ずっと頭の片隅にあった『; semicolon』を、今。全11曲入りニューアルバム!

 2025年3月5日に“yama”が4th Album『; semicolon』をリリースしました。今作に収録される新曲には、indigo la End、堀江晶太、maeshima soshi、Matt Cab、Taka Perryなどが楽曲制作で参加。全11曲が収録されております。インタビューでは、タイトル曲「semicolon」を始め、yamaが歌詞を手掛けた「TORIHADA」や「Film」、「雫(prod. indigo la End)」のお話をじっくりお伺いしました。完璧になれない自分を許せず、最初は創作意欲も湧かなかったというyama。そんな自身が少しずつ、人間味を出し、自分の思いを歌で伝えるようになっていった、その軌跡にも注目です。ぜひ、今作と併せて、歌詞トークをお楽しみください。
(取材・文 / 井出美緒)
semicolon作詞:yama 作曲:yama・上口浩平望みさえすればどこまでも行ける そう思っていたあの頃を思い出して
不確かなまま息をしてた僕は 深い霧から目を醒した
今を結ぶセミコロンは ここにあるから
もっと歌詞を見る
最初は「誰も自分に注目しないで」と本気で思っていました。

―― yamaさんは子どもの頃、ポエムや歌詞などは書かれていましたか?

photo_01です。

まったく書いていなかったんです。そもそも文章を書くのも、気持ちを言語化するのも苦手なほうで。読書さえ慣れていませんでした。4年前に上京して、「自分でも曲作りをしてみよう」というタイミングで、見よう見まねで歌詞を書き始めた感じですね。それで初めて書いたのが「天色」という曲。そこからインプットを増やしたいと思うようになり、少しずつ詩集を読み始めたり、文字に触れたりするようになっていきました。

―― もう少し遡り、yamaさんが人生でいちばん最初に音楽に感動した記憶というと?

原体験としては、歌ったとき唯一、まわりのひとに褒められたこと。「そうか、自分には何も取柄がないと思っていたけれど、歌えば認めてもらえるんだ」と思って、歌を始めました。

影響を受けた面でいうと、物心がついて音楽を聴くようになったとき“東京事変”に出会ったことが大きいですね。最初のきっかけは「透明人間」という楽曲で。それこそ歌詞が大好きなんです。<僕は透明人間さ きっと透けてしまう>とちょっと疎外感のある始まりなのですが、最後には背中を押してもらえるというか。この曲を聴いたときの感動はよく覚えています。

―― ただ、そこから「椎名林檎さんのような歌詞を書きたい」とか、「自分もバンドをやってみたい」という方向には行かなかったのですね。

はい、不思議なことに。まず林檎さんは特徴的な日本語遣いをされていて、子どもからしたら馴染みのない言葉も多く、カッコいいなぁと眩しく思っていたんです。ただ、自分自身がそうなりたいとも、なれるとも思わなかったんですよね。それよりも、自分しか表現できない唯一無二な何かを追い求めていたのかもしれません。

バンドにも憧れはありましたが、地元が田舎だったので、そういう文化がないというか。楽器に触れるような環境もなくて。だからバンドよりボーカロイドのような、インターネット上だけで楽しめる音楽に、学生時代はどんどん興味を持つようになっていきました。そこから「歌ってみた」の制作を始めたりして。

―― 当初は、どんな理想のアーティスト像を描いていらっしゃったのですか?

何も考えていませんでした(笑)。ただただ趣味でやっていた感覚で、本気で音楽で食べていこうなんて気持ちはほぼなくて。でも、漠然と「継続したい」とは思っていたかな。働きながらでも、音楽以外のことをやりながらでも、傍らで音楽に触れ続けていたいなと。そんななか、もう本当に数パーセントのわずかな期待で、「音楽で食べていけたらいいな」と。まさかそれが実現するとは…。

―― その数パーセントのわずかな期待が、「音楽の道でやっていこう」という覚悟に変わり始めたのはいつ頃でしょうか。

2020年に「春を告げる」が多くのひとに聴かれるようになり、そのタイミングでスタッフさんに、「ライブをやらないか」と言われて、上京したときですね。でもしばらくは歌うことで精一杯だったのもあって、創作意欲までは湧きませんでした。むしろ「自分が曲を書く意味なんてないな」と思っていましたね。

だって、作詞作曲をされているプロの方たちがいらっしゃって、素晴らしいものを楽曲提供で書き下ろしてくださるから。それがまわりの方に促されてようやく、「歌詞を書いてみようかな」となって。そこからさらに音楽でやっていく覚悟が強くなっていった気がします。

―― また、yamaさんといえば、目元のみを覆うこの仮面が特徴的です。今、素性を明かさないアーティストの方も多いですが、全身を隠すわけではなく、顔もすべてを隠すのではなく、ちゃんと“生身の人間”がいらっしゃる感覚が強いのは、yamaさんのいろんな思いのバランスが反映されているのかなと。

たしかにそうかもしれません。最初は正直、フルフェイスマスクがよかったんです(笑)。だけど口元が大きめにあいてないと、声がこもってしまうから。

―― 物理的な問題で目元だけに(笑)。

でも、結果的にはおっしゃるとおりで。もともとは自分の弱さがあったから、「人前に出たくない」とか、「せめて仮面をしたい」という思いがあったんですけど。今現在、こうして自分の口で自分の思いを伝えたり、表現したりして、人間味を出し始めることができている。それは、半分マスクという形にしたからだろうなって。完全にミステリアスな像で始めていたら、なかなか人間性が伝わらなかったし、伝えられなかった気がします。

―― 最初、ご自身で歌詞を書く際にも葛藤があったのではないでしょうか。自分らしいものを表現したいという気持ちと、自分を出しすぎたくない気持ちと。

まさに。もう…大変でした(笑)。最初は「誰も自分に注目しないで」と本気で思っていました。別に、自分が思っていることを他者に伝えたくないし、知られたくないし、歌詞も書きたくないって。でも、それがだんだんグラデーションのように変化していったんですよね。「もっと自分が思っていることを伝えたいな、知ってほしいな」と思うようになっていった。そうしたら自然と、歌詞でも伝えたいと思うことができてきたんです。

―― どうして「他者に伝えたい」という気持ちが育っていったのでしょう。

「完璧な自分」ではないことが、自分自身ずっとイヤだったんですよね。だらしない部分とか、ちょっと抜けている部分とか。それはいい意味でいうと「人間味」なんですけど。自分で自分を許せないから、ダメな自分も誰にも知られたくなかったというか。でも、たとえば、自分のそういう部分がライブで垣間見えたとき、意外とお客さんがおもしろがってくれたり、共感してくれたり、より人間として興味を持ってくれて。

―― それによって、「完璧な自分」ではない自分を許せるようになっていった。

そうなんです。「そうか、ありのままの自分を見せたほうが、受け入れてもらえるのか」という自己肯定に繋がって。そこから徐々に、アウトプットも恐れずにやっていこうかなという気持ちに変化していきましたね。

歌詞って自分の一部じゃないですか。たとえフィクションだとしても、そのひとの経験やインプット、人生がどこかに滲み出る。それって自分の中身を見せることと同じで。だからこそイヤだと思っていたんですけど、今はむしろ「見せたいな」と思えるぐらいになりました。まだすべてをさらけ出すのは難しいけれど。

―― どれぐらいのさじ加減で、ご自身のことを歌詞に書かれるのですか?

実は、芯には超具体的な出来事や感情、ストーリーがあるんですよ。ただ、それをそのまま書いてしまうと生々しくなってしまうなと。どうデフォルメしていくかをかなり考えますね。抽象度を都度、調整しています。余白を作っていろんな捉え方ができるようにするというか。ゆえに「わかりづらい」とか「硬い」とか言われることが多いんです。自分なりにストレートに書くときもあるんですけど、難しくなりすぎないよう気をつけています。

―― 今、作詞はお好きですか。

好きです。苦しいけど、大変ですけど、好きだと思います。自分の場合、情景的というか、視覚的に歌詞を書くことが多いんですよ。それをうまくアウトプットできたとき、嬉しいですね。

―― 視覚的に歌詞を書くとは、どんな感覚なのでしょう。

言葉にするのが難しいけれど…。そもそも自分にとって、音楽自体が視覚的なんですよね。いろんな色によって構成されているもの。歌うときも、映像が思い浮かびます。ライブでうまくいっているときは大体、歌に集中しているというより、脳内に映像がブワーッと流れていて、ゾーンに入っているんですよ。それは歌詞を書くときも同じで。音から思い浮かべた映像を、言葉で表現していくという感じです。

―― 常に制作の始まりは映像なんですね。

ライブの場合は毎回ではなく、ゾーンに入ることができたときだけ、映像が流れてくるんですけど。制作時は基本的に、いつも何かが見えています。だからこそ難しいんですよ。「この映像をどう言語化しようか…」というところから始まるので。どちらかというと、脳内では先にMVのほうができあがっていたりします。それぐらい常に映像が流れていますね。

123