きみを想うことがぼくがぼくを生きること。

 2024年2月28日に“帝国喫茶”が3枚目のEP『ハロー・グッドバイ - EP』を配信リリース! 今作には配信シングル曲「東京駅」を含む4曲を収録。“出逢いから別れまで 生まれてから死ぬまで”というテーマを掲げ、杉浦祐輝(Gt.&Vo.)、疋田耀(Ba.)、杉崎拓斗(Dr.)の3人が作詞作曲を担当。またジャケットアートワークは過去作に引き続きアクリ(G)が制作。作品タイトルを花束を持った女性の絵で表現しております。
 
 さて、今日のうたではそんな“帝国喫茶”の杉浦祐輝(Gt.&Vo.)による歌詞エッセイを3回に分けてお届け! 今回は第1弾です。綴っていただいたのは、収録曲「東京駅」に通ずるお話です。自身にとって歌詞とはどんな存在のものなのか。そして歌詞に何を書いてきたのか…。ぜひ歌詞と併せて、エッセイをお楽しみください。


 
 普段はインタビューなどで、自分の曲や歌詞について説明することはあっても、1から自分の言葉で、文字でそれをすることは滅多にない。曲をどんな風に受け取って貰ってもいいと思っているし、自分で説明するのは野暮なことだと思っているところもある。でも、こんな機会もほとんどないからせっかくなので話してみようと思う。そんなふうに作ってるんだなと思ってもらえて、それを想像しながら聴くという選択肢が増えたら、それはそれで楽しいことかもしれないし。今回は「東京駅」の歌詞に触れながらどんな風に歌詞について考えているか、話してみる。
 
 まずは、そもそも歌詞を書くというけれど、何を書いているのか、というところから。
 
 僕はメロディから先に作っていて、歌詞はそこに当てはめていくように作っている。だから歌詞を「書く」という言葉はあまりしっくりこない。いつも歌詞は「描(か)いて」いる。絵のスケッチをするような感じ。ちなみに絵はすっごく下手くそ。まあそれはいい。曲も歌詞と同じように「描いて」いる感じがする。
 
 とにかく、「書く」というより「描く」なのだ。そして、メロディが先にあるので歌詞を描くことは曲を描くことの一部だという感覚がある(当然といえば当然なんだけど)。なので歌詞、というより曲、つまり音楽で、何かを描いている。それは何かを先に話す。
 
 僕は音楽で言葉にならない気持ちを描いている。友達と話したり、ひとりで帰り道を歩いたり、生きているうちに目にしたり聴いたり、感じたりして触れる全てのことに反応して、僕たちは毎日、1秒1秒たくさん気持ちが動く。動いて、変わって、積み重なって、だんだんと「嬉しい」とか「楽しい」とか「悲しい」とかそういう言葉では捉えられなくなっていく。捉えられない、分からないということは人間にとって苦しいことだと思う。言葉にできないそういう気持ちを形にするのが僕にとって音楽であり、歌詞を描くことで歌うこと。大事なものでもあるし、時間が経つと忘れてしまうものでもある。だから大事なことを忘れてしまわないように、何度も歌う度に思い出せるように曲を描く。
 
 そして、それが必要な人のところに届いたらいいなと思う。
何を隠そう僕自身がそういう音楽を必要としてきたから。分からなくて、もがいたり、苦しかったり、はたまたぼーっとしている時に、僕の曲がそばにいられたらいいなと願っている。
 
 心の奥の奥のほうにある、言葉にならない気持ちたちはどんどん膨らんでいって、抱えきれなくなっていく。もうどうしようもなくなってしまいそうなところで、僕は音楽を始めた。少しずつ気持ちを形にしてきた。
 
 「東京駅」で形にしたかったのは、“遠く離れたものほど美しく思えることがある”ということ。
 
 例えば、大切な人が死んでしまったらもう2度と会えない。でも会えないからこそ、会いたいとより強く思う。そばに居る時には会いたいとは考えない。そばに居ないからこそ、その人のことを想う「会いたい」という気持ちはより強くなる。一緒にいた時間が輝いて見える。
 
 もうひとつ例え話を。いま僕は25歳になる。小学生ぐらいの頃はまだ色々なことを知らなくて、やらなければいけないことといえば学校に行くことぐらいしかなくて。意味だとか無駄だとかそういうことを考えずに夢中になって公園で遊んだりしていた。ほとんどの人がそうだと思う。そんなことはないか。小学生でも公園で遊ぶなんてダサいぜという賢くてかっこいい人もいるかも。でも僕は純粋な気持ちで、やりたかったらやる、遊びたかったら遊ぶ、眠くなったら眠るって感じだったと思う。
 
 そんな頃にはもう2度と戻れない。色々なことを知ると同時に考えることが増えて、動けなくなることも増えていく。あんなに素直に動けていたことがとても懐かしく、その純粋さが綺麗で美しく、懐かしく思えたりする。でも、あの頃はそれが綺麗だなんて思ってないし、早く大人になりたかったし、色々なことを知りたがっていた。そうして今の自分になっている。時が経ったから、今は色んなことを知らなかったあの時間が愛おしく思える。もう戻れないからこそ、あの頃の自分が輝いて見える。
 
 こうやって過ぎ去っていく時間や、モノや人が遠くに行ってしまうことは寂しく、悲しいことのように思える。でも、時間や存在が遠くなればなるほど、それを思う気持ちは大きくなったりするし、その輝いていた時間や存在はより輝いて見える。そして、優しく胸の中に残っている。
 
 「東京駅」で描いたことを言葉にするとこんな感じになる。僕が音楽で描いていることはひと言では表せないこういう心の奥にある気持ちだ。
 
 でも、実際に曲を描いている時には、こんなふうには文章にできない。今は曲として一度、形にしたからこうやって文章で説明できるけど、曲を作っている時はこのイメージは言葉にならないものとして自分の中にある。ただぼんやりとした形のない気持ちがある感じだ。モヤモヤとかじんわりと言ってもいい。そういうぼんやりとしたものを何とかメロディと歌詞にしていく。
 
 絵を描くなら、何か風景や、人とか、目に見えるものを見ながら描くことができる。目に見えるものを目に見える絵という形で描く。
でも気持ちは目に見えない。それを音に変える。
音楽を作るということはそういうものだと思う。
目に見えないものを耳で聴く音に変えていく。
 
 だから曲も歌詞も、頭で考えて描くことはほとんどできない。曲を作ることは僕にとってすごく感覚的な作業だ。
 
 それに僕は音楽を作るよりも歌うことが先にある。
小さい頃から、サッカー選手か歌う人になると決めていて、サッカー選手は才能の問題で難しかったので、高校生までで辞めてしまって、自然と音楽のほうにやってきた。
 
 曲を作るのと同じように、歌うこともまた、とても直感的なこと。
歌っていて気持ちいいとか、気持ち悪いとか、そういう直感的なことがほとんどな表現の仕方。作ったメロディーや歌詞を歌ってみればそれが良いか悪いか、自分の描きたいことに合っているか合っていないか、説明しなくても分かる。
 
 僕は歌を歌いたいから音楽を始めた。つまり、作った曲を「歌う」という直感的なことが先にある。
 
 だからまずは歌詞よりも歌に近い、メロディーからつくる。歌詞だけだとそれは言葉だから、それを先に描くと気を抜いたら頭を使ってしまうから。
目に見えない、心の奥の言葉になっていない気持ちだけを頼りに、何度も歌ってそれが合っているか、合っていないか、それをひたすら繰り返してメロディーをつくる。
 
 その中でたまに、メロディーと同時に自然に、もうそこにあったみたいに歌詞が出てくることがある。それはほんのワンフレーズかもしれない。それを頼りに、そこを起点にして、ただ合っているか合っていないか、それだけを考えてパズルのピースのように言葉を当てはめていく。だんだん埋まってきて、前後の流れとか、そういうことを頭で考えることも少しはある。でも、基本的には、描きたいものに合ってるか合ってないかということだけを頼りに、歌詞を描いていく。感覚的で地道な作業。そうやって生まれるものが僕にとっての歌詞だ。頭で考えないで作っても、それが歌って気持ちよければ、あとで詞だけを見てもちゃんと意味が通ったものになっている。
 
 今まで、先に歌詞を描いたり、描きたいことを先に文章にしてから作ることもしてみたけど、そうやって作った歌詞を歌ってみると、「なんか違う」ということになる。それはきっと、僕にとっての歌詞は歌うことが先にある「歌うための言葉」だからだと思う。
 
 だからそういう意味で、歌詞は音楽や歌を言葉でも理解するのを助けるためだけのものだと思う。
音楽を聴いて頭で考えなくても、涙が出たり、胸が躍って体が動いたりするのは、音楽が頭で考える前に心に直接届くものだから。文章や小説や詩は頭で考えて理解して初めて感じるものだから、歌詞とは全く違う。じゃあ心に直接届くものを作る時にも、頭でなるべく考えずに心の奥から自然と出てきたり、時には心の奥から引っ張り出してきたりして作るしかないんじゃないかなと思う。
 
 そうやって作ると同じ曲の中で二人称が「きみ」になったり、「あなた」になったりする曲もあって、これはどうなんだろうと思うこともあった。それでもやっぱり時間が経ってじっくり考えてみると、例えば恋人を呼ぶ時にふたりでいる時と、人前にいるときでは呼び名が変わったりするんだから、それも自然なことだったんだなと思い直したりする。
 
 そんな風に出来上がった曲や歌詞を聴いて、読んで、あとから考えることはできる。いま僕がこうしてやってきたように。
僕にとってインタビューをしてもらうことなんかはちょうどそれにあたる。その中で、歌詞の意味があとから分ったりすることもよくある。あとから考える作業で、曲のことも、そしてそれを生み出した自分のこともより深く理解することになる。
 
 「東京駅」を作ってあとから考えたことがある。
 
 音楽を作り始めた時は、今話しているような、音楽で何を描くかということが分からなくて、自分は何を歌えばいいのかとよく考えていた。そしてなにより自分のことが分からなかった。だからそれをなんとか分かろうとして、自分のことを歌っているつもりだった。でもどれだけ自分のことを歌っても、やっぱり自分のことは分からなかった。
 
 だから、ほんとうは誰かのために歌っているんじゃないかと思って、「恋人へ」「みんなへ」という自分ではなく、あなたに向けた曲を描いた。その中でも自分が分からないと描いていた。誰かのためにと思って描いても、自分のことを歌うんだから誰かのために歌ってるんじゃない。でもやっぱり自分がわからない。そうしているうちに自分なんてどこにもいないと思った。お陰で何を歌ってきたか気づいた。
 
 そうやって悩んだりしながら、これまでいつだって、自分のいちばん心が動くことだけを描いて歌ってきた。その時、心の奥にある、言葉にならなくていちばん大きくなっている気持ち。
 
 その言葉にならない気持ちは、生きているうちに触れる全てのことへの反応として生まれてくる。気持ちは、自分が何かに触れて初めて動く。何にも触れずに自分だけを見ていても気持ちは動かない。だから、自分なんて始めからなかった。
 
 
 そして、僕にとっていちばん大きな反応は大切な人に対して生まれるものだった。
 
 大事にしているからこそ、壊れたら悲しいし、そこにあるだけで嬉しい。どうでもいいものが壊れてもあまり心は動かない。
 
 いつも歌詞にしてきたのは大切な人を自分がどう想っているかということだった。
 
 これまで自分のことを歌っていると思ったり、大切な人に向けて歌っていると思いながら自分のことが分からないと歌ったりしてきたけど、そもそも自分なんてなかった。どこにもいなかった。
 
 
 大切な人を想うからこそ生まれる自分の気持ちを、これまでずっと変わらず確かに歌ってきていた。それをするのが自分なんだ。だから、これからも大切な人を想って生んだ音楽を歌って生きていきたい。
 
 
きみを想うことが
ぼくがぼくを生きること
 
 僕にとっての歌詞は「歌うための言葉」だから、音楽と切り離せなくて、音楽のことから話していくとこんなにも長くなってしまった。はじめがこんなに長いと、第2回、3回と書いていくことを考えたとき少し恐ろしい。でも頑張る。
 
 帝国喫茶はソングライターが3人いるので、残りの2回は疋田耀、杉崎拓斗、ふたりが描く歌詞について話してみようと思う。ふたりは自分で歌うことはほとんどないだろうから、今日の話は当てはまらない部分が多いと思う。そんなふたりの歌詞と、それを歌うことをどんな風に考えているかを残りの2回で話せたらと思います!お楽しみに。
 
<帝国喫茶・杉浦祐輝>



◆紹介曲「東京駅
作詞:杉浦祐輝
作曲:杉浦祐輝

◆EP『ハロー・グッドバイ - EP』
2024年2月28日発売
 
<収録曲>
01. さよならより遠いどこかへ
02. 東京駅
03. ハル
04. ロードショー