1990年以降、演歌以外は全てJ-POPと呼ばれるようになり、これまで、古典的アイドル(歌謡曲)、演歌、ニューミュージック、ロックなど様々なジャンルの曲が歌謡番組をにぎわしていたが、アイドル黄金時代の終焉と共に、演歌も毎年市場が縮小し、90年代、演歌のビッグヒット曲はほとんど無く、不毛の時代に入っていく。演歌に変わり“とんねるず”などのお笑いグループがヒットを出し音楽シーンを賑わす。また、国民的アイドルグループSMAPが新しい時代のアイドルとしてバラエティ番組などで歌に司会に大活躍。
90年前半は、小田和正が歌った「ラブ・ストーリーは突然に」がダブルミリオン、浜田省吾自身初のチャート1位になった「悲しみは雪のように」など、トレンディードラマからメガヒットが続く。米米クラブやCHAGE&ASKAなども、TV番組とのタイアップで大ヒットを飛す。ドリカムのアルバム「The Swiging Star」が日本初のアルバム300万枚セールスを記録して、90年代は、リスナーのニーズがシングルからアルバムへ変化し始め、アルバムCDが飛ぶように売れる時代になった。
ロック・デュオB'zが「太陽のKomachi Angel」でオリコン1位を獲得。以来No1ヒットを重ね、アルバム、シングルともに総売上トップになり、ビーイング系アーティストのT-BOLAN、WANDS、大黒摩季、ZARD等がチャートを独占。メディアの露出ではなく、タイアップ曲がヒットの中心に。92年にメジャーデビューしたMr.Childrenは94年に「innocent world」でレコード大賞を受賞したが式を欠席、大きな話題を呼んだ。さらに、ミスチルの「Atomic Heart」が300万枚を超えるヒットになり当時のアルバムセールスの記録を樹立。ミスチルのプロデューサー小林武史にも注目が集まり、以後、プロデューサーが音楽シーンの中心になっていく。
「エイベックスレコード」の安室奈美恵を筆頭にtrfや華原朋美、globeなどをプロデュースした小室哲哉作品が大ヒット。同時に沖縄出身のアイドルグループSPEED、MAXなどが大活躍しCDのミリオンが続出。そして、GLAY、LUNA SEA、L'Arc〜en〜Ciel、SHAZNAなどビジュアル系バンドがブームに。
98年、オーディション番組「ASAYAN」からアイドルグループ、モーニング娘。がデビュー、プロデューサーはつんく。同年、Misiaがデビュー、宇多田ヒカルや倉木麻衣など登場で、当時R&B色の強かった女性シンガーを「歌姫」と呼び、ブームになった。
99年には、宇多田ヒカルの1st「First Love」が700万枚を超える記録的大ヒットになり、浜崎あゆみは、若い女性のファッションリーダーとしてカリスマ的存在に、01年からはレコード大賞3連覇を達成して、今もなお、J-POPを代表するクイーンとして君臨し続ける。