欠片のルージュ

2024年12月18日に“bokula.”が新曲「欠片のルージュ」を配信リリースしました。楽曲テーマは「失われた恋愛」と「心に残る未練」。歌い出しが印象的なストレートなミドルロックチューンに仕上がっております。MV監督には、「バイマイフレンド」や「夏の迷惑」など、バンドの人気曲のMVを手掛けたひらさかが担当。別れを迎えた男女のその後を描いた等身大の切なさが表現された映像に。

 さて、今日のうたではそんな“bokula.”のえい(Gt./Vo.)による歌詞エッセイをお届け! 綴っていただいたのは、新曲「欠片のルージュ」にまつわるお話です。大人になる、とはどういうことなのか。そして他者を、自分自身を受け入れるため、大切なことは…。ぜひ歌詞と併せて、エッセイをお楽しみください。



大人になれば、少しは他人と生きていくという社会性は培われてくるものだ。
「私は大人になった。」と責任を飾りつけるよりも、「なってみた」という楽観的な考え方のほうが、圧迫されず他人を考えてやれる心の空白が出来る。
 
人は出逢えば、人を受け入れたり受け入れさせたりする。
きっとそれを僕達は愛や恋とかいう名前で分かりやすくカテゴライズする。
 
1人である事が唯一の居場所だった僕にとっては、
咀嚼するのにかなり時間がかかってしまった。
もう少し大人になれば色々と許せるのだろう。
もう少し大人になれば自分を知れるのだろう。
 
そんな甘えた考え方が許されると思っていた僕じゃ誰にも愛されないと知って“大人”を知った。
 
人はいつからか誰かの事を好きになって
どこを好きになったのか答えを求め出す。
そのうち好きを疑いだし、自分を信じてあげられなくなった時、
誰かを嫌いになる理由を探し出す。
 
それは些細で、自分の価値観という食卓の中へ他人に土足で踏み込まれた時、
盛り付けた優しさをうっかり溢してしまう様な感覚だ。
 
味の知らない優しさに触れた
拾いあげる術を知らなかった
そんな時、自分は大人気無いと感じてしまう。
 
20代なんてどこからが大人なのか曖昧な線引きだらけだ。
だけど、僕の中の一つの答えとして
“他人と自分の愛情を照らし合わせない事”なのでは無いかと考える。
 
失ってしまうも他人の愛情の在り方だ。
得られたのも誰かが心を許したからだ。
 
だが、何より、愛されるよりも
自分以外まで愛せている自分の感性を素直に受け入れてあげてほしい。
 
いつかは誰しも“失う”という結末を迎えるが、要は“失い方”だ。
受け入れるというのは、誰にも教わらない、生きてく上で一番困難な独学だと考える。
しかし見方によっては案外平凡で、自分の満ち足りた愛情が干渉された時、
その砕けた欠片を如何に隔たりなく手放す事が出来るかどうかだ。
 
愛情は満たされているより、
少し欠けているほうが愛そうとした片鱗になる。
傲慢な僕らだ、他人を疑うくせに信じていたいのだ。
 
<bokula. Gt/Voえい>



◆紹介曲「欠片のルージュ
作詞:えい
作曲:えい