アイスバーグに沈む歌

 2025年6月18日に“南壽あさ子”メジャー4枚目となるフルアルバム『AMULET』をリリースしました。47都道府県ツアー(3度目)と並行して発表され、本人の音楽活動の集大成とも言える作品。新曲として収録される「珈琲フロート漂流記」と「オン・ザ・スクリーン」には、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーで知られるロック界のレジェンド、鈴木茂が今作もギターで参加しており、必聴の一枚となっている。
 
 さて、今日のうたではそんな“南壽あさ子”による歌詞エッセイを3週連続でお届け。最終回は収録曲「珈琲フロート漂流記」にまつわるお話。ふと自身の心に留まったフロイトの言葉。そこから浮かんだイメージ。そして、そのフロイトの言葉に続きを綴るなら…。ぜひ歌詞と併せて、エッセイを受け取ってください。



大学の図書室で、ある日ふと手に取った本のなかに、フロイトのこんな一節を見つけた。
 
“The mind is like an iceberg, it floats with one-seventh of its bulk above water.”
――心とは氷山のようなものである。
水の上に顔を出して浮かんでいるのは、たった七分の一だけ。
 
この言葉を読んだとき、わたしの脳裏には“珈琲フロート”のシルエットが浮かんだ。
 
グラスの中にぽっかりと浮かぶバニラアイス。
ひんやりと白く、つかの間、全てを見せているようでいて、すぐにゆっくりと溶けていく。
甘く、ほろ苦い海のなかへ。
 
この一節は、それ以来わたしの心に、ずっと潜り込んだままだった。
言葉として思い出すことはなくても、どこか奥深くに、泡のように静かに滞在していたのだと思う。
何年もの時を経て、それはある日、ふいに浮上してきた。
それは、まるで恋のようだった。
 
 
わたしたちは、ほとんどの心を内に隠して生きている。
意識して、あるいは無意識のうちに。
子どものころは、その輪郭がもっとはっきりしていたのかもしれない。
けれど、時が経つにつれ、少しずつわたしたちは分別を身につけ
気づけば珈琲の海に、静かに溶け合ってしまった。
いまではもう、自分の心のどこに何があるのか、自分でもはっきりとはわからないことがある。
 
そんな時、わたしたちは芸術に勇気をもらう。励まされる。
見えなくなった心のかけらを、もう一度浮かび上がらせてくれるものに、手を伸ばす。
 
音楽や言葉や風景が、遠い記憶のように、沈んでいた感情をそっとすくいあげてくれる瞬間がある。
そのとき、わたしは「これは、ずっと前に確かに自分の中にあった」と気づくのだ。
 
だからこそわたしは、珈琲の海に沈んだ心を
銀色に光るパフェスプーンでそっとすくいあげるような、そんな歌を歌いたいと思った。
誰にも見せられなかった想い、言葉にならなかった気持ち。
そうした感情は、現実のなかではいつも沈黙を守るけれど、音楽のなかでは静かに滲み出してくる。
 
午後の光の粒が黒褐色の波をすり抜け、グラスの底でさざめくように踊っていた。
暗く深い海に、思いがけない明るさが宿っていることもある。
その対比のなかに、わたしは、夏の眩しい陽射しのような希望を見ている。
 
氷山のように、わたしたちの心の大部分は“水面下”にある。
隠したまま、見失ったまま、それでも生きていく。
見えない地図を手に、漂いながら、どこかを目指している。
 
 
歌の終わりのコーラスで、フロイトの言葉につづき、こんな言葉をつけ加えた。
 
“So, what's the remainder? We always make our hearts swim in the sea of coffee.”
――では、残りの部分はどこへ?
わたしたちはいつも、心を珈琲の海に泳がせている。
 
 
わたしたちの心は、今日もまた、漂っている。
溶けてはにじみ、にじんでは消えて。
その影を追いかけながら、わたしは歌っている。
 
――これは、ほんのすこしだけ溶けかけた、心の旅日記。
 
<南壽あさ子>



◆紹介曲「珈琲フロート漂流記
作詞:南壽あさ子
作曲:南壽あさ子

◆フルアルバム『AMULET』
2025年6月18日発売
 
<収録曲>
1. 珈琲フロート漂流記
2. あなたがいる
3. 時の環
4. オン・ザ・スクリーン
5. ローファー
6. あおもりもりもりのうた
7. あじき路地
8. 幸せの途中
9. がんばるひとへ
10. パラブルの島
11. 呼吸のおまもり