ファンの子が手紙と一緒に「;」マークのリングをくれて。

―― アルバムタイトル『; semicolon』とは、“関係のある2つの文章を繋ぐ、あるいは文章を終わらせずに続きがあること”を意味する言葉ですね。このタイトルには、どのようにたどり着いたのでしょうか。

自分がまだライブをし始めたばかりの頃、ファンの子が手紙と一緒に「;」マークのリングをくれて。その手紙に「;」の意味が書いてあったんです。少し前の海外のトレンド文化で。精神疾患を抱えていたり、何かトラウマがあったり、生きづらさを感じていたり、そういう方が、「過去の自分に区切りをつけて、新たな自分で再出発をしよう」という意味合いでタトゥーを入れるんだそうです。

素敵な概念を教えてもらったと思ったし、大切で、あたたかいメッセージをいただきました。でも、だからこそ当時、「今の自分にはこれを歌にするのは難しいな」と思ったんですよね。自分に対して許せないことがあまりに多すぎて。家に帰ってずっと自分を責め続ける日も多かったし。それでも、「いつか成長して、自分自身を許せたとき、このタイトルで作りたい」とずっと頭の片隅にあった言葉が『; semicolon』で。

―― 許せなかったのは、先ほどもおっしゃっていた「完璧な自分」ではない部分ですか?

photo_01です。

はい。「ライブやりたくない」とか思ってしまう自分がイヤ。思い切ってステージに立って、緊張も感じさせないぐらい完璧なパフォーマンスをできるわけでもない自分がイヤ。もう、すべてが許せませんでした。今思えば、自分はカリスマになりたかったのかもしれないですね。非の打ち所がないスターみたいな人間に。じゃあ、完璧になるために死ぬほど努力をしたかといったら違う。それすらもできない。

―― 死ぬほど努力できないことが、また自己嫌悪に繋がって…。

しかも、歌もそうですけど、飲み込みがいいほうじゃないんですよ。ひとの何倍も努力して、ようやく平均に追いつけるぐらいの感覚。そういうなかで、自分なりに一生懸命はやっているけれど、追いつかない葛藤もあったり。とにかく自分に対して、「なんでお前はできないんだよ!」と思い続けていました。

―― でも、そんなご自身を今、許すことができた。というより、「許そうと思う」という覚悟の『; semicolon』ですかね。

ああ、そうかもしれません。多分、そうだ。すべてを許せたわけではないんです。だけど、ひととの関わりだったり、ライブでの成功体験だったり、ファンの方々との通じ合っている感覚だったり、そういうものが積み重なって成長して、自己肯定に繋がって、少しずつ人間味を出せるようになった。そして、完璧ではない自分をようやく許そうと思えるようになってきたから、このタイトルを使うことができたんだと思います。やっと、ですね。

―― 「;」のリングをくれたファンの子も嬉しいのではないでしょうか。

インディーズの頃から応援してくれているファンの子だったので、とても印象的で。当時、インターネット上で活動していたので、「聴いてくれているひとがいる」という実感があまりないわけですよ。まだお客さんの前でライブもしてなかったし。けど、その子はよく応援のメッセージを送ってくれて。そのなかでも「;」のことはずっと心に残っていたので、本当にありがたい。きっと、このアルバムも聴いてくれていると思います。

―― アルバムと同タイトルの楽曲「semicolon」はどのように制作されたのですか?

まず『; semicolon』という概念があって、そこから歌詞を先に少し書いたんです。いちばん最後の<今を結ぶセミコロンは ここにあるから>というワンフレーズは、核として絶対に入れようと思って。あとは<曖昧な境界線の上で 転がり落ちそうになって>という冒頭も。実際に自分自身、中途半端な自分を許せなくて葛藤していたし。綱渡りしている感じというか、今にもやめてしまいそうな自分もいたあの頃を、かなり素直に書きましたね。

―― 1番Bメロの<感情に自由でいるって そんな身軽さは無かった>というフレーズも、わかるなぁ…と。

ですよね…。これも上京してからの自分のリアルな感覚で。「もっと自分の感覚で、本当に思っていることを言ってもいいんだよ」とか、言われるけれど。自分を肯定して言ってくれているのもわかるけれど。「ずっとこうやって生きてきたんだから、そんな簡単なことじゃないんだよ!」と思ったりして。だから<僕を解ったふりをしないでよ>というフレーズも出てきたんだと思います。

―― そうやってもがいているときって、<君にそっと光添えられて>も気づかなかったりしますよね。それが自分の視野が少し広くなったとき、やっと気づける状態になる。

そうそうそう。もうこの足元の一歩先を見ることに一生懸命だから。あと<そうやってもがく僕の側で 君にそっと光添えられて気付いたよ>というフレーズは、もちろんいろんな聴き方をしていただきたいんですけど、自分にとっては“自分 対 自分”なんですよね。本当は“<君>=自分を肯定していた自分”も、ずっとそこにいた。でも、それを弾圧していたのも、無視していたのも自分で。まさに、少し冷静になって心に余裕ができたとき、気づけるものは多いだろうなって。

―― yamaさんが「semicolon」でとくにお気に入りのフレーズはありますか?

難しいけれど…、<投げだした日々拾いあつめた 結び目のない生命にぎりしめて いたいけなまま息をしてた君が 息絶えぬように音を紡ぎ出したら>という4行は、綺麗に書けたなと思います。

―― とくに<結び目のない生命>という表現にグッときました。誰もがそこから今の自分に地続きで繋がっているんですよね。

はい、それがちぎれちゃったら、もう終わりだから。不器用だった自分だって、今はこうして自分なりに音楽をやっていて…。サビの<望みさえすればどこまでも行ける そう思っていたあの頃>というのは、子どもの頃の自分を重ねているんです。多分、みなさんの心にもずっといると思うんですよ。時には、そういう“内なる子どもの自分”を思い出して、その声を聴いてあげてほしい。そんな気持ちをうまく表現できたなと思います。

―― 個人的には<装いながら生きながらえて いつの日か遮るものなく いられるように>というフレーズも、おまもりのようでパワーをいただきました。

ああ、嬉しいです。本当にそれぞれにとってのお守りみたいな曲になったらいいな。やっぱり日々、物理的にも精神的にも、何かしらの障害があるじゃないですか。自分が自分でいられない瞬間、装わなきゃならない瞬間だってたくさんある。それでもね、“内なる子どもの自分”を守ってあげられるのは自分しかいないから。「大事にしてね。自分も大切なことを忘れないでいたい」と、思いながら書いた、大切な1曲になりましたね。

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