ここにいた才能

 2024年6月5日に“ルサンチマン”が5th Maxi Single「Our Tour, Your Home」をリリースしました。今作は、メンバー自身の駆け巡る日々を綴り、焦燥の中での仕事・学校と生活するうえで毎日帰る家の温かさが身にしみる内容のポップな2曲「ホーム」「アワーツアー」、音だけで“静かな心の激しさ”を伝えるインスト曲「tennmichi」「uya」の2曲の全4曲入り。ポップとオルタナの融合を意識しライブと音源では違った表情を魅せるマキシシングルとなっております。
 
 さて、今日のうたではそんな“ルサンチマン”の北による歌詞エッセイを3週連続でお届け! 今回が最終回です。物語の終わりが見えたものに対して、急に興味がなくなってしまうという北。その理由とは。そして、自身が大切にしているものとは…。


丁度今日外食をしにいった際のことだ。前々から気になっていた 家から徒歩1分ほどのブラジル料理の店に行こうとしたが、今月で閉店するという張り紙を見て他の店に行くことにした。
 
昔から自分には 物語の終わりが見えたものに対して急激に興味が無くなる性分があるようで 小学校の頃習っていたサッカーや中学生の頃所属していた陸上部に対しても 自分のサッカー人生 陸上人生の見通す先に終わりしか見えなくなった瞬間 急にどうでもよくなり脱力した憶えがある。
 
バンドに関しても同じように、解散が発表されたバンドのラストライブを最後に目に焼き付けておきたいと感じたことは無いし、メンバー脱退前に最後にあの人の このバンドでのプレイングを肌で感じておきたいと思ったこともない。
 
ただ、心底残念だなと思ったことは何度かあったと思う。
先月就活が終わった友達が今もギターを弾いていたら 僕はどんなギターフレーズが聴けていただろうか。死んだ彼や彼女が今も歌詞を紡いでいたらこの先何億人の共感を得て誰の心を震わせていたんだろうとか。未だにふと頭を掻きむしりたくなることがあるほど、悔しい。
 
何かを悟ったような人や 頭が良く見える人から その生涯に余地を残してぶち切りやがる。
その儚さを神格化して讃えるような風潮にもいい加減嫌気がさしている。本当に。
こんなことはずっと昔から思っていたことで、今更書き起こしてみても主観だととても安易に見えてしまうのだが 読んでいて何か思い当たることがある人は当たり前のことを思い出してほしい。
 
散りゆく美しさ、死して完成する生き方、なんて、クソ喰らえだ。
終わらせたことすらも過剰に正当化されてしまっているそれらの才能を振り切って 見えない完成に近づき続けたい。道中 間違いなく等身大でここにいた それの面影がルサンチマンに重なることがあると思う。僕がとても大切にしているから。
 
<ルサンチマン・北>


◆5th Maxi Single「Our Tour, Your Home」
2024年6月5日発売