いつか僕らが光る街

 2024年12月4日に“KALMA”が配信シングル「光る街」をリリースしました。切なさや哀愁を感じさせるメロディと歌詞、そしてロックサウンドをベースにしつつも、KALMA流のアレンジでポップスへと昇華させた新たな挑戦となる楽曲。東京という街に生きるボーカル畑山のリアルな心境が描かれた1曲となっております。
 
 さて、今日のうたではそんな“KALMA”の畑山悠月による歌詞エッセイをお届け! 綴っていただいたのは、新曲「光る街」に通ずるお話です。夢に、バンドに、大好きだった音楽に、心を殺された、その先で気づいたことは…。ぜひ歌詞と併せて、エッセイを受け取ってください。



2024年、夏
東京に来て初めての夏
汗を流すため毎日5回はシャワーを浴びてた
道産子には厳しすぎる夏
 
僕は、暑さに殺される前に、夢に殺された。
 
大好きだった音楽に、バンドに、心を殺された
 
今までも似たような状況に陥ったことはある
 
その時に出てくる感情はいわゆる“悔しい”だった
 
それが“諦め”になってしまった
 
夢に殺された。
 
 
 
16の時に始めたバンド
 
がむしゃらにバンドをしていた10代の僕らに
偶然たくさんの追い風が吹いた
僕らは右も左も分からないまま
気持ちよく帆を立てて進んだ
順風満帆な人生だった
 
契約が決まった2020年
見えない勝てない敵が現れた
僕らを乗せた船は思った通りには進まなかった
帆は意味を成さなかった
 
だけど僕らは風の吹かない大海原を
全身の筋肉を使い大声で叫びながら
きっと進んでいると錯覚しながら
ひたすら船を漕いだ
 
確かにその船は少しずつ進んでいた
 
気付けばたくさんの人が愛してくれていた
 
仲間もたくさんできた
 
とびっきりの恋もした
 
 
 
2024年、夏
 
札幌から東京に来た
 
すぐに都会の色に染まってしまった
 
東京に満足してしまった
 
9年間ただがむしゃらにバンドをしていた僕は
夢を追う理由を考えるようになってしまった
 
理由なんてほんとはないのに
 
ただ音楽が好きで
気付いたらギターを始めて
気付いたら友達とバンドを組んで
気付いたら東京で暮らしていた
 
夢を追う理由がわからなくなってしまった
 
歌いたいことがなくなってしまった
見たい景色がなくなってしまった
知りたいものがなくなってしまった
 
叶えたい夢なら
ある程度叶ってしまった
 
東京が悪いんじゃない
きっとそーゆータイミングだった
自分が曲を書けなくなったり
ライブで上手く歌えなくなったり
結果が報われなかったり
そんなことが続いてく中で
「お前はもう十分頑張ったよ」って
誰かにあの時言われてたら
僕はいつでも音楽をやめていたと思う
 
だけど
そんなこと言う人は
誰1人僕の周りにいなかった
 
みんなして
「まだまだこれからっしょ」って
僕からギターを取り上げようとはしなかった
 
ずっとわがままに生きてきた
自分の人生だから好きに生きてきた
自分が誰かの役に立てる人間だなんて
1ミリも思ったことがなかった
だからわがままに生きてきた
 
だけど
誰かのために頑張りたくなった
 
家族、友達、恋人、チームのみんな
ライブに足を運んでくれる君
 
誰かのために頑張りたくなった
 
飛んだ勘違いかもしれないけど
みんな僕の音楽を待っている気がした
 
僕は音楽を続けたくなった
 
僕にはもう音楽しかないことに気づいた
 
とある日の帰り道
井の頭線に揺らされた僕は
なんとなく、大好きなとある曲を再生した
 
 
そうだ
 
僕よ、僕をその向こうへ連れていってくれ
僕よ、僕にその先を教えてくれ
 
この街で僕らを光らせてくれ
 
それができるのは僕らだけだ
 
2023年のまだ雪が降っていた札幌から
ずっと冬眠させていたメロディに
やっと歌詞をつけた
 
この街も
君も
過去も
未来も
諦めかけた夢も
その全てを
いつか僕は
きっと愛せると思った
 
東京で生きている僕は
いつか全てを愛せていると思えることができた
 
 
夢に殺された僕は
夢のおかげで今日も生きている
 
夢があってよかった
音楽があってよかった
 
そう思える一曲ができた
 
まだ音楽を続けたい理由ができた
 
叶えたい夢がまたできた
 
今の僕には
歌いたいことがたくさんある
 
<KALMA・畑山悠月>



◆紹介曲「光る街
作詞:畑山悠月
作曲:畑山悠月