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  • 関取花
    会いたくて
    会いたくて

    関取花

    会いたくて

     2025年5月7日に“関取花”がニューアルバム『わるくない』をリリースしました。今年2月に独立を発表した彼女が自身のレーベルより発表する第一弾目のアルバム。全7曲が収録されております。    さて、今日のうたではそんな“関取花”による歌詞エッセイを3週連続でお届け。最終回は収録曲「 会いたくて 」にまつわるお話です。スマホのメモ帳に残っていたワンフレーズ。自身が音楽を続けてきた理由とは。そして、続けてきた先に在ったものは…。ぜひ歌詞と併せて、エッセイをお楽しみください。 生きていると、自分はこの人やこの景色、この瞬間のためにここまでいろんな道を歩いてきたんだなと思う時がたまにある。遠回りをしながら、つまずきながら、何度も諦めそうになりながら、それでもいつか何かに誰かに会えると信じて、歩いてきたのだなと。   生まれた時からそばにいてくれた家族というものに始まり、友人、恋人、仕事、環境、感情と、人は様々なものと出会い、そして別れ、また何かを探しに旅に出てを繰り返して生きていく。   30歳を過ぎた頃あたりから、自分の中でなんというか出会えるべき人たちに出会えているという感覚になることが増えた。20代で膨れ上がった人脈やガッツもいい意味で落ち着いてきて、「結局自分は何を選びたいのか」というところと向き合うようになったのがそのあたりだったのだと思う。   スマホのメモ帳に、「たった一人の恋人と 片手で足りる友達と」というメモ書きを残していたのもその頃だった。べつに歌詞にするために書いたわけではなく、ただなんとなくふと残したものだった。ちなみに私は普段からこういうのをメモするタイプではない。メモしたとしても大体忘れてしまうのだが、なぜかこのワードだけはずっと頭に残っていた。   「会いたくて」という曲を書いたのは1年半くらい前だった気がする。思い出したようにギターを手に取ったある日、「たった一人の恋人と 片手で足りる友達と」のところにメロディーがついた状態でいきなり口から出てきたのだから驚いた。ああ、この瞬間に出会うために音楽を続けてきたんだな、あの時メモを残したんだな、と思った。   大切な人やものに出会えた時、私は同時に自分自身にも出会えていると感じる。自分が心から尊敬し愛せる人やものに出会い、相手も同じように自分のことを思ってくれていたとしたら、これまでの自分が歩んできた道はきっと間違いではなかったと思える。過去の大嫌いだった自分もやるせない日々もやっと肯定してあげられる時がくる。その時、私はやっと私に出会えたと感じる。今の私に出会うために、これまでのすべての自分は必要不可欠だったのだと。   私は私に会いたくて、音楽をずっと続けてきた。その道中で、たくさんの人やものに出会うことができた。会いたくて、会いたくてと手探りで続けてきたその先にいたのは、「わるくない」と思える自分自身だった。   <関取花> ◆紹介曲「 会いたくて 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆ニューアルバム『わるくない』 2025年5月7日発売   <収録曲> 1.わるくない 2.VRぼく 3.いつかね 4.空飛ぶリリー 5.安心したい 6.二十歳の君よ 7.会いたくて

    2025/05/30

  • 関取花
    いつかっていつだ
    いつかっていつだ

    関取花

    いつかっていつだ

     2025年5月7日に“関取花”がニューアルバム『わるくない』をリリースしました。今年2月に独立を発表した彼女が自身のレーベルより発表する第一弾目のアルバム。全7曲が収録されております。    さて、今日のうたではそんな“関取花”による歌詞エッセイを3週連続でお届け。第2弾は収録曲「 いつかね 」にまつわるお話です。みなさんにも「いつか○○しよう」という誰かとの約束、自分との約束ありませんか? 関取花が今、その「いつか」に対して思うことは…。 「いつかあれしようね」「いつかあそこ行こうね」なんて言いながら、結局実現できなかったことはこれまで一体いくつあっただろう。   「守れない約束ならするな」と言ったり聞いたりすることがある。たしかに私もそうだと思う。特に何らかの責任が伴う場合において、守れないくせに口先だけで約束なんてするもんじゃないと思う。でも約束にはいくつか種類があるとは思っていて、守ることが大前提じゃない約束、みたいなものも世の中にはある気がしている。   例えば、私はとある友人といくつかの約束をしている。小さい頃に秘密基地を作っていた丘の上へ今度行こうとか、かつてのバイト先までの道を歩いてみようとか、ネットで見つけた変な店を見に行こうとか。日常の何気ない会話の中でそれらはふっと現れて、具体的にじゃあいつにするという話にはならずに大体は消えていく。   それはべつに適当に話していたわけでもなくて、もちろんお互い行きたくないわけでもなくて、なんならもちろん実現できれば嬉しい。でも実際にどうするかということ以上に、どちらかというと「また会うもんね」とか「私たちならどこに行っても楽しいよね」とか、そういう空気感をやんわり共有することが楽しくて、尊くて、そのやりとりを照れずに何も気にせずにできているということだけで、じゅうぶん満たされるものがあるのだと思う。言葉にはせずとも、「同じ気持ちだよね」という思いを交換できているような。   だからそういう約束は、個人的には必ずしも果たされなくてもいいのではないかと思う。(もちろん果たすことができたのならそんなに素晴らしいことはないが)なんなら、果たされないからこそ永遠に光り輝くものもある気がしている。   でも同時に、「いつか」と思うんだったらそれは今なんじゃないか、と思う自分もいる。単純に果たせないでいる約束という意味ではなく、物理的にその約束がもう果たせないという時が、生きていると必ずやってくる。それは例えば、誰かが死ぬ時。あるいはバンドが解散する時。アイドルがマイクを置く時かもしれない。その時私たちは、ようやく長い夢から覚める。永遠に光り輝いていると思っていたものは一夜にしてあっけなく幻になることを知る。遠い日々を思い出し、幾度となくあったチャンスを見逃してきたことを後悔したりする。   約束というのは難しい。多分正解なんてなくて、だからこそ契約書みたいなものが世の中にはあるのだとも思う。「いつかね」の「いつか」を具体的に設定し共通認識として置いておく。それがあるから「今だ!」という瞬間を見逃さずに行動に移せる部分はきっとあると思う。   契約の話で言うと、私は昨年の12月から所属していたレーベルと事務所を離れ、インディペンデントで活動している。レコード会社との契約も、事務所との契約も、特にない。だって私が所属しているレーベルの長は私だし、私をお世話しているのも私だからだ。   プレッシャーが少なく気楽でいられる反面、「いつかって、いつ?」とせっついてくれる人がいないのもなかなか考えものだなと思う今日この頃である。ともすれば、すべてのことを「いつかね」で流せてしまう状況というわけだ。「新曲作ります、いつかね」「バンドでライブやります、いつかね」「音楽辞めます、いつかね」もう、どれも自分次第でしかないのである。あらゆるタイミングに目を凝らしていないと、すべてを見逃してしまいかねない。でも私の体は一つだし、目は二つしかないし、一日は24時間しかない。ぼーっとしていたら、「いつか」はどんどん通り過ぎて行く。   でも不思議と焦りはない。「いつかっていつだ」という話に繋がってくるのだが、結論、それは神のみぞ知ると思うからだ。どんなに努力をして手繰り寄せた糸でもたった一つの偶然でちぎれる時はちぎれるし、何もしないでサボっていても、玄関まで勝手に「いつか」が歩いてくることだってある。だからあんまり身構えずに、毎日自分のできることを精一杯やって過ごすに尽きると今は思う。そうしたらいつかはそれなりの場所にちゃんと辿り着くんじゃないかな、と。それが思い描いていた「いつか」や「どこか」、「誰かと」じゃなかったとしても。   <関取花> ◆紹介曲「 いつかね 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆ニューアルバム『わるくない』 2025年5月7日発売   <収録曲> 1.わるくない 2.VRぼく 3.いつかね 4.空飛ぶリリー 5.安心したい 6.二十歳の君よ 7.会いたくて

    2025/05/22

  • 関取花
    自虐をやめた日
    自虐をやめた日

    関取花

    自虐をやめた日

     2025年5月7日に“関取花”がニューアルバム『わるくない』をリリースしました。今年2月に独立を発表した彼女が自身のレーベルより発表する第一弾目のアルバム。全7曲が収録されております。    さて、今日のうたではそんな“関取花”による歌詞エッセイを3週連続でお届け。第1弾は収録曲「 わるくない 」にまつわるお話です。空気を読むため、その場に馴染むため、やっていたはずの自虐ネタ。それを“やめた”理由とは。そしてやめてみて気づいたことは…。 ある時から、私は自虐ネタを言うのをやめた。とはいえ、日常のちょっとした滑った転んだ話なんかは全然する。失敗談というのは誰かに話すことで明るく昇華できたり、次からどうするべきかの課題に気付けたりするから、そういう話は今でもよくする。でもそれはあくまでも、「この前こんなことがあったんですよ」という出来事の話であって、「私ってどうせこんなんだから」という根本的な自分自身の人格を下げる話ではない。そう、私がやめたのは後者の方である。   自分で自分を下げることでその場をしのぎ、インスタントな笑いを得る。それによって空気が読める人だ、扱いやすい人だと思ってもらえることは正直ある。"キャラ付け"はわかりやすいほどコミュニケーションが円滑に進むから、面倒な相手の時ほど私はそれを率先してやってしまっていた。   つまり、「この人にこういう風にいじられたり接されたりしたら嫌だな」と思う相手に対して、先手を打つという手法である。その方が外面ではへりくだりながら内心マウントを取れるから楽なのだ。「はいはい、こうすればいんでしょ」、「私なんてどうせ○○なんで」と、言われる前に言われそうなことを自分で言っておくという防御だ。いや、防御という名の見えない攻撃でもあった。   その方向でやると決めたら人間というのは不思議なもので、心のどこかに蓋をしたまま案外突っ走れるものである。大体そういう振る舞いをしてしまうのは長期的な関係性を望まない相手や場の時だから、ある意味、短距離走のようなものである。とにかく今、今さえ走り抜けられれば、と。でも下手くそなフォームで一気に負荷をかけるとどうなるか。その時は騙し騙しなんとかなっても、結果ボロボロになる。   悲しいことに大体の場合それは上手くいった。笑顔の作り方もちょうどいい会話の温度も、それっぽくその場に馴染む方法も、歳を重ねていけば教科書的に学ぶことができるのもまた人間で、「こういう子が一人いるとやりやすいよね」とありがたいことに言っていただけたこともある。   しかし、問題というのは決まって後からついてくるものだ。私たちはいつだって、少し時間が経ってから自分をすり減らしていたことに気づく。他者との関係性が一切発生しない、たった一人で過ごす孤独な時間に、ふと我に返る。帰り道で、湯船で、トイレで、ベッドの中で、「なにやってんだろう」という言葉が一粒の涙となって現れる。   空っぽになった心には四季を問わず冷たく乾いた風が吹き込んできて、雑に過ごした一日を思い返しながら、あらゆる人とのやりとりを反芻する。自分の一挙手一投足に後悔をする。もちろん、相手のことを恨みそうにもなる。「そもそも私にあんな振る舞いをさせたのはあいつらのせいだ」、と。   でもその時に気づく。その"キャラ付け"を先に提案して促していたのは自分自身だったかもしれないということに。   もしあの時、周りの空気や雰囲気に負けずに、あとほんの少しでも自分が誇り高くいられていたら。ちゃんと「嫌だ」と言えていたら。それによって多少、「あ、そういう感じですか」と思われたとしても、恐れず自我を保てていたら何か違ったのではないか。少なくともこんなにトゲトゲになるまで心を変形させずに済んだのではないか。というか、それさえできていたら相手も、「なるほどそういう感じね、言ってくれて助かったよ!」となって、なんなら仲良くなれた可能性だってあったじゃないか、と。   ひょっとしたら、誰もわるくなかったのかもしれない。私は私がこれ以上傷つかないために、自分を守るのに必死だった。傷つけられた過去があるから守ることを覚えたのは紛れもない事実で、必要なことだったとも思う。相手も相手で、そんな私の振る舞いを見てどう攻める(ここでは接するの意味)か考えた。その結果、何かが行き違って、すれ違って、時には傷にもなった。互いの心の中なんて本当の意味で読めるわけなんてないので、出方を見て振る舞い合った結果、というだけの話なのかもしれない。   そうして過ぎ去った日々や関係性を、無理に取り戻そうとするのも野暮である。私たちはただその経験を胸に、前に進むしかない。いや、前に進めばいいのだ。それをいつか違う誰かへの学びや優しさに変えられたら、きっと意味はあっただろう。あの頃、悩んだ時間も乗り越えた自分もたしかに必要なものだったと、最終的にその先にある今が「わるくない」と思えたら、上出来じゃないか。目先の修正も大事だが、最後に残るもの、残したいものをそうやってぼんやりでもいいから見つめておけば、きっとこの先、大幅に道を間違うことはないはずだ。   もちろん、圧倒的に誰かが悪いということも往々にしてある。一方的な勘違いで攻撃をしてきたり、こちらがきちんとメッセージを発信しているにも関わらず自分本位なコミュニケーションをとろうとしてきたりする人は、残念ながら一定数いる。そういう人からは黙って距離を置けばいい。こちらが盾も剣も掲げる必要ないくらい、とにかく遠くに逃げる。それはそれで仕方のないことだし、相手からしてみたらそのような自覚のないことだってある。正論や正義というのは本当に人それぞれだから、説得すればいいという話でもなかったりする。両者共に、「相手が自分の思うような振る舞いをしてくれるとは限らない」ということにいつか気付けたのなら、それでいいんじゃないかと思う。   「あいつがわるい」、「こんな自分が全部わるいんだ」とあまり思いすぎないで生きる毎日は、なかなか清々しいものである。私の場合それに気づけるまで長い時間がかかったが、間違いなく必要な道のりだったとも思う。今はそんなに、わるくない。   <関取花> ◆紹介曲「 わるくない 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆ニューアルバム『わるくない』 2025年5月7日発売   <収録曲> 1.わるくない 2.VRぼく 3.いつかね 4.空飛ぶリリー 5.安心したい 6.二十歳の君よ 7.会いたくて

    2025/05/16

  • 関取花
    何も持たないで いつか辿り着いた。
    何も持たないで いつか辿り着いた。

    関取花

    何も持たないで いつか辿り着いた。

    2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録。歌ネットでは インタビュー も敢行しましたので、ぜひ改めてチェックしてみてください。  さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを5週連続でお届け!今回が最終回です。綴っていただいたのは、8月毎週執筆いただいたこの歌詞エッセイそのものについてのお話。関取花にとって、歌詞とは、言葉とは。そして、いつか“自分にぴったりの光”に出会えるかもしれないそのヒントとは。最終回、最後までお楽しみください。 今回の歌詞エッセイの連載もこれで最後になるわけだが、今、私は非常に困っている。なぜなら書くことがないからだ。   歌詞エッセイといっても、特に「こういう感じで書いてください」などという指定をされているわけではなく、その歌詞をテーマにした文章なら基本的になんでも大丈夫ですよという、書く側にしてみればなんともありがたい内容なのだが、過去4回の連載で逆に私はそれに甘え過ぎてしまった。というか、こんなことを自分で言うのもおかしな話かもしれないのだが、完全にあれだ。ちょっと初回から本気を出し過ぎた。   7月6日にリリースしたアルバム『また会いましたね』の中から、「季節のように」「明大前」「モグモグしたい」「ラジオはTBS」の4曲についてすでに書いてきたわけだが、大体この4つのエッセイを読めば、今回のアルバムの良さも、私という人間のこれまでも、今も、そしてこれからどうしていきたいのかも、なんとなくわかっていただける気がしている。それくらい、それぞれに熱い思いをこれでもかというほど込めて書かせていただいた。   もちろん自分の曲について語るのだから、書こうと思えば書くことなんてまだまだいくらでもある。でも、どうせなら過去にどこでも話していないエピソードを出したいし、何より読み物として面白くないと個人的にいやなのだ。せっかくやらせていただくのなら、私のことを知っている人だけに向けたものではなく、私のことを何も知らない人を振り向かせられるようなものにしたい。そうなってくると、書ける内容というのは、クオリティーのことも含めて考えると案外限られてくる。   特に、この歌ネットさんという歌詞サイトにアクセスする方々というのは、そもそも“言葉”がちゃんと好きな層だと思うのだ。音楽が配信文化になり、歌詞カードを見ることもすっかり減った昨今だが、それでも“言葉”に興味を持って立ち止まってくれる人は絶対にいると信じて、私はいつも歌詞を書いている。 願わくは、そういう人たちに歌詞そのものもある種の文芸作品として楽しんでもらいたいと、基本的に歌詞だけ読んでも読み物として成立するようにと、いつも心がけている。そんな歌詞にまつわるエッセイを、歌ネットさんで書かせていただくとなれば、当然自分の中でのハードルは上がりまくるわけで、その最終回ともなれば、肩に無駄な力も入る。   というわけで、書いては消し、書いては消し、繰り返すこと∞。すでに最後まで書き切った第5回最終回の原稿を、これまでに3つはボツにした。過去4回のエッセイが、自分でも大きく頷けるほどの大傑作(あえて自分で言う)であっただけに、少々、いや相当頭でっかちになっていたようで、ボツにした原稿はあとから読み返すととてもじゃないが恥ずかしくて読んでいられなかった。 最終回だからいいことを書こうとか、綺麗にまとめようという意図がそこかしこから透けて見えて、文章としてはそれっぽくても、安い自己啓発本のような胡散臭さと香ばしさが頭からお尻までぷんぷんと漂う、私が最も嫌うタイプの文章になっていた。だからそれらは綺麗さっぱり全部ゴミ箱に捨てた。こういうのは割いた時間や書いた文字数がもったいないだのなんだの考えないで、とっととポイして断ち切ったほうがいい。歌詞を書く時と同じである。ダメなものはダメ、次行こう、次。   そうしてできたのが、今みなさんに読んでいただいているこの文章である。何も考えず、友人に喋りかけるように、今思っていることをとにかく率直にキーボードに打ち込んでいったら、気づけばもうあと少しで2000字というところである。一旦ここまでを読み返してみたが、これはこれで他の回とはまた違う味のある、なんともリアルでなかなかいいエッセイじゃないか。   結局、何も持たないで出発したほうが道は開けたりするのである。あれもこれもと背負ってみたところで、思い描いた通りのゴールに辿り着けるとは限らないのだから、何事も考え込みすぎずに取り組めばいい。その中でたくさんの失敗を繰り返しながら、自分が一番輝ける方法、場所を、時間をかけてじっくり探していけばいい。そうしているうちに、いつしか自分にぴったりの光に巡り合ったりするのだろう。あれ、なんかそんな内容の曲あった気がするな。たしか、関取花っていうミュージシャンの「 スポットライト 」っていう曲だった気がするぞ。   ……ということで、なんだか最後は結局茶番感溢れる仕上がりになってしまいましたが(笑)、まあそんなところも私らしいということでよしとしましょう。あらためて、ここまで私の拙いエッセイを読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。書きそびれたことがあれば、間もなく始まるツアーのMCできっと話します。次はライブ会場で『また会いましたね』できたら嬉しいです。それでは、またね! <関取花> ◆紹介曲「 スポットライト 」 作詞:関取花 作曲:関取花   ◆メジャー2nd FULL ALBUM『また会いましたね』 2022年7月6日発売 UMCK-7170 ¥3000+税   <収録曲> 1.季節のように 2.ねえノスタルジア 3.風よ伝えて 4.やさしい予感 5.長い坂道 6.明大前 7.ミッドナイトワルツ 8.道の上の兄弟 9. 障子の穴から 10.モグモグしたい 11.青葉の頃 12.ラジオはTBS 13.スポットライト

    2022/08/31

  • 関取花
    ラジオ ラジオは……。
    ラジオ ラジオは……。

    関取花

    ラジオ ラジオは……。

    2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録。歌ネットでは インタビュー も敢行しましたので、ぜひ改めてチェックしてみてください。  さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを5週連続でお届け!今回は第4弾。収録曲「 ラジオはTBS 」にまつわるお話です。関取花がラジオと歩んできた軌跡を。そしてラジオへの愛とリスペクトを綴っていただきました。歌詞と併せて受け取ってください。 私はラジオが好きだ。大好きだ。ラジオに出会っていなければ、大袈裟でもなんでもなく今の私は存在しない。間違いなく音楽を辞めていたし、人や街の景色、些細な出来事に対して興味を持つこともなかった。ラジオ好きのミュージシャンは多い。でもこんなことを言うのもどうかと思うが、私ほどラジオに救われてきたミュージシャンはなかなかいないんじゃないかと思う。   詳しくは『どすこいな日々』というエッセイ本の中の「ありがとう、ラジオ」という話で書いているのだが、心のバランスが崩れてしまい声が思うように出せなくなった時、たまたまラジオのレギュラー番組のお仕事をいただいた。当時の私は今ほどおしゃべりなタイプではなく、ライブのMCも軽い自己紹介とライブ告知くらいのものだったが、このラジオでのお仕事をきっかけにスタイルを変えた。声が出なくて歌える曲が減ってしまったのなら代わりに喋って繋げればいいと、曲間でMCを挟むようになった。   はじめは探り探りだったが、さまざまなラジオをあらためて聞きあさり、どんな話だと思わず立ち止まって耳を傾けたくなるのかなどを考えていくうちに、それが楽しみに変わっていった。塞ぎ込んで部屋から一歩も出なかった私が、話すネタを探すために外に出るようになった。人と話すのが好きになった。世の中はまだまだ自分の知らないことだらけだとやっと気づいた。そしてそれらの経験や話が、いつか歌になればいいと思えるようになった。あの時ラジオのお仕事に恵まれていなかったら、解決策を何も見出せないまま、とっくにマイクとギターを置いていただろう。   元々ラジオは好きで、最初の出会いはTBSラジオ『極楽とんぼの吠え魂』だった。そこからこの深夜帯の“JUNK”枠を聞くようになり、学生時代はテスト勉強のお供として大変お世話になった。いつもバラエティ番組で見ている時は、ひな壇での活躍が求められたり、他にも司会の方がいらっしゃったり、あるいは進行する側であったり、何かしらの役割がある芸人さんたちが、少し肩の力を抜いて自由にお話しているのがとても楽しかったし、親近感を覚えた。もちろん、それだってたくさん考えられてできたものなのかもしれないけれど、素の部分が少しでも見えるとなぜか安心するのだった。   そう、ラジオの何が好きかって、そうやって誰かの秘密基地をそっと覗いているような気分になれるのが好きなのだ。完成しきっていない自分も、他では出せないガラクタも、弱くて脆くてかっこ悪い部分も、隠し持っていた思い出も、「実はこんなのあってさ」となぜか話せてしまう空間がそこにはある。   私はそんなラジオを聞くことで、「私だけじゃないんだな」と思い何度も救われてきた。そして自分がパーソナリティーをするようになってからは、そういう場所を自分自身が持てたことで救われた。でも、個人的なスペースではなくあくまでもメディアであるから、ただグチグチ、ダラダラと話すわけにはいかない。出口には必ず何らかのユーモアを伴う光があってほしい。そう思いながら話すクセがついたことで、自然と以前より前向きな思考にもなっていった。   また、リスナーの方々との距離感という点でも、ラジオは非常に心地良い。こんな大SNS時代に言うことでもないのかもしれないが、私はSNS上での近すぎる距離でのコミュニケーションが苦手である。個人発信のツールで頻繁に更新される点から、それこそ親近感が湧くのかもしれないが、どんなに好きな相手だとしても、どんなに知りたいことがあるにしても、「太った?」「痩せた?」「なんで○○しないの?」「○○はどうなったの?」など、一方的にぶつけられるやり取りにはやはり抵抗がある。たった一枚の写真を見て判断したり、短い文章の一部分を切り取って反応したり、ツールの特性上仕方のないことだとは思いつつ、文脈というものを一切無視したコミュニケーションを見ていると、なんだかとても息苦しくなる。   その点、ラジオでは全方位的に一定の距離が保たれている感じがする。素の部分は垣間見えるけれど、あくまでもメディアに出ているという自覚が話す側にあるところ。聞く側もそれをわかった上で番組にメッセージを送っているところ。そこには互いの愛とリスペクトをたしかに感じる。   愛だけが勝つと、壁を突き破ってコミュニケーションを取りたくなってしまうのかもしれないが、リスペクトがあると透明な壁を一枚隔てて話をすることができる。私にとってはそれが心地良いのだ。ただ思ったことを瞬発的にぶつけ合うのではなく、相手が何を伝えようとしているのかを理解しようとしながら作り上げていくのがいい。秘密基地はあくまでも秘密基地だ。そっと覗くことはあっても、土足で踏み入る場所ではない。そのルールが暗黙の了解で互いに守られている感じがいいのかもしれない。   話がだいぶというかかなりそれたが、そうやってラジオのおかげでなんとかここまで音楽活動も続けてこられた私が、このたび念願のラジオ番組のテーマソングを担当させていただいた。しかもラジオと出会うきっかけをくれたTBSラジオの新番組で、さらにパンサーの向井さんの番組。   CBCラジオで放送されている『#むかいの喋り方』には、悩める日々を何度救ってもらったかわからない。生きているといいことがあるんだなと本当に思った。「いつまでこんなこと、でも」と続けてきた毎日の先に、いいことなんてそんなにありはしない。でも、何年に一度、いや何十年に一度かもしれないご褒美をたまにもらえることがある。その一つがこのお仕事だった。いや、仕事というよりラジオへの最大の愛とリスペクトを込めて、ただただ曲を書いた。   そんなありのままの気持ちで曲を書いたら、自然と「ラジオはTBS」というタイトルの曲になった。媚びていると思われるかもしれない、他局での仕事を心配されるかもしれない、でも私は信じていた。そしてわかっていた。ラジオはそんなに懐の狭いメディアではない。   この楽曲がリリースされてから、アルバムのプロモーションで全国各地のラジオ番組にゲスト出演させていただいた。するとやはり、これは本当に嘘でもなんでもなく、どこの局のどの番組の方々も、この曲が好きだと言ってくれた。「ラジオはTBSという歌だけど、これはすべてのラジオの歌なんですよね」と、私がこの曲に込めた想いや意図を完全にわかってくれていた。ちゃんとそこを理解した上で、番組でいじってくれたり、他局なのにオンエアしてくれたりした。そして私はもっともっとラジオが好きになった。ラジオを愛する人々へのリスペクトがさらに溢れた。   そう、この曲はラジオというものへの私からのラブレターなのだ。満員電車の中、誰かに怒られたあと、ひとりぼっちの夜だって、君がそばにいてくれた。イヤフォンの向こうから、スピーカーの中から、誰かの声が聞こえてきて、そのたびになんとか明日もと頑張れた。これからも私は数えきれないくらいラジオに救われることだろう。そしてこの曲が、そういう私みたいな誰かの毎日の中のBGM として今日も流れていると思うと、とても嬉しいのである。 <関取花> ◆紹介曲「 ラジオはTBS 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆メジャー2nd FULL ALBUM『また会いましたね』 2022年7月6日発売 UMCK-7170 ¥3000+税   <収録曲> 1.季節のように 2.ねえノスタルジア 3.風よ伝えて 4.やさしい予感 5.長い坂道 6.明大前 7.ミッドナイトワルツ 8.道の上の兄弟 9. 障子の穴から 10.モグモグしたい 11.青葉の頃 12.ラジオはTBS 13.スポットライト

    2022/08/23

  • 関取花
    人生甘くないからね。
    人生甘くないからね。

    関取花

    人生甘くないからね。

    2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録。歌ネットでは インタビュー も敢行しましたので、ぜひ改めてチェックしてみてください。  さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを5週連続でお届け!今回は第3弾です。綴っていただいたのは、今作の収録曲「 モグモグしたい 」に通ずるお話。あるとき気づいた、甘いものとの向き合い方とは。そして、その向き合い方の変化とは…。みなさんはどんなときに甘いものを食べたくなりますか?  小さい頃は、甘いものを食べるのに理由なんていらなかった。ただ食べたいから、そこに甘いものがあるから、おやつの時間だから、ただそれだけ。それがいつからだろう、何かしらの言い訳をしながら食べるようになったのは。   「大人とは何か」という問題について、たまに友人や知人と話をすることがあるのだが、その答えは人それぞれだ。ただ、甘いものとの向き合い方、もしかしたらこれは一つの基準になるかもしれない。大人の定義なんて曖昧だし未だによくわからないが、少なくとも子供の頃は、今より「人からどう見られるか」をそんなに気にしていなかったように思う。でも成長するにつれ、それを基準にファッションや体型、振る舞いなんかについて考えるようになっていった。   これが自分でいうと大体高校生とか大学生くらいの時。でも、この頃はまだ大人とは到底言えない自分だった。なぜならそこには美学があったわけではなく、周りと比べて自分がどうかという基準しかなかったからだ。あの子に比べて太っていると思えばわかりやすく食事を抜いたし、毎日アイスを食べている方が先輩から可愛がられるということに気付けば食べてみたりもした。   音楽活動をするようになってからもそれは続いた。甘いものというのは人を笑顔にさせる不思議な力がある。MCのトークにしても何にしても、甘いもののこと、とりわけ「甘いものを食べすぎた」エピソードというのは私みたいな者にとってはもはや鉄板ネタのようなもので、場の空気が一気に和むし、みんなが親近感を抱いてくれる。   芸人さんやタレントさんのようにいろんな出来事を面白く話せればいいのだが、どんなに憧れたってそう簡単にできることじゃない。その裏にはとんでもない努力と抜群のセンス、生まれ持った華なんかもあるだろうし、小手先で真似なんてしようものなら、滑って転んでさあ大変である。じゃあそういう時にどうするか。たしかなリアルさを持って、私だけが話せるネタってなんだ。そう、自虐ネタである。「私ってこんななんですよ、どうしようもないですよね」という話をすれば、誰も傷つけずにその場をそれなりに盛り上げることができる。   こんな文脈で言うと信じてもらえないかもしれないのだが、私は人を笑顔にするのが本当に好きだ。私のライブを見て一人でも気が楽になって帰ってくれたら嬉しいし、それは私の生きがいでもある。だから自分で言うのもなんだが、サービス精神は旺盛な方だと思う。こういう言い方をすると、「サービスしてあげてる」みたいにとられかねないのでこれもまた難しいのだが、そういうことではなくて、多少自分を痛めつけてでも誰かが笑顔になってくれるのなら本当にそれでいいと思う。なぜならその痛みよりも喜びが勝つからである。いや、これもなんか綺麗事っぽく聞こえるか。なんだろう、とにかくある種のアンパンマンイズムみたいなものである。僕の顔お食べ、的な。   だから私は一時期、みんなが喜んでくれるならと「甘いものを食べすぎた」(甘いものに限ったことではなかったが)エピソードをよく話していた。そして、嘘をつくのは嫌なので実際によく食べてもいた。味の感想も含めて話さないと、それは話にリアリティがなくなってしまうからである。コンビニで新作のアイスが出れば嘘抜きでその度に食べていたし、スタバのフラペチーノの新味も欠かさず飲んだ。いつの日からか、「仕事のために甘いものを食べる」、そんな感覚になっていた(大前提として甘いものは元々好きではあるが)。   でも、人生そう上手くはいかない。繰り返すが私は人を笑顔にするのは本当に好きだし、誰かに喜んでもらうためなら多少の自己犠牲も厭わないタイプだ。でも、自分を完全に殺して演じきれるタイプの真のエンターテイナーではない。自分の中の歯車がギシギシ言い始めたら、それを無視して走り切ることはできない、めんどくさい人間だ。   忘れもしない、あれはどこのコンビニにも置いてある某有名メーカーのアイスを食べている時のことだった。夜中に一人部屋でモグモグしながら、ふと思ったのである。「これ、今本当に美味しいと思って食べてるか?」と。甘いものって、自分へのご褒美とか、友達とみんなでワイワイとか、誰かからいただいたとか、そういうもっと特別なもので、美味しいと心から感じられる時に食べるものじゃなかったっけ。そうじゃないとすると、私は一体何のために300kcal以上もするこいつを口に放り込んでいるのだろう。仕事のため? リアリティを持って話をするため? こんな死んだような顔で食べているのに? 笑顔で「つい美味しいから食べちゃうんですよねえ」ってまた話すの? いつからこうなった? と、一気に頭の中をたくさんのはてながワーッと駆け巡った。そして私は泣いた。泣きながらアイスを食べた。人工的な甘さがだけがただ虚しく口の中で広がっていった。それは私が本来甘いものに求める美味しいという感覚とは、ずいぶんかけ離れた何かだった。   その頃は精神的にもかなり不安定で、特に仕事のことで悩むことが多く、体型なども異常に気にし始めた時期だった。やがて甘いものを食べることもお酒を飲むことも、何のためにそんなことをするのか徐々にわからなくなり、挙句の果てには食欲もまるでなくなり、体重もみるみるうちに減っていった。その頃のライブ映像を見返すと、全然腹から声が出ていない。でも自分では気づかなかったのだから恐ろしい話である。自虐ネタでいつの間にか自分の心身をこんなにも削っていたなんて、まったく自覚がなかった。あらゆる美味しいものの味がよくわからなくなるなんて、思ってもいなかった。   でも、自分にとってはこれがいい転機になった。何が自分にとって本当に必要で、何はいらなかったのかを、じっくり考えるいい機会になった。へんな話、「無理をすると自分はこうなりますよ」というのを、自分の身を持って提示することができたのがよかった。その後どうやって今の状況まで復活したのか、正直細かいところまではよく覚えていないが、間違いないのは自分には音楽があったということである。気持ちよく歌を歌うためにはどうするべきか、長く音楽を続けるためにはどういう自分であるべきか、それを考えていったら答えは自ずと出てきた。頑張ると無理するは違う、頑張るけど無理はしない。人を笑顔にしたいなら、まず自分自身が心から笑える人であること。ただそれだけ。   こんなに声が出ないのは嫌だ、だからもう少しご飯は食べよう。自虐ネタを作り出すために気分でもないのに甘いものを食べるのは嫌だ、じゃあ他のエピソードを見つけるために散歩に出かけよう。今日はどうしても甘いものが食べたいという日は、ちゃんと食べよう。そして、そういう気分になる日はどういう日か考えよう。頑張った日だ。自分を褒めてやりたい時だ。あるいは、ムカついた日だ。甘いものでトゲトゲした気持ちをなめらかにしてやりたい時だ。悲しい日だ。甘いもので涙をせき止めないとやっていられない日だ。   甘いものとの向き合い方を知ったタイミングで、私は自分との付き合い方を知り、少し大人になったように思う。言い訳しながらでもいい。誰かのためではなく自分のために。日々を心地よく生きていくために必要なものならば、食べればいい。それが続いて最近太ったなとかもし思ったとしても、大丈夫、なんとかなる。自分へのご褒美が続いてそうなったのなら、ご褒美をあげられないような日も絶対にあるはずだから、自然といつか元に戻る。そこの見極めを、自分を甘やかさずしっかりやればいい。   ストレスのせいだったなら、それはあなただけの責任ではない。イライラする出来事や、あなたを傷つけた何か、他の原因のせいでもある。甘いものを食べないとやっていられない日だってある。だって、人生甘くないからね。そういう時は好きなだけモグモグすればいい。そして明日から、また切り替えて笑顔で生きていこうじゃないか。 <関取花> ◆紹介曲「 モグモグしたい 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆メジャー2nd FULL ALBUM『また会いましたね』 2022年7月6日発売 UMCK-7170 ¥3000+税   <収録曲> 1.季節のように 2.ねえノスタルジア 3.風よ伝えて 4.やさしい予感 5.長い坂道 6.明大前 7.ミッドナイトワルツ 8.道の上の兄弟 9. 障子の穴から 10.モグモグしたい 11.青葉の頃 12.ラジオはTBS 13.スポットライト

    2022/08/16

  • 関取花
    いつまでこんなこと、でも。
    いつまでこんなこと、でも。

    関取花

    いつまでこんなこと、でも。

    2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録。歌ネットでは インタビュー も敢行しましたので、ぜひ改めてチェックしてみてください。  さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを5週連続でお届け!今回は第2弾。綴っていただいたのは、今作の収録曲「 明大前 」にまつわるお話です。ブラジャーのパッド、自慢のクロスバイク、下北沢のスタジオ…。この歌が生まれたきっかけかもしれない記憶たちを、ぜひ頭のなかで想像しながら、読み進めてみてください。 20時30分、隣の部屋から爆音で聴こえてくるジブリの名曲メドレー~ボサノヴァver.~に若干イライラしながら、私はいつも通り部屋を出た。ドアを開けるとそこはマンションの内廊下で、世の中のあらゆるモヤモヤを溜め込んだみたいな生ぬるい空気がいつも通り充満していた。   私はここを通る時、息を止めて歩く。ほんの少しでもこの空気を吸い込んでしまったら、なんだか悪い“気”にこの身が毒されそうてしまいそうだからだ。玄関の内側でたっぷり吸い込んでおいた息を胸のあたりに溜め込み、うつむき加減に歩いていると、端っこの部屋の前にブラジャーのパッドが一枚落ちているのを発見した。   ポツポツとついた毛玉と疲れを感じさせるベージュの色、シワシワでもはやお椀の形が崩れきっているそれからは、なんとも言えない哀愁が漂っていて、私は思わず足を止め息を吐き出した。こんなになるまで頑張って、それでもいつしか迷子になり、最終的には完全に行き場を失ってしまったパッドのあまりにも孤独な姿に、妙に胸が苦しくなったのである。   この子はこのまま朽ち果てていくのだろうか。運よく持ち主が見つけて拾って帰らない限り、週末まで放置され、日曜日には清掃のおじさんが無表情で回収、その後は有無も言わさずゴミ箱行きだろう。せめてその前に、ずっと一緒に切磋琢磨してきたであろうもう片方のパッドに会わせてやりたいと思ったが、あいにく私にはどうしてやることもできない。泣く泣く内廊下を出た私は、そのまま外階段を下り、マンションの駐輪場へと向かった。   6畳1K(と言ってもほぼワンルーム)家賃5万円ほどのそのマンションは、築年数もかなり経っていて、駐輪場にはもちろん屋根などなかった。大学生の時にバイト代を貯めて買った自慢のクロスバイクは、ここに越してきてからというもの、砂埃と雨による錆つきで、みるみるうちに劣化していった。学生時代にイキって貼った派手なステッカーも、日焼けしてボロボロなうえに端っこの方は剥がれ落ちていて、元のデザインがどんなのだったかさえすっかりわからなくなっていた。かろうじて覚えているのは、たしか犬のイラストだったということくらいで、18歳の頃に買ったのでもはや自分でもよく覚えていない。   あれから何年が過ぎただろう。いつの間にか効きの悪くなったブレーキと妙にベタベタするハンドルを握りしめ、私は自転車にまたがった。丸まった背中に、ギターと捨てきれない希望を背負って。   週に何回か、この決まった時間に家を出る。21時から個人練習で下北沢のスタジオを予約しているのだ。普通であればそんなに飛ばさなくても15分あれば到着する距離なのだが、何せ私はのろい。一人暮らしを始めてもう何年も経つというのに、未だに「この道で本当に合っているのだろうか」と、いちいち不安になってしまう。その横を、私のなんかとは比べものにならないくらいピカピカで洒落た自転車たちが、颯爽と通り過ぎて行く。彼らはどこから来て、どこに向かっているのだろう。どうしたらあんなに確信に満ちた様子で走れるのだろう。羨ましさと悔しさと虚しさが同時に襲いかかってきて、私の自転車はまた減速する。渡れるはずだった青信号を逃し、赤信号でまた立ち止まる。   スムーズに前に進めない自分への苛立ちを抑えようと、こういう時、私は半ば無理矢理に適当なメロディーを口ずさむ。どこかで聴いたようなもののこともあれば、無意識にまったく新しいものが出てきたりもする。この日はなんとなくいいのが浮かんだ気がした。歌詞はまだ思いつかなかったので、あとから考えることにした。   頭の中でさっき浮かんだメロディーをぐるぐるさせながら、青信号と共に交差点を渡る。環七を走り抜け、左へ曲がり、少し行けばそこはもう下北沢だ。駅に着いてからは人が多いので、自転車からは降りて歩くことにしている。スタジオまでは徒歩約5分、メロディーは忘れずにまだ残っている。   スタジオに到着し、ギターを取り出す。適当にコードをいくつか弾いてみたりしながら、流れで練習を始める。といっても、何かやることが決まっているわけではない。バイト漬けの毎日を過ごしていると、自分が何者なのか忘れそうになる日がたまにあるので、こうして定期的にスタジオに入っては、ここにいる理由を確かめているのだ。家でもギターは弾けるし歌も口ずさめるが、大きい音は出せない。というか、出そうと思えない。隣の部屋からあまり気分じゃない時に爆音で音楽が聴こえてきた時の気持ちは、痛いほどよくわかっているからだ。   さっき思いついたメロディーに、コードをつけてみる。ここはたぶんサビの部分になるだろう。試しに歌詞も適当につけてみようか。何も考えずに、とにかく言葉を乗せて歌ってみる。   嗚呼 そしてまた今日が終わる 僕は一人途方にくれる 何もできず 何一つ変われず   無意識で生まれたメロディーに無意識で歌詞を乗せてみると、思わぬ本音が飛び出してきたりする。人には言うまい、決して見せまいとしてきた自分の中の弱さやドロッとした何かが、待ってましたと言わんばかりに溢れてくるのだ。でもその勢いはいつまでも続くとは限らない。結局この日、スタジオ内では他の部分の歌詞は思いつかなかった。全体のメロディーが拾えただけでもよしとしよう。   そしてなんやかんやと他の曲に取りかかったりしているうちに、あっという間に時刻は24時になっていた。ギターを弾いて歌っている間だけは、すべてを忘れることができる。他人と比べてばかりで、本当にこの道で合っているのだろうか、未来はあるのだろうかとすぐに不安になり、時にはボロボロのブラジャーのパッドにまで自分を重ね、暇さえあれば落ち込んでいるこの私が、唯一自分を信じられる時間。   明日にはどうせまた化け物みたいな輝きを放つ人物が新たに現れて、一瞬にして私を現実に引き戻すだろう。テレビをつければ昨年対バンしたあの子が歌っている。あいつは来月メジャーデビューだ。でも、それでも。天才かもしれないと本気で思える瞬間が、自分のことを好きになれる一瞬のきらめきが、ただ自分だけに夢中になることを許される空間が、たしかにここにはある気がする。だから音楽が辞められない。馬鹿でも夢でも惨めでも、いつまでこんなこと、でも。   3時間分のスタジオ代を払うと、私は再び自転車に乗って走り出した。到着した時より少しだけ静かになった下北沢の街には、涼しい風が吹いていた。なんとなく遠回りでもして帰ろうという気分になったので、井の頭線の駅を辿りながら線路沿いを走って帰ることにした。頭の中では、まだあのメロディーが鳴り響いていた。 <関取花> ◆紹介曲「 明大前 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆メジャー2nd FULL ALBUM『また会いましたね』 2022年7月6日発売 UMCK-7170 ¥3000+税   <収録曲> 1.季節のように 2.ねえノスタルジア 3.風よ伝えて 4.やさしい予感 5.長い坂道 6.明大前 7.ミッドナイトワルツ 8.道の上の兄弟 9. 障子の穴から 10.モグモグしたい 11.青葉の頃 12.ラジオはTBS 13.スポットライト

    2022/08/09

  • 関取花
    季節のように生きる人でありたい。
    季節のように生きる人でありたい。

    関取花

    季節のように生きる人でありたい。

     2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録。歌ネットでは インタビュー も敢行しましたので、ぜひ改めてチェックしてみてください。    さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを5週連続でお届け!今回は第1弾。今作の収録曲「季節のように」にまつわるお話です。<季節のように生きる人でありたい><変わりゆく私を愛し続けたい>と綴られたこの歌に通ずる、関取花の歩んできた軌跡を明かしていただきました。歌詞と併せて、お楽しみください。 私は飽き性だ。常に小さなマイブームの連続で生きている。でも、幼い頃はむしろその逆だった。集めるおもちゃはシルバニアファミリーだけ。ぬいぐるみも1、2歳の頃に買ってもらったウサギとラッコさえあればそれでよかったし、キャラクターものや流行りのアニメに夢中になってグッズを欲しがることもなかった。今になって当時の話を母としたりするのだが、決まって「うちの兄妹は本当に物を欲しがらない子たちだった。物がなくてもあるもので楽しめる子たちだったから」と言う。新しいものを買い与えなくても、同じおもちゃから創意工夫で次々と新しい遊びを生み出していたらしい。   たしかに思い返せばそうだった。でもそれは私がというより、兄がそういう人だったからかもしれない。瓶の王冠に白画用紙を貼り、そこに色鉛筆で絵を描いて、その裏にボンドで安全ピンをつけて、てんとう虫のバッジを作って私にくれたりした。色とりどりの洗濯バサミをたくさん繋げたものを、今でいうエクステみたいにして襟足につけて、そこらへんにあったサングラスをかけたら変身完了。そのままテーブルの上にあがればそこはもうステージだ。その瞬間、「目つきバサラ」という謎のアーティストになるのだった。ちなみに私は、テーブルの下のアリーナ席から彼を見守るファンの役だった。   家族旅行でグアムに行った時のホームビデオを見返しても、そんな私たちの愉快な様子がばっちり残されている。ホテルのベッドの上で、ビート板型の浮き輪をエレキギターのように抱えオリジナル曲を歌い上げる兄と、その横でワニ型の浮き輪をキーボードに見立てて一緒に演奏している私。ちなみに「サーフィンU.S.A.のネズミ♪ サーフィンU.S.A.のネズミ♪」という歌詞だった。未だにちゃんと歌えるし、今聴いても結構名曲である。もちろんホームビデオには観光地らしい他の場所で旅行を楽しむ様子も映っていたが、正直比べものにならないくらい、このシーンが家族全員一番楽しそうだった。べつに家でもできることなのに。   小学校の頃は、胸元に大きくロゴが刺繍されたG A Pのパーカーばかり着ていた。友達とおそろいで買ったハムスター柄の大きな筆箱もボロボロになるまで使い続けていたし、丁寧に扱っていたかは別として、他にも何かと物持ちのいい方だった。中学時代はとにかく部活のバスケ一色の毎日。キラキラと流れるまっすぐな汗と共に3年間があっという間に過ぎていった。   問題はそのあとである。高校生になり軽音楽部に入部したものの、早々に弾き語りのスタイルに落ち着いてしまった私は、一人だったら家でいくらでも歌えるし放課後学校に残る必要もなくなり、バイトに精を出すようになった。ここからである。私が飽き性になっていったのは。   私の通っていた高校はこれといった校則がなく、メイクも髪型も制服の着方も自由だった。そこでバイトをするようになり自由に使えるお金ができた私は、とにかく服や髪にお金を使うようになっていった。いつからか「月一で髪型を変える」という謎のルールを自分の中に作るようになり、パーマをかけてみたりカラーを変えてみたり、あるときは思い切ってドラマ“ラスト・フレンズ”の時の上野樹里さんくらい髪を短くしてみたり、とにかくあらゆることに挑戦した。   それに伴ってファッションもどんどん変化を遂げた。森ガール、山ガール、一周してユニクロしか着ないのが一番カッコイイと思っているガール……。とにかくいろいろやった。学校かばんも、校章が入ったみんなと同じものでは飽きてしまい、ピンクのグレゴリーのボストン、ネイビーのフレッドペリーのショルダー、茶色の革でできたイーストボーイのバッグなど、その日の気分や髪型、制服の着こなしに合わせて持ち物を変えないとすぐに飽きてしまうのだった。   大学生になると今度は推しのK-POPアイドルができるもすぐに目移りしてしまい、新曲が出るたびに掛け声を覚えてはライブに行きペンライトを振りに振ったかと思えば、気づけばまた別のグループにハマっていった。ちなみに米粒ほどの大きさではあったが、生で見た少女時代の美脚は圧巻だった。   それから約10年、さすがにもうそこらへんも落ち着いてはきたが、今でもやはりその傾向はある。漫画にハマったかと思えばアプリに鬼課金して20巻近くを一晩で一気読み。とある作家にハマったかと思えばとりあえず過去作品をamazonで一気買いからの読み漁り。そして今はとにかく“ちいかわ”にお熱で、日に日に部屋にグッズが増えていっている。   大人になると趣味趣向がもっと精査されて、「自分といえばこれ」みたいに自然となるものだと思っていた。でも、どうやら私は違うようである。無限に知りたいことがあるし、どんどん好きなものは増えていく。ひとところには止まれず、好奇心の海を風来坊のごとく未だに彷徨っている。それを「自分には強みがない」と嘆いたこともある。何かを突き詰めるかっこいい人に、誰かにとっての特別なものに、なれない自分を恥じたこともある。   でも、それでいいじゃないかと最近は思う。たとえ過ぎ去れば一瞬でも、何かに夢中になる瞬間というのはいつだって尊い。風に飛ばされ、雨に紛れて、いつしか記憶の彼方に追いやられるとしても、その時々に目を輝かせ、心を燃やし、時々思い出しては抱きしめる、そういう瞬間の連続な人生もまた素敵ではないか。そしていつか、そういう小さな経験の一粒一粒が、私らしさという花になり咲けばいい。   私は飽き性か。いや、違う。見たいもの、聞きたいもの、やりたいこと、そしてできることが、大人になるにつれてどんどん増えていっただけだ。そしてそれらに出会うたび、私は未だに子供のようにいちいち心を揺らしている。繰り返される毎日の中で、これからもたくさんのものに目移りしながら日々を過ごしていきたい。そしてそこからたくさんの光を吸収して、まだまだ成長していきたい。私はこれからも、季節のように生きる人でありたい。変わりゆく私を愛し続けたい。   <関取花> ◆紹介曲「 季節のように 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆メジャー2nd FULL ALBUM『また会いましたね』 2022年7月6日発売 UMCK-7170 ¥3000+税   <収録曲> 1.季節のように 2.ねえノスタルジア 3.風よ伝えて 4.やさしい予感 5.長い坂道 6.明大前 7.ミッドナイトワルツ 8.道の上の兄弟 9. 障子の穴から 10.モグモグしたい 11.青葉の頃 12.ラジオはTBS 13.スポットライト

    2022/08/02

  • 関取花
    それでいい、それがいいのよ。
    それでいい、それがいいのよ。

    関取花

    それでいい、それがいいのよ。

     2021年3月3日に“関取花”がメジャー1stフルアルバム『新しい花』をリリースしました。今作には、タイトル曲「新しい花」のほか、「太陽の君に」や「逃避行」「今をください」「あなたがいるから」、2014年に発表された「私の葬式」のバンドバージョンなど、ボリュームたっぷりの全13曲が収録されております。  さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを4週連続でお届け!今回はその最終回。綴っていただいたのは、収録曲「 私の葬式 」に通ずるお話です。いつかは必ず訪れる、大切なひととの別れの日。そのとき、わたしたちはどんなことを思うのでしょうか。そしてあなたが旅立つとき、どんな景色が見えるのでしょうか。是非、歌詞と併せてこのエッセイを受け取ってください。 ~歌詞エッセイ最終回:「 私の葬式 」~ 私はこれまで30年間生きてきて、数えるほどしか葬式に参列したことがない。大切な人が亡くなるのは、当たり前に悲しい。だからできれば、この先もう二度と行くことがなければいいのにと思う。そうは言っても命には限りがあるので、きっとどんどん機会は増えて行くのだろう。 テレビのニュースで誰かの訃報を目にするにしても、今となっては大抵が知っている名前だ。リアルタイムで見てきた方々の名前が流れるようになったのはいつ頃からだろうか。20代前半までは、まだまだ知らない名前が多かった気がする。自分が年々歳を重ねているということは、当然他のすべての人々も同様に歳を重ねているということだ。時の流れは早い。恐ろしいほどに早い。 最近、時々思うことがある。私は現在都内で一人暮らしをしていて、実家に帰って両親とゆっくり時間を過ごすのは年に数回ほどだ。忙しかったりタイミングが合わなかったりすると、年末年始だけになってしまう時もある。そうなると、現在還暦の両親が100歳まで生きるとして、仮に私が今後一年に一回しか帰れないとしたら、単純計算であと40回しか会えないということになる。おはようもおやすみも、ありがとうもごめんねも、数えるほどしか言えないかもしれない。そう思うと急に不安になる。 あまり悲観的になるのも良くないことはわかっている。でも、考えておくからこそできることもある。もちろん一番はたくさん両親に会ってできるだけ話をすることなのだが、自分には自分の人生があるし、やりたいこと、やらねばならないこともたくさんあるので、そんなに頻繁には実家へ帰れない。じゃあどうするか。少ない回数でも、確実に思い出を残して行けばいい。 少し前から、私は実家に帰る時には必ずフィルムカメラを持って行くようにしている。写真を撮るだけならスマホのカメラでも良いのだが、別にキメ顔を撮りたいわけではないし、何かの記念に写真を残したいというわけでもないので、撮り直しはむしろしたくない。何気ない今の一瞬を、当たり前の表情を、瞳に焼き付けたそのままの温度で残しておきたいだけなのだ。私が欲しい思い出とは、そういうものたちだ。ちなみに色々試した結果、最近は写ルンですを愛用している。他のカメラに比べて相手を構えさせないからとてもいい。 先日カメラを現像に出したら、料理中の母の写真が出てきた。年末年始に実家で撮ったものだと思う。それはもう見事なブレっぷりで、「キッチンという狭い空間でこんなに早く動くことある?」と思わず言いたくなってしまうような写真だった。半端ない躍動感がなんだか面白くてクスッとしてしまうと同時に、母は私たちが思っている以上のスピードと手際で、日々いろんな作業をこなしてくれていることにあらためて気付かされた。まあ、それにしてもなブレっぷりだったけど。風か? ってくらい。 ソファの上でゴロゴロしている父の写真もあった。仰向けになって足を組み、何やらスマホをいじっている。べつになんてことない写真なのだが、見ているうちに普段私が自分の部屋でスマホをいじる時とまったく同じ体勢だということに気が付いた。組む足も角度もまったく一緒。仕事で外に出る時はシャキッとスイッチを入れるくせに、ひとたび家に帰ると途端に気が抜けてしまうところとか、やっぱりそっくりである。写真には残っていないが、いつもの感じだとしたら、このあと立ち上がる時絶対に「イテテテテ……」と言っていたはずである。変な体勢でいるからすぐに足が痺れるのだ。そこらへんも私と同じである。おかしいなあ、実家にいた時はこのだらしない父の姿を見るたびにイライラしていたはずなのに。いやはや、血は争えないものである。 なぜ、これらの瞬間を写真に残そうと思ったのか、どうしてカメラを構えたのか、そんなこと全然覚えていない。特に意味なんてないのだろう。誰に見せるわけでもないから、構図や色味を気にしているわけでもない。絵になっているかと言われたら、なっていない。でもいいのだ。「お母さんってこういうところあったなあ」「お父さんって意外とこうなんだよなあ」と、両親と過ごした何気ない日常に溢れていた小さなエピソードたちが、一枚の写真から溢れ出す。自分の顔がほころんで行くのがわかる。いつか両親とさようならをする時に思い出すことは、結局こういうことたちなんだろうなと思う。そしてもし自分がこの世にさようならをする時が来たとしても、見送る人たちにはやっぱりそういう瞬間を思い出してほしいなと思う。 涙なんていらないわ 青い雲もいらないわ 笑い声を空に飛ばしてよ それでいい それがいいのよ 涙なんていらないわ 白い花もいらないわ むかし話に花を咲かせてよ それでいい それがいいのよ 形式ばった挨拶をするよりも、黒い服をその日のためにわざわざ準備するよりも、そんな時間があるなら、私のどうしようもないエピソードの一つや二つをどうか思い出してほしい。そして思い切り笑ってほしい。小さな話のタネがいずれ枝葉のように広がって、「そういえばあの時も」「よく考えたらあれも」と、私に関するくだらない話で大いに盛り上がってほしい。飲んで歌って空の向こうに聞こえるくらいまで騒いでほしい。そして最後に、「寂しいぞこのバカ野郎!」ってちょっと叱ってほしい。それでいい、それがいいのよ。 <関取花> ◆紹介曲「 私の葬式 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆ニューアルバム『新しい花』 2021年3月3日発売 1. 新しい花 2. はなればなれ 3. 恋の穴 4. ふたりのサンセット 5. あなたがいるから 6. 逃避行 7. 太陽の君に 8. まるで喜劇 9. 女の子はそうやって 10. 今をください 11. スローモーション 12. 美しいひと 13. 私の葬式(バンドver.)全13曲収録

    2021/04/02

  • 関取花
    あなたか、あなた以外か。
    あなたか、あなた以外か。

    関取花

    あなたか、あなた以外か。

     2021年3月3日に“関取花”がメジャー1stフルアルバム『新しい花』をリリースしました。今作には、タイトル曲「新しい花」のほか、「太陽の君に」や「逃避行」「今をください」「あなたがいるから」、2014年に発表された「私の葬式」のバンドバージョンなど、ボリュームたっぷりの全13曲が収録されております。  さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを4週連続でお届け!今回はその第3弾。綴っていただいたのは、収録曲「 美しいひと 」に通ずるお話です。自分は自分、そう言い聞かせても、どうしても誰かと比較してしまうとき。自分のすべてが嫌になってしまうとき。少しでも気を楽にさせたいとき。是非、このエッセイと歌詞を読んでみてください。 ~歌詞エッセイ第3弾:「 美しいひと 」~ 私は基本的にポジティブな方なのだが、それでもどうしようもなく落ちこんでしまう時はある。自分としては上手くいっているつもりでも、同じような時期にせーので走り始めた仲間たちがものすごい速さで輝きを増していくのを目にすると、ハッとさせられる。自分自身の満足のレベルの低さ、過ぎてゆく時のシビアさ、生まれ持った才能のなさ、かと言ってそれほどの努力をしてこなかったという現実。いろんなものが一気に押し寄せてきて、夜に心の全部を支配されてしまうのだ。 やっと受け入れられるようになった過去も、さっきまで肯定できていた今も、なんだかんだ明るいと思っていた未来も、途端に真っ暗闇に包まれてしまう。もうダメだ、やっぱり私は輝けるタイプの人間ではないのだと、行き場のない悲しみと怒りと虚しさが押し寄せてきて、気付けば涙がこぼれ落ちている。 そういう時は何をしたってダメだ。自分のすべてを否定したくなってくる。鏡を見ればその醜さに辟易とし、余計に涙が溢れてくる。これはこれでいいなと思っていた奥二重も、コンプレックスではあるけれど母に似ているからと愛せていたエラの張った輪郭も、豪快に笑えて好きだった大きい口も、もうすべてが嫌になる。なんだその顔、誰だお前。こっちを見るなと言いたくなる。 でも、最近はそうやって落ち込んでもあまり引きずらなくなった。とにかく一旦全然違うことを考えるのだ。というか、考えるということから完全に逃げるのだ。自分と普段関係のない世界の、比べても仕方がない人たちの世界にちょっとだけお邪魔する。じゃあ具体的に何をするか。私はYouTubeを見る。ホストの方々のYouTubeを見る。 私はお金もないのでブランド物にもあまり興味がないし、シャンパンよりはビール派だし、少女漫画に出てきそうなキラキラとした人よりは、もう少しいなたい感じの人の方が安心するタイプである。だから夜の世界というのは、本当にまったく知らない未知の世界だ。でも、興味はある。 実際に行ってみたいかと言われると恐れ多くてとても踏み入れられないのだが、東京都内、電車にちょっと揺られれば着いてしまう新宿は歌舞伎町で、聞いたことのないコールやとんでもない額のお金が飛び交っていると思うと、なんだか覗いてみたくなる。現実でありながら現実でないような、すぐそこにあるのに漫画の世界のような、この絶妙な距離感がいい。 どうせ現実逃避をするなら、アニメや映画、動物の動画なんかを見る方がいいんじゃないかと思う方もきっといるだろう。でも、それじゃダメなのだ。それだとあまりにも自分から遠い世界すぎて、「現実逃避をしているという現実」と対峙せざるを得ない。程よいリアルさがある方が、よっぽど真剣にその世界観に入り込める。あくまでも私の場合だけれど。 ホストの方々のYouTubeを見ていると、はじめのうちは華やかな部分ばかりに目が行ったが、その裏では彼らなりの努力や闘いがあるということに気付く。着飾るのもちょっと派手な発言も自己プロデュースの内の一つであり、自身の見せ方が上手な人がのし上がって行く世界だ。 誰かの真似事や他者との比較ばかりしていても意味がない。「だから私はあなたを選ぶ」と言わせるためには、その人にとって替えのきかない、唯一無二の存在にならなくてはならないのだ。そのためには焦ってもいいことはない。自分の強みは何か、多少時間がかかってもそれを見つけ出すことがきっと大切なのだ。 そしてこれは自分自身に置き換えて考えることもできる。星の数ほどいる同業者の中でいつの日か輝くためには、誰かにとっての一番星になるためには、自分だけの輝き方を知らなければならない。それはどんな環境にいたって、どんな仕事をしていたってきっと同じだ。でも自分の知っている世界だけを見ていると、どうしても比較対象が近くにいすぎてどんどん考え込んでしまう。誰かになろうとしてしまう。余計に落ち込んでしまう。だから私はホストの方々のYouTubeを見ては、程よい距離感で客観的に自分を見つめ直すようにしているのだ。 あなたはあなたのままでいい 誰かになろうとしなくていいんだよ あなたがあなたを愛せた時 夜空は優しく微笑んでくれるから これは私の「美しいひと」という曲のサビの歌詞である。そう、時間がかかってもいいから少しずつ自分を愛して、自分だけの輝き方を知って行けばいい。気付けば私たちを包み込んでいた真っ暗闇はいつの間にか消え、夜空も微笑んでくれているはずだ。 あなたはあなたのままでいい。誰かになろうとしなくていい。あなたか、あなた以外か。まあつまりそういうことです。 <関取花> ◆紹介曲「 美しいひと 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆ニューアルバム『新しい花』 2021年3月3日発売 1. 新しい花 2. はなればなれ 3. 恋の穴 4. ふたりのサンセット 5. あなたがいるから 6. 逃避行 7. 太陽の君に 8. まるで喜劇 9. 女の子はそうやって 10. 今をください 11. スローモーション 12. 美しいひと 13. 私の葬式(バンドver.)全13曲収録

    2021/03/26

  • 関取花
    自分を好きになれた時、満開の花は咲く。
    自分を好きになれた時、満開の花は咲く。

    関取花

    自分を好きになれた時、満開の花は咲く。

     2021年3月3日に“関取花”がメジャー1stフルアルバム『新しい花』をリリースしました。今作には、タイトル曲「新しい花」のほか、「太陽の君に」や「逃避行」「今をください」「あなたがいるから」、2014年に発表された「私の葬式」のバンドバージョンなど、ボリュームたっぷりの全13曲が収録されております。  さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを4週連続でお届け!今回はその第2弾。綴っていただいたのは、今作の収録曲「 女の子はそうやって 」に通ずるお話。今、傷ついてづまずいて涙で先が見えないあなたへ。このエッセイと歌詞が届きますように…! ~歌詞エッセイ第2弾:「 女の子はそうやって 」~ 痩せたり髪の毛を切ったりすると、「あら、(恋愛的な意味で)何かあったの?」とすぐに言ってくる人がいる。正直なことを言うと、私はあまりあれが好きではない。「そうです」と言っても気まずい顔をされるだけだし、「違います」と言っても、期待外れみたいな顔をされて微妙な空気になるだけだからだ。 良い出口がどこにも見当たらないし、何より野暮な質問だなと思う。何かしらの経験を経て自分なりに未来に向かって頑張ろうとしている子に、その理由をわざわざ聞く必要なんてないじゃないか。もがいている最中なのだ。闘っている最中なのだ。自分という人間と真正面から向き合っている最中なのだ。色々思うことがあったとしても、どうか静かに見守ってあげてほしい。もちろん、何か聞いてほしそうにしている子には声をかけてあげてもいいと思うけれど。 この度、『女の子はそうやって』という曲を書いた。ざっくり言えば失恋した女の子の曲である。でもこの曲で伝えたいことは、生まれ変わってあいつを見返してやろうということでもないし、髪を切ったり化粧を変えたりして、過去の自分にさよならしようとか、そういうことでもない。私が伝えたいのは、もう一個先のこと。何をするべきかじゃなくて、その先に何があるかということだ。 そうさ女の子はそうやって もっともっと綺麗になるんだ 傷ついたりつまずいたり 遠回りをしながら そうさ女の子はそうやって もっともっと強くなるんだ そして自分を好きになれた時 満開の花が咲く 恋愛に限らず何かしらの失敗をすれば、人間誰しも一度は落ち込むものだ。そういう時は涙が枯れるまで泣いたらいいし、無理やり前など向かなくていい。自分自身ととことん話し合って、そろそろこの暗闇から一歩踏み出そうと思える時が来たら、何か新しいことをすればいい。 イメージチェンジをしてみたり、普段読まない本を読んでみたり、旅に出てみたりするのもいいだろう。そうやっていろんな経験をしながら、暗い土の中で眠っていた新しい自分は少しずつ成長して行くのだ。そして思い出や過去を栄養素にして、いつの日か今の自分を肯定できるようになった時、満開の花は咲く。 昨今は特にSNSが発達・浸透しすぎたせいで、自分自身と一対一で向き合う時間が減っているように思う。「今」という点と点を結んで過程というのは出来上がるもので、そこにこそその人の物語は宿るはずなのに、タイムラインの激流に流されて、どこかの点だけがピックアップされて解釈されてしまうことが明らかに増えた。 時間をかけずに情報のやりとりができるという点においてはもちろんありがたい部分もあるが、その中でもやっぱり過程は見過ごさないでいてほしいと思う。満開の花はその瞬間だけ見てももちろん美しいが、過程を知るともっとその美しさがわかる。 誰かに気付いてもらえなくても、やいのやいのと途中で何か言われても、せめて自分自身だけでも過程の一つ一つと向き合うことを、愛することを忘れないでいてほしい。そしたらきっともっと自分を好きになれる。誰かのためじゃなく、自分のために強く美しくなれたら、私たちは無敵だ。 そして誰かが君を見つけて 新しい春が来る これはこの曲の最後の一行である。様々な過程を経て、いつか自分だけの咲き方で咲けた時。きっと誰かがその笑顔に気付いてくれる。なんて素敵なんだと手を伸ばしてくれる。長い冬の先に、新しい春がやって来る。 <関取花> ◆紹介曲「 女の子はそうやって 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆ニューアルバム『新しい花』 2021年3月3日発売 1. 新しい花 2. はなればなれ 3. 恋の穴 4. ふたりのサンセット 5. あなたがいるから 6. 逃避行 7. 太陽の君に 8. まるで喜劇 9. 女の子はそうやって 10. 今をください 11. スローモーション 12. 美しいひと 13. 私の葬式(バンドver.)全13曲収録

    2021/03/19

  • 関取花
    幸せの形はひとつではないのだ。
    幸せの形はひとつではないのだ。

    関取花

    幸せの形はひとつではないのだ。

     2021年3月3日に“関取花”がメジャー1stフルアルバム『新しい花』をリリースしました。今作には、タイトル曲「新しい花」のほか、「太陽の君に」や「逃避行」「今をください」「あなたがいるから」、2014年に発表された「私の葬式」のバンドバージョンなど、ボリュームたっぷりの全13曲が収録されております。  さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを4週連続でお届け!今回はその第1弾。綴っていただいたのは、新曲「 新しい花 」に通ずるお話です。最近、AirPodsを初めて購入したという彼女。そこで得た意外な気づきとは…? 自分はもう変わるところなどない、と思い込んでいる方も、是非このエッセイと歌詞を受け取ってみてください。 ~歌詞エッセイ第1弾:「幸せの形はひとつではないのだ」~ 最近、AirPodsを買った。Bluetoothのイヤフォンを使ってはいたが、何かとものを落っことしがちな私なので、これまではコード付きかつマグネットで止められて、使わない時はネックレスのように止められるタイプのものを愛用していた。音や使い勝手にこれといって不満はなかったのだが、マイク機能が搭載されていなかったのでリモートでのラジオ出演や打ち合わせの際には使えず、周りに勧められてこのたびついにAirPodsを購入したのである。 正直、AirPodsを使うのにはかなり抵抗があった。今でこそ当たり前になっているが、みんな最初は思ったはずだ。「なんだこれ」と。イヤフォンの形はそのままに、綺麗にコード部分だけがなくなっているあのデザイン、なんというか、ウソみたいじゃないか。本当にそれで音楽が聴けるのか? 聴いている風アクセサリーじゃないのか? そもそも落っこちないのか? いろいろと新しすぎて、最初はとても思考が追いつかなかった。見慣れないうちは街中であれをしている人を見かけるたび、「ちょっと、コードぶった切られてますよ」と言いたい気分に襲われた。 そして何より怖かったのは、人とすれちがう時である。私は最初AirPodsにマイク機能が搭載されているなんて知らなかった。音楽を聴きながら何か口ずさんでいるようにはとても見えなかったし、ひとりごとにしては大きいし、夜道で誰かと通話している人とすれ違うたびびっくりさせられた。 ある日、そういう人の多くが耳からあの白いしめじ=AirPodsを生やしていることに気付き、あれはハンズフリーで通話しているのだと知った。あのしめじのせいで私は何度も夜道でびっくりさせられたのか。そう思うとなんだかしゃくに触ったので、どんなにスタンダードになって行こうと、相当な理由がない限り私は使わないぞと心に決めていた。 しかし、ここ一年での世の中の状況の変化もあり、ついに私もAirPodsを必要とする時がきたのである。インターネットで購入し、家に届いてすぐに箱を開けると、正直その素晴らしさに感動した。まず、かわいい。何あの絶妙に角の取れた丸っこいケース。ずっと触っていたくなるツルスベの手触り。蓋を開け閉めする時の感触も実にいい。 とはいえ、すぐに落っこちてしまうんだろうと思いながらいざはめてみたら、これまた驚きのフィット感。首を縦に振っても全然落ちやしない。コードがないからピアスに引っかかったりもしないし、絡まるストレスもない。もちろん、Bluetoothの反応も問題なし。なんだこれ、めちゃめちゃ便利じゃないか。 イヤフォンにはコードがあってなんぼ、通話する時は電話を手に持つのが決まりだと思い込んでいたが、いざ使ってみたらそこには新しい世界が広がっていた。これしかない、私はこのやり方でしか生きられない、と思い込んでいることも、案外一歩踏み出せばそうでもなかったりする。 人というのは変わりやすい生き物で、時というのは流れて行くものだ。過去にとらわれて変化や新しさをただ拒絶するのではなく、柔軟に受け入れながら自分に合ったものをどんどん見つけて行けばいい。思っている以上にきっと世界は広いし、新しい発見で溢れている。好奇心を絶やさず、自分にとって本当に必要なものや似合うものが何かを少しずつ見つけていく過程で、その人らしさというのは育って行くのだろう。「新しい花」という曲は、まさにそんな歌である。 あなたしかいないと 思い込んでいたけど そんなことないって ようやく気付いたの 思い出はたしかに うしろ髪引くけど 時が経ってしまえば 笑い飛ばせるはず 幸せの形は ひとつではないなら 今からでも遅くはない 何度でも 何度でも 何度でも花は咲ける もう一度ここから始めるの 歌詞の言葉をそのまま受け取ると、失恋ソングというか過去の恋に別れを告げて新たに歩き出す人の歌に聴こえるが、これは何も恋に限った意味で書いた歌詞ではない。ここで言う<あなた>に当てはめるのは、何も人じゃなくたっていい。学校、職場、人間関係、これまでの自分、コード付きイヤフォン、なんだっていい。 何にしたって、「これしかない」なんてことはきっとないのだ。ずっとそこにいるからそう思うだけで、案外そうではないかもしれない。違う場所に挑戦してみたいとか、なんだか居心地が悪いとか、新しい自分と出会いたいとか、もしいつか「今だ」と思うその瞬間が来たのなら、思い切って飛び出してみるのもいいじゃないか。想像以上の世界が、まだ誰も知らない自分が、きっとあなたを待っている。 <関取花> ◆紹介曲「 新しい花 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆ニューアルバム『新しい花』 2021年3月3日発売 <収録曲> 1. 新しい花 2. はなればなれ 3. 恋の穴 4. ふたりのサンセット 5. あなたがいるから 6. 逃避行 7. 太陽の君に 8. まるで喜劇 9. 女の子はそうやって 10. 今をください 11. スローモーション 12. 美しいひと 13. 私の葬式(バンドver.)全13曲収録

    2021/03/12

  • 関取花
    ラーメンが教えてくれたこと。
    ラーメンが教えてくれたこと。

    関取花

    ラーメンが教えてくれたこと。

     2020年3月4日に“関取花”が最新ミニアルバム『きっと私を待っている』をリリースしました。待望の新作には、再びプロデューサーに野村陽一郎を迎えた、伸びやかに曲線を描く様なヴォーカルが印象的な「逃避行」や、初のタッグとなる會田茂一を迎えた「青の五線譜」他が収録。奏でる関取花と、動く関取花を存分に堪能できる1枚となっております。    さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った関取花本人による歌詞エッセイをお届け! なぜか「麺が上手くすすれないのである」と幕を開けるエッセイ…。このとある“問題”が音楽や歌詞にどう繋がっているのか。ラーメンが教えてくれたこととはいったい何なのか。是非、最後までお楽しみください…! ~歌詞エッセイ:「ラーメンが教えてくれたこと」~ 麺が上手くすすれないのである。 その事実が発覚したのは少し前、友人たちと飲んだあとのことだった。飲み会解散後、終電を逃してしまったためタクシーを拾えそうな場所まで一人で歩いていた時に、私は出会ってしまった。 ネオン街の中でもひときわ輝くその看板には、筆を投げつけたかのような文字で“濃厚”と書かれていた。私は見て見ぬふりをしようと思ったが、漂ってくる圧倒的な獣の香りと、店外まで響き渡る威勢の良い店員の声、店から出てくる人々の満足気な顔を見ていたら、そんな気持ちはすぐに揺らいでしまった。 そうは言ってももう29歳、体型や肌荒れなどいろいろと気になってくる年齢である。とりあえず一旦落ち着こうと思い、深呼吸をすることにした。しかし大きく息を吸い込んだその瞬間、冷え込む夜の空気を切り裂いて、豚骨ラーメンの匂いが私の全身に入り込んできてしまった。 もう抗うことは不可能だった。私の脳が、身体が、舌が、そいつをくれと叫んでいた。そして気付いた時には店内で「マー油豚骨ラーメン、濃いめで」と注文していたのである。 やがて到着したラーメンのスープを口にすると、にんにくの香りとマー油の旨味がいっぱいに広がった。ああ、懐かしい…と思った。 大学生の頃、よく深夜にみんなで食べに行っていたあのラーメン屋も、マー油豚骨ラーメンだった。マー油と豚骨スープが絡みついた中太麺を、男の先輩に負けないくらい荒々しくすすっていたあの日々。私はそんな思い出ごと吸い込むように、思い切り麺をすすった。 しかし、何かがおかしかった。思っていたのと違った。ラーメンではない、私が、である。たしかに勢いよくすすったはずなのに、豚鼻が鳴るばかりでまったく麺が入ってこなかったのだ。 おそらく、ここ数年糖質を気にしてラーメンをほとんど食べていなかったのが原因だろう。どうやら知らない間にすすり方をすっかり忘れてしまっていたようである。前は楽々できていたことでも、しばらくサボっていたりすると、やり方なんて意外とすぐに忘れてしまうものなのかもしれない。 それからというもの、私はインターネットで麺のすすり方を調べたり、動画サイトでラーメンを綺麗にすする人の動画を見たりして日々研究に勤しんでいる。もちろん、実際にラーメンもよく食べている(健康に無理のない範囲で)。 そのおかげか、お世辞にもまだ決して上手いとは言えないが、少しずつスムーズにすすれるようになっている気はする。やはり何事も積み重ねが大切なのだと実感した。 よく考えたら、それは音楽にも言えることである。ギターも、歌も、いきなり上手くできるものではない。続けてこそ、やっと形になるものだ。 もちろん歌詞もそうである。こうしてくだらないことから学ぶことだってあるし、物語が生まれることだってある。でも、大抵のことは忘れてしまう。だからこそ、コツコツと書き溜めて行くことが大切なのだ。 もうすぐ四月がやって来る。花の色、雲の形、豚骨ラーメンの匂い、なんでもいい。些細なことに心を揺らしながら、できれば文字にしながら過ごして行けたらと思う。私にとっては20代最後の春だ。特別なことがあってもなくても、それがいつか歌になればいい。 <関取花> ◆New Mini Album『きっと私を待っている』 2020年3月4日発売 UMCK-1652 ¥2,300+税 <収録曲> 1.「 逃避行 」 2.「 はじまりの時 」 3.「 街は薄紅色 」 4.「 考えるだけ 」 5.「 青の五線譜 」 6.「 家路 」

    2020/03/06

  • 関取花
    甘いフレーズを頬張って、君のえくぼのとなりへと向かう。
    甘いフレーズを頬張って、君のえくぼのとなりへと向かう。

    関取花

    甘いフレーズを頬張って、君のえくぼのとなりへと向かう。

    ああ 麗らかすぎる 今日に変わって行くんだよ ああ 太陽の君に 包まれて行くよ 「太陽の君に」/関取花  2019年5月8日に“関取花”がメジャーデビュー作品となるミニアルバム『逆上がりの向こうがわ』をリリースしました。冒頭でピックアップしたのは、今作の入口となるリード曲。歌詞も歌声もまさに太陽のような明るさ、朗らかさが溢れる1曲となっているんです。さらに今日のうたコラムでは、2曲目に続く収録曲「春だよ」をご紹介いたします。 花が咲いたんだ 見せてあげたいな なんて思いながら 浮かべた君の顔 胸ポケットの中 しぼんでいた風船に 穏やかな風が吹いた 忘れかけてた 柔いつぼみが 弾け飛んでしまったなら止められないな 「春だよ」/関取花  1曲目「太陽の君に」の温度感をまといつつ、さらにワクワク・ウズウズする高鳴りや、光の中を駆け抜けてゆくような疾走感、生命力に満ちているのがこの歌。きっと最近の主人公の心も“季節の変わり目”だったのでしょう。ちゃんと春を迎える準備が出来ていた。だからこそ<花が咲いたんだ>という気づきが、変化のスイッチになったのです。  ふと<花が咲いたんだ>と気づくと、次に胸の内に浮かんだのは<見せてあげたいな>という気持ちと<君の顔>でした。もしかしたら<花が咲いた>とは、自身の夢や目標が叶ったことを意味しているのかもしれませんね。そして、そんな嬉しさを共有したいひとは<君>だと実感したとき、<胸ポケットの中 しぼんでいた風船>に吹く穏やかな風。  弾け飛ぶ<忘れかけてた 柔いつぼみ>。心身に湧き上がってくるエネルギー。こうして主人公の心にもついに“春=変化のとき”が訪れたのです。歌はその<止められない>想いの勢いのままにサビへと突入してゆきます。 淡いブルーの列車に乗って 木漏れ日のアーチをくぐって会いに行くよ 甘いフレーズを頬張って 君のえくぼのとなりへと向かう 春だよ 「春だよ」/関取花  新しい自分で、想いに正直に、<君のえくぼのとなりへと向かう>姿が見えてきそう。また<淡いブルーの列車>は、海や空を映しながら走っているかのようで、無限の可能性の広がりを感じさせてくれます。<木漏れ日のアーチ>は、まるで祝福と希望の象徴。そんなひらけた“未来”への確信が<春だよ>という一言に込められているのではないでしょうか。 履きもしないまま しまっていた 真っ白なスニーカーで飛び出すから 何してるかな 笑ってるかな 想像だけじゃわからないとこ知りたいな 淡いブルーの列車に乗って 書きかけの手紙の続きを確かめに行こう 浅いドリームも胸張って 思わず叫んでしまいたくなる 春だよ 「春だよ」/関取花  歌が進むにつれ、ますます主人公の“変化”は確かなものとして描かれてゆきます。あの頃は<真っ白なスニーカー>を<履きもしないまま しまっていた>。手紙だって<書きかけ>だった。まだいろんなことに自信がなかったから。だけど“春”を迎えた今。止まっていた日々を自ら動かすのです。やっと<浅いドリームも胸張って 思わず叫んでしまいたくなる>くらいの自分になることができたのです。 淡いブルーの列車に乗って 木漏れ日のアーチをくぐって会いに行くよ 甘いフレーズを頬張って  君のえくぼのとなりへと向かう 春だよ 春だよ 「春だよ」/関取花  咲いた花も、叶った夢も、春の訪れも、少し自信をつけた自分も、大切な<君>に伝えたい。その真っ直ぐな気持ちに突き動かされてゆくのが、関取花の「春だよ」です。ちょっと心が憂いがちな方。是非、この歌を聴いてみてください。春の生命力があなたの心にも注がれて、ほんの少し上向きになれるかもしれません…! ◆紹介曲「 春だよ 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆Major Debut Mini Album『逆上がりの向こうがわ』 2019年5月8日発売 初回生産限定盤 UMCK-7011 ¥2,500(税込) 通常盤 UMCK-1621 ¥1,800(税込) <収録曲> 1.太陽の君に 2.春だよ 3.僕のフリージア 4.休日のすゝめ 5.カメラを止めろ! 6.嫁に行きます

    2019/05/23

  • 関取花
    その声を、その匂いを、僕だけでも覚えてたいです。
    その声を、その匂いを、僕だけでも覚えてたいです。

    関取花

    その声を、その匂いを、僕だけでも覚えてたいです。

     人と人が関係を“終わり”にするとき【置いていく側】と【置いていかれる側】に分かれる場合って多いですよね。片方だけ想いが消えてしまったり、夢を選ぶため他を諦めたり、遠くへ行かなければならなかったり。そんなとき、あなたなら【置いていく側】と【置いていかれる側】どちらがよりツライと思いますか…?  さて、今日のうたコラムでは【置いていく側】の気持ちと【置いていかれる側】の気持ち、それぞれが描かれている2曲の新曲をご紹介いたします。2018年6月13日に“関取花”がリリースした3rdフルアルバム『ただの思い出にならないように』収録曲です。尚、このアルバムタイトルには「あの頃のきらめきや、あの時の感情が、ただの思い出にならないように、歌に…」という彼女の想いが込められております。 ベルが鳴って 軋む列車 あどけない夢 動き出した あの子が手を振った なにかを叫んでいた 見て見ぬふりした だってもう もう バイバイ バイバイ 僕ら他人さ バイバイ バイバイ 決めたじゃないか 「バイバイ」/関取花  そんなアルバムの5曲目に収録されているのが、新曲「バイバイ」です。こちらは【置いていく側】の<僕>の心情が描かれた楽曲。主人公が乗り込んだ<軋む列車>が行き着く先にあるのは、生き生きと<あどけない夢>が育つための新しい場所でしょう。胸の内は期待と不安でいっぱいなはず。ただ、ほんの少し、後ろ髪を引かれそうになるのは【置いていかれる側】である<あの子>の存在があるから。  きっと<あの子>は<僕>にとっての大切な人。だけど、夢のため<僕ら他人>になることを決めた。だからこそ<僕>は今<あの子>の叫びを<見て見ぬふり>をし、続く歌詞では思い出を必死で掻き消しているんです。さらに“きみ”でも“あなた”でもなく、わざと<あの子>と呼んで、客観的な目で大切な人を見つめることで、自分自身に<他人>であることを思い知らせているかのようでもあります。 バイバイ バイバイ すべて捨てて行くんだ バイバイ バイバイ 戻れないんだ 悲鳴をあげて 走る列車 あどけない夢 僕を乗せて 「バイバイ」/関取花  それでも<すべて捨てて行くんだ>という意志と、今さら<戻れないんだ>という苦しみが、繰り返される<バイバイ>の狭間で揺れているように感じられますね。そしてラスト、まるで<僕>の叫びの代わりのように<悲鳴をあげて>走り出す列車…。【置いていく側】にも悲痛な葛藤があることは十分に伝わってきます。とはいえ<僕>の先に待っているのは新しい世界。今はツライけれど、やがては新たな環境に慣れ、夢の道を進み、徐々に過去を忘れながら、前に進んでいくのではないでしょうか。 君に出せない手紙で 溢れかえった部屋の中で 気づいたらいつも 倒れこんで 眠ってるんです 「動けない」/関取花  一方【置いていかれる側】の気持ちが描かれているのは、皮肉にも5曲目「バイバイ」に続く6曲目「動けない」という新曲です。【置いていく側】に待っているのは新しい世界ですが、【置いていかれる側】に残されるのは<君>だけが不在の変わらない毎日。ぽっかり空いた心の穴を埋めようにも、どうしようもない日々。だから<君>への想いも変わらなくて、変われなくて、ただ<君に出せない手紙で 溢れかえった部屋の中で>独り、世界に取り残されているのです。 だけどいいんです どんなに世界が 輝いているとしても 僕はまだここにいたいです ひとりぼっちだっていいんです 抱きしめて 抱きしめて あげることができなくてもいい その声を その匂いを 僕だけでも覚えてたいです 色あせて 色あせて ただの思い出にならないように 「動けない」/関取花  この<僕>は一見、自分の意志で<まだここにいたい>と、<ひとりぼっちだっていい>と、言っているように感じられますが、実は<その声>や<その匂い>を忘れたくないという気持ちに縛られて、どうしても前に進めずにもがいているのかもしれません。だからこそタイトルは「動けない」なのです。でも「動けない」ことは、必ずしも悪いことではないようにも思えます。    どんな悲しみにも底はある。それなら、その日がやってくるまで、大切な“あの頃のきらめきや、あの時の感情が”<ただの思い出にならないように>とことん悲しみの中でうずくまることも、自分の人生にとって大切な時間なのでしょう。なんだか「バイバイ」の<あの子>のその後が「動けない」の主人公の心に重なるような気もしますね…。    こうやって「バイバイ」と「動けない」2曲を続けて聴いてみると、やはり【置いていく側】より【置いていかれる側】の方がいっそう心の後遺症が長そう。ただし、5曲目「バイバイ」、6曲目「動けない」に続く、7曲目「朝」はどちらの立場である人の心もスーッと自然に上向きになってゆくような楽曲となっておりますので、3部作として続けて聴いてみるのも、楽しみ方のひとつとしてオススメです…! ◆3rdフルアルバム 『ただの思い出にならないように』 2018年6月13日発売 DSKI-1003 ¥2500(税込) <収録曲> 1.蛍 2.しんきんガール 3.親知らず 4.オールライト 5.バイバイ 6.動けない 7.朝 8.あの子はいいな 9.彗星 10.三月を越えて

    2018/06/27

  • 関取花
    親知らずがズキンズキンとうずくたび、あなたのせいにしたくなり…。
    親知らずがズキンズキンとうずくたび、あなたのせいにしたくなり…。

    関取花

    親知らずがズキンズキンとうずくたび、あなたのせいにしたくなり…。

     2018年6月13日に“関取花”が3rdフルアルバム『ただの思い出にならないように』をリリース。今日のうたコラムではその収録曲から、すでに先行配信&歌詞先行公開がスタートしている新曲「親知らず」をご紹介いたします!尚、同曲はNHK『みんなのうた』で放送中のナンバー。歌詞に描かれているのは、思春期ならではの複雑な感情です。  子どもから大人へ成長してゆくなかで生まれる、自分のもどかしい気持ちを【親知らず】というキーワードによって表現しているこの歌。ちなみに【親知らず】とは、大人の奥歯で最も後ろに位置する歯であり、生える時期は10代後半から20代前半だそう。ゆえに、親に知られることなく生えてくるため、それが名前の由来となっております。 言えないことが増えるたび 大人になれた気がしてた 嘘が上手につけるたび 賢くなれた気がしてた なにかを抱えていなきゃ 不安で仕方なかった 満たされないふりしたかった あの頃 真っ暗闇の奥に隠してた 痛みがありました 「親知らず」/関取花  親に知られることなく生えてくる歯。同様に、親が知らない変化って他にもたくさんあるんですよね。学校での出来事。初めての恋。芽生え始めた夢。うまくいかない勉強。自分の心身に対するコンプレックス。人間関係の悩み。などなど…。でも、思春期とは“親から離れたいという欲求”が高まる時期です。だから<言えないことが増えるたび><嘘が上手につけるたび>きっと“自立力”がついているような気持ちになるのでしょう。  さらに【親知らず】のことを英語では【wisdom tooth】と言い、【分別】や【知恵】がつく年頃になってから生えてくる歯であることに由来しているんだとか。しかし【親知らず】が生えてくるとき、痛みを感じる場合があるように、心の成長にも痛みを伴うことを、この歌は教えてくれます。たとえば<なにかを抱えていなきゃ不安>で<満たされないふりしたかった>…それは幼い頃には感じることのなかった、初めての<痛み>です。 あなたの知らないうちに あなたの知らないうちに 大きく育ってしまった 親知らずが ズキンズキンとうずくたび あなたのせいにしたくなり 扉の鍵を閉めました 「親知らず」/関取花  いくら“自立力”がついている気になったところで、初めての<痛み>は自分でもどうすればいいかわかりません。かといって<あなた>に痛みを上手く説明することもできません。そう葛藤しているうちにも【親知らず】のように心は<ズキンズキンと>うずく。その痛みを<知らない>でいる親にイライラする。自分のことをわかってくれない『子の心、親知らず』だと感じる。そんな感情が<扉の鍵を閉めました>というワンフレーズから伝わってきます。 大丈夫と聞かれては 放っておいてと言った 知らないくせにと突き放した あの頃 それでもいつもあなたに見透かされてた 痛みがありました あなたに言えないうちに あなたに言えないうちに 大きく育ってしまった 親知らずが ズキンズキンとうずくたび あなたの顔を思い出し 夜に紛れて泣きました 「親知らず」/関取花  ただし、この「親知らず」の歌詞は、すべてが過去形になっているのです。つまり<あの頃>より少し大人になった主人公が【親知らず】だった自分を今、改めて見つめているのです。そしてやっと気づいたのは、どんなに<放っておいて>と言っても<知らないくせにと突き放し>ても、結局は<いつもあなたに見透かされてた>んだということ。『子の心、親知らず』ではなく『親の心、子知らず』だったんだということではないでしょうか。 素直になれないくせに 優しくなれないくせに 大きく育ってしまった 親知らずが ズキンズキンとうずくのは あなたに言えない言葉を ぎゅっと噛みしめるからでした 「親知らず」/関取花  歌の冒頭では、自分のことだけを考え、自分のためだけに痛みに苦しんでいた主人公。だけど終盤では“親の心を知らなかった自分”=【親知らず】だった自分が<あなた>のことを想い、その痛みを噛みしめているかのように感じるのです…。 今、誰にもわかってもらえないと思う心身の痛みを抱えている方。それを他者に話すのは簡単なことではないでしょう。でも、それでも、心の扉の鍵を開けて、一番身近な人にその痛みを伝えてみてはいかがでしょうか。  その人もかつて、同じ痛みを経験してきたのかもしれません。話してみたら、あなたの気持ちをちゃんとわかってくれるかもしれません。気持ちを言葉にすることで<ズキンズキンとうずく>痛みが、どうか今より少しでも和らぎますように…!

    2018/06/01

  • 関取花
    努力は大抵報われない、願いはそんなに叶わない、それでも…。
    努力は大抵報われない、願いはそんなに叶わない、それでも…。

    関取花

    努力は大抵報われない、願いはそんなに叶わない、それでも…。

    みんな嘘つきでしょ? この世で一番の内緒話って 正義はたいてい負けるってことでしょ? 夢はたいてい叶わない。 努力はたいてい報われないし 愛はたいてい消えるってことでしょ? (ドラマ『カルテット』第5話より)  先日放送された、ドラマ『カルテット』の終盤で、ある女の子が言い放った言葉がザクリと刺さりました。耳ざわりの良いキレイゴトばかり口にしている人は、現実から目を背けているだけだと彼女は言うのです。そんな悲しいこと言わないで、と思うと同時に、たしかにそのとおりだ…と感じる部分もありますよね…。実はみんな、その“内緒話”を知っているからこそ、他人や自分自身に希望的な“嘘”を言い聞かせて生きているのかもしれません。  ただ結局、大人になるにつれ厳しい“現実”を思い知ることがほとんど。そして、仕事でも恋愛でも人生のすべてにおいて“嘘”を強く信じて、夢みてしまった人ほど深く傷つくのです。だったら、子どものころから「夢はみるもんじゃない」と教わっていたほうがよかったのでしょうか。もしもいつか自分に子どもができたら、そのように教えるほうがよいのでしょうか…。そんなことを悶々と考え込んでいるとき、ふとラジオからこの曲が流れてきました。 もしも僕に子供ができたら どんなことを伝えるだろう 期待してるよ 頑張れよ そんなこと まず言わないだろう 一日三食飯食って よく笑いよく泣き遊べ そして他人を褒められる人になれ 努力は大抵報われない 願いはそんなに叶わない それでもどうか腐らずに でかい夢見て歩いて行くんだよ 「もしも僕に」/関取花  シンガーソングライター“関取花”が2月15日にリリースしたアルバム『君によく似た人がいる』の収録曲です。歌詞の構成はどこか“さだまさし”の「関白宣言」に似ております。あの曲が妻に伝えたいことを宣言しているように、「もしも僕に」では、未来の自分の子どもに伝えたいことを宣言しているのです。<努力は大抵報われない 願いはそんなに叶わない それでもどうか腐らずに でかい夢見て歩いて行くんだよ>…、これは先ほどの『カルテット』のセリフに対するアンサーのようにも感じませんか?  さらに「もしも僕に」の歌詞中には<初恋なんてまぼろしで 思いは大体届かない それでもどうか忘れずに 胸の端っこで大事にするんだよ>というフレーズも登場します。ではどうして、報われないこと、叶わないこと、届かないことがもうなんとなくわかっているのに、それでも“大切にしろ”と彼女は歌うのでしょうか。どうしてそれを我が子に伝えたいのでしょうか。歌は次のように幕を閉じてゆきます。 それもこれも 最後には 笑い話に変えられるように 人生なんてそうさネタ探し 楽しんだもん勝ち そういうものだよ もしも僕に子供ができたら そういうことを伝えたい でもまだきっとずっと先の話 だからそれまで自分に言い聞かす とりあえず自分に言い聞かす 「もしも僕に」/関取花  そうです、夢みて生きるのは<楽しんだもん勝ち>だからです。どうせ正義は負ける、愛は消えるなどと、すべてを諦めて生きるよりも、逆にいっそすべてに希望を持って毎日を過ごしたほうが、生きてゆくのが楽しいような気がしますよね。そしてたとえ傷ついたってそれさえ人生の“ネタ”として宝物にしてしまえばいいのです。そう考えると、冒頭のセリフで悶々としていた気持ちが少し軽くなってきます。また、未来の子どもへのメッセージと見せかけておいて、本当は今の<自分に言い聞かす>というラストもグッときます。この曲は「私はこうやって生きていきたい」という宣言だったんですね…!    ちなみに、関取花は昨年9月に『行列のできる法律相談所』に出演。先日2月14日には『今夜くらべてみました』に登場し、“ひがみソングの女王”や“ひがみ系アーティスト”とも称され話題になっております。「もしも僕に」の他にも、アルバムに収録されている「べつに」や「また今日もダメでした」など、歌詞を読んでいただきたい楽曲揃いですので、是非チェックしてみてください! ◆紹介曲「 もしも僕に 」 作詞:関取花 作曲:関取花 ◆ニューアルバム『君によく似た人がいる』 2017年2月15日発売 DSKI-1001 ¥2130 +税 <収録曲> 1 この海を越えて行け 2 君の住む街 3 また今日もダメでした 4 ベントリー・ワルツ 5 もしも僕に 6 僕らの口癖 7 べつに 8 黄金の海で逢えたなら 9 カッコー 10 平凡な毎日 11 それでもいいならくれてやる

    2017/02/17

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