ホームという曖昧で僅かに感じているもの

 2024年6月5日に“ルサンチマン”が5th Maxi Single「Our Tour, Your Home」をリリースしました。今作は、メンバー自身の駆け巡る日々を綴り、焦燥の中での仕事・学校と生活するうえで毎日帰る家の温かさが身にしみる内容のポップな2曲「ホーム」「アワーツアー」、音だけで“静かな心の激しさ”を伝えるインスト曲「tennmichi」「uya」の2曲の全4曲入り。ポップとオルタナの融合を意識しライブと音源では違った表情を魅せるマキシシングルとなっております。
 
 さて、今日のうたではそんな“ルサンチマン”の北による歌詞エッセイを3週連続でお届け! 今回は第2弾。綴っていただいたのは、収録曲「ホーム」にまつわるお話です。自身にとってのホームとは一体どんなものなのか、なぜこの歌はホームにこだわって書いたのか…。ぜひ、歌詞と併せて、エッセイをお楽しみください。



ライブハウスのことを「ホームだ」と感じたことは僕にはまだない。
もちろんライブハウスに苦手意識があったり嫌いというわけでは決して無くて、寧ろ音楽をやる上で物理的にも精神的にも限りなく適した環境だと思う。
 
ただ、自分にとってホームと言って遜色ないものっていうのは 例えば 実家の朝食や エントランスの匂いであったり、バンドの遠征帰りに 家までの始発を待つ荻窪のスタジオであったり、サンダルと寝巻きで赴けるような地元の居酒屋で親友から なんか 積立ニーサの話やら 最近オススメのユーチューバーとかの話とかを半ば聞き流しながら教えてもらったりする時間だったり。
個人的には ホームってこれくらい気の抜けたものでいいし ドラマチックじゃない事柄が見合ってるように感じる。
 
だからルサンチマンのライブに チケットを買って来てくれる方々にとってのホームになりたい とも今はあまり考えていない。
もちろんそう思ってくれても有難い!
ただ自分にとっての音楽は一娯楽であって、だからこそ気高いというか。
ホームよりも遠くから律していたい、もっと絶対的でいたいんだろうな。ややこしいことに。
 
辛いのはみんな同じ、それはそうなのかもしれないが 人には人の問題が 苦労が 大なり小なりあって、ただ それを解決したい させたいとかそんなズカズカ介入するような歌じゃないつもり。そう聴こえてたら嬉しい。
僕らのような演者や、あなたのことを知らない人が放つ表現にできることは ざっくり言えば感動させることだけだ。
 
無意識にぼーっと なんとなく好きな何かや 誰かを見つめる時間や、「何気ない」とも思わないような何気ない機微などを言い得て共有することは難しい、うーん、例えすらこんなにもぼんやりとしてしまうほど 人には人のホームがあるとしか言いようがない。
(大体それは取り立てて人に見せるような大したものでもないので、なんならこれを読みながらも 思いあたらないくらいのものが丁度いいのかもしれない。)
 
これだけホームについて定義づけしようとはしたものの、実際それがいざという時に己を救ってくれるものとは保証できない。絶望の種類にもよるし 分かりやすく救ってくれるのは案外 素性もそこまで知らない表現者かもしれんし。
 
じゃあなんで僕がホームという曖昧で僅かに感じているものにこだわってこの曲を書いたのか。
感情の起伏が小さいものにこそ目を向けてみてほしい、いや目すら向けなくていい、背中でふわっと気配を感じる程度でも。
それらのホームにどれほど彩られていたか 気づくまで生きてみるってのも素敵では!
 
<ルサンチマン・北>



◆紹介曲「ホーム
作詞:北
作曲:北
 
◆5th Maxi Single「Our Tour, Your Home」
2024年6月5日発売