創作という対話

 2025年2月26日に“月詠み”がMini Album『それを僕らは神様と呼ぶ』をリリースしました。ユリイ・カノン執筆の小説を元に展開してきた「導火」「死よりうるわし」ほか、表題曲「それを僕らは神様と呼ぶ」に加え、新録の楽曲、この作品のために書き下ろされた小説を含め、月詠み 2nd Story『それを僕らは神様と呼ぶ』の全てが明らかになる作品が完成。
 
 さて、今日のうたではそんな“月詠み”のユリイ・カノンによる歌詞エッセイをお届け。綴っていただいたのは、月詠みの基盤となっているもの、ユリイ・カノンならではの創作方法のお話です。そして、自身にとっての創作とは…。ぜひ今作と併せて、エッセイをお楽しみください。



月詠み 2nd Story『それを僕らは神様と呼ぶ』は小説と音楽が連なる作品。
物語によって楽曲の世界が広がり、楽曲は物語をより強く色付ける。
小説の為の音楽であり、音楽の為の小説でもある。
 
自分はユリイ・カノンという名でインターネットに楽曲を公開し始めたけれど、自分にとっての創作の始まりは音楽ではなく小説。
中学生になってから本を読むようになって誰に見せることもない小説をひっそりと書いた。
音楽を始めてから小説を書くことは減った。
それでも頭の中にはいつも物語があって、やがてそれを歌詞や音で表現していくという作り方をするようになった。
それが後の物語音楽プロジェクト、月詠みの基盤だったのだと思う。
 
自分の書く歌詞は間違いなく自分から生まれた言葉ではありつつも、その楽曲の語り手であり主人公である人物の言葉で書く。
語り手や登場人物の言葉遣い、思想、心情を歌詞にしてきた。なので、楽曲同士で別々の考えを持つものがあったり、矛盾が生まれることはある。それは意図的だったり無意識のうちにだったり。
 
月詠み1st Storyはユマとリノという二人の音楽家が主人公の物語で、1stの楽曲の多くはその二人が作った曲をイメージして作ったもの。
二人は互いの存在に影響を受け合いながらも、最終的には違う生き方を選ぶ。
どちらが正しいというわけでもなく、それぞれが選んだ道で、そこに至るまでの葛藤や想いを綴っている。
二人とは言いながらも、ユリイ自身の思想の一部には変わりない。
生きている中で変わったもの、失っていたもの、そういったものを掘り起こして植え付けるような感覚で、自分自身に混在する思想や感情を分け与えたような存在。そうして生まれた人物はそのうち自分から剥離して、やがて自分とは違う人間になって一人歩きを始める。
 
2nd Story『それを僕らは神様と呼ぶ』も、同じく二人の主人公であり、これも自分の中にある、矛盾にも似た錯綜した感情から生まれたもの。
生と死を主題とし、生きる意志や希死念慮、希望と絶望、充実と不足、出会いと喪失、といったものを書いた。
『生きる理由』みたいなもので言えば1stもそれが一つの大きなテーマではあったけれど、今回はもっと重たいものにしたかった。
自分が抱える感情のうちの、いくつかの到達点のようなもの。
決して優しい物語ではないし、はっきり言うとかなり苦しくつらい話ではある。
しかし自分にはそんな必要だったし、誰かにとっても何か考えるようなきっかけになるかもしれない。
 
自分の為の作品でもあるが、それだけに留めるような紐付けの仕方はあまりしたくない。
完全な答えが用意されているというのは退屈になってしまう。
小説の為の音楽であり、音楽の為の小説でもあり、そしてそれを受け取ってくれる人の為の作品でもある。
どの作品にも共通しているのは、聴いた人・読んだ人の中で新たな物語が生まれる可能性を持っていること。
音楽は、何かを伝えるという点では少し不便な部分がある。でもだからこそ、その曖昧さや不明瞭さがあることで寄り添える部分もあるとも思える。
好きなように受け取ってもらえるのが一番良いと思う。
 
自分にとっての創作は、問いを投げかける行為でもあり、自身との対話でもある。
ひたすらに何かを探し続けている。自分を納得させられる物を求めている。
とても無意味なことかもしれない。
しかし、そうして迷い続けるというのは、歩みを進めていることとも言える。
 
<月詠み・ユリイ・カノン>


◆Mini Album『それを僕らは神様と呼ぶ』
2025年2月26日発売

<収録曲>
1 死よりうるわし
2 夜明けのラズリ
3 心燃ゆ
4 ナラティブ
5 秋うらら
6 導火
7 ハクメイ
8 それを僕らは神様と呼ぶ