東京の大手芸能プロダクションサンミュージックにスカウトされ、1992年、女優としてデビュー、1997年頃までテレビドラマや映画に出演していた。1998年4月8日にシングル「poker face」でデビュー、1999年1月1日発売の1stアルバム「A Song for ××」でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。女子高生のカリスマとして君臨。また、「Boys & Girls」と10thシングル「A」がミリオンセラーを記録し、同年NHK紅白歌合戦に初出場。24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞。以降2002年に「Voyage」、2003年に「No way to say」で史上初の3連覇を果たす。2001年発売「BEST」は429万枚の売り上げで、歴代セールスランキング6位という記録を持っている。
1998年12月シングル「Automatic / time will tell」でデビュー。印象的なR&Bのサウンドやプロモーションビデオ、また宇多田が弱冠15歳で作詞作曲を手がけ、アメリカでデビューしている帰国子女である事や、かつての演歌歌手・藤圭子の娘だという事など、多くの話題性で一気にその存在を強く印象づけた。その結果、デビュー曲でいきなりのミリオンセールスを記録。 99年3月、1stアルバム「First Love」を発売。日本で860万枚以上、国内アルバム売り上げ史上歴代一位となる超メガヒットとなる(現在もこの記録は破られていない)。
1999年に17歳でリリースしたデビュー曲「Love, Day After Tomorrow」が売上140万枚の大ヒットとなり、一気にトップアーティストとなった。2nd、3rdシングルもヒットし、ファーストアルバム「delicious way」が売上350万枚を突破(出荷枚数は400万枚)するなど、めざましい活躍を見せた。デビュー当時、MISIAや小柳ゆき、宇多田ヒカルの爆発的なヒットによりR&Bブームが起こり、その中で、親しみやすさを感じさせる歌謡曲の延長線上としてのR&Bテイストの楽曲によって音楽シーンを圧巻。特に2000年は、オリコンチャートの年間シングル・トータル・セールス1位、アルバムとアーティスト別のトータルセールス2位を記録するなど活躍する。