音階やリズムの正確な場所を設定すること、だと思っている。
多分。
自分が曲を作る時、一旦メロディーを決めても、その後は歌う言葉次第でメロディーも流動的に変えながら最終的な形を決めていく。
「ゴールド・ディガーズ」を作るにあたって、まあいつも通り歌詞に悩んでいたら、ホリエさんは「歌の譜割りをいい加減にしないで先にちゃんと設定した方が、歌うべき言葉が出てきやすいと思うよ」とアドバイスしてくれた。
実際、メロディを決めて言葉がハマらなかったらメロディを優先して必要な言葉を探し直す、というやり方で今回は挑戦した。
Aメロは全て1拍置いてから歌い出すとかBメロは全て3連符で歌うとか、メロディーにルールを設けて言葉を探したから、その辺りにも「ホリエ節」のようなものを聴き取る耳の肥えたストレイテナーのファンもいるかも知れない。
自分だけで作業していたらもっとイレギュラーでいい加減なメロディーが増えていたと思う。
レコーディングの時もホリエさんが一番こだわっていたのは歌の譜割りだった。
例えばBメロの<だから何だよ>の<だから>のまとめ方とか、サビの後半の語数が多くなってからも一つ一つの言葉を丁寧にメロディーへ収めたり、ホリエさんに調整してもらった。
その結果、今までa flood of circleにありそうでなかった曲に仕上がったし、ホリエさん曰く「面白格好良い曲」が生まれた。
 
 
3
a flood of circle「ゴールド・ディガーズ」とストレイテナー「Silver Lining」のリリース日が近かったため、共同でイベントをやったら楽しいだろうと思いついて、「下北沢線路街空き地」という名前の野外スペースを借りて自分とホリエさんによる弾き語りライブを開催した。 
その際ストレイテナー「246」を2人で演奏したんだけど、横並びで一緒に歌いながら、自分はホリエさんの歌から溢れ出る「25周年を迎えたバンドマンの凄み」を強烈に感じていた。
「246」は国道246号線にまつわる歌で、この歌の主人公は車を転がしながら人生を振り返っているように思える。
淡々と、時々エモーショナルに進んでいくビートの上で、諦めとも悟りとも取れるような心境を歌にしていく。
ホリエさんはその日「吉祥寺」という曲も演奏していたんだけど、自ら意志を持って望んで変化してきた今のストレイテナーは、「TRAVELING GARGOYLE」のようにどこかに飛び去ったりしないし、時計台も城も湖もない現代東京の街の地面に足をつけて生きている感じがある(ちなみにホリエさんは東京中の美味い店を知っている。超モテそう)。
バンドの歴史はまだまだ途中だとしても、誇大妄想的に壮大なイメージが歌になったファースト・アルバムから、25年間で実際に壮大な景色も勝ち得て、その間の激しい変化も併せて過去を受け止めながら、ただいつもの国道を進んでいくような歌。
 
 
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ホリエさんは普段から優しいし感動的な歌を作る人だけど、常に皮肉や攻撃性を絶やさず心根に持っている節もあって、古くは「Killer Tune」、割と最近だと「倍で返せ!」のような、意味や物語を否定するみたいに作られた乱暴なリフや歌詞も素晴らしい。
「Killer Tune」で歌われる「チュチュンチューン」のニュアンスに満ちている「世の中舐めてる感」なんか、聴いててすごく嬉しくなる。
 
「ゴールド・ディガーズ」では音も歌詞も(ビデオも)ふざけて作った部分がたくさんある。
自分の生真面目さと不真面目さを理解し受け止めてくれたホリエさんの器の大きさに感服しつつ、生意気を言えば、自分とホリエさんの波長が合っていたから生まれた曲、歌詞だとも思う。
「TRAVELING GARGOYLE」の20年後の話。

<a flood of circle・佐々木亮介>


◆紹介曲「ゴールド・ディガーズ
作詞:佐々木亮介
作曲:佐々木亮介