2025年4月18日に“神はサイコロを振らない”が新曲「Lovey Dovey」をリリースしました。同曲は、ドラマ『あやしいパートナー』エンディング主題歌。神はサイコロを振らないを応援してくれるファンの姿を想い書き綴った逆ラブレターソングであり、ドラマの主人公である春斗とさくらのラブストーリーにやさしく寄り添う楽曲となっております。
さて、今日のうたコラムではそんな“神はサイコロを振らない”の柳田周作による歌詞エッセイをお届け! 自身がずっと抱えてきた問題。その正体と初めて向き合ってみた結果、見えてきたひとつの答えは…。ぜひ新曲と併せて、エッセイを受け取ってください。
神はサイコロを振らないの柳田周作です。
約3年ぶりの歌詞エッセイということで、ご無沙汰しております。
前回自分で書いたエッセイを読み返して驚きました。
活字が苦手なこと、子どもの頃から悩み苛立っていたこと、大人になった今でも頭の中で得体の知れないものがぐるぐる回っていること。
今こうしてカタカタ文章を打ち込んでいますが、実は上記の問題、そしてその正体と生まれて初めて向き合い、決着をつけてきた直後であります。運命を、ディスティニーを感じますなあ。
どうやら僕は一般的な「普通」をこなすことが難しいタイプの人間みたいでした。その「普通」に擬態する方法はあるけれど、創作・表現の根本でもある「衝動」や「妄想」までもが失われかねないと。
物心ついた時からずっと頭の中が忙しなく、計画性などまるでなく、当たり前のことすら当たり前にできず、ただ自分が他人より劣っているだけなのだと悩んだ10代。
それらに悩み、他人に迷惑をかけまくりながらも、それでもこの世界であれば自分らしく生きていけるかもしれないと思えた20代。
熱狂しては涙して、大好きで、時折嫌いになりそうになるけど結局大好きで、人生で、希望で、夢で、そんな音楽に首ったけ、超ゾッコン、ラビダビな30歳。
とっくに気づいているじゃあないか。
いわゆる「普通」がこなせなくたって、一般社会に溶け込めなくたって、どこまでも不器用な自分の歌を、言葉を、表現を待ってくれる人が沢山いるじゃあないか。
結論、僕は「普通」に擬態する道を選びませんでした。
頭の中で一生鳴り止むことのないノイズの茂みを掻き分け、一際輝く色彩や情景、メロディやビートをキャッチして作品に起こすこと、共鳴してくれる大切な人達の心へ届けること。それこそが自分の生まれてきた意味であり、試練であり、使命である気がしています。
これは病ではなく、特性なのだから。