遺骨代わりの歌詞が残ったので、それを撒いていこうと思いました。

 2023年12月6日に“澤田 空海理”がメジャーデビュー配信シングル「遺書」をリリースしました。同曲は、美しい記憶も背負った傷も呑み込んだ、生々しい言葉が「届けたい」という意思を持って溢れ出る、6分を超える長尺バラード。MVは温度のある感情が溢れ出し、作品に寄り添うシーンを散りばめながらも、リスナーの記憶とリンクする映像となっております。
 
 今日のうたコラムではそんな“澤田 空海理”による歌詞エッセイをお届け! 綴っていただいたのは、新曲「遺書」にまつわるお話です。変わることが怖い。だからこそ生まれたこの歌…。また、今回は音声版もございます。澤田 空海理本人による朗読でもエッセイをお楽しみください。


澤田空海理の朗読を聞く

声色も表情もあまり変わらないけど、ご機嫌なのは伝わってきました。
引っかかる桜を払う神経質そうな手が、あまりに軽やかに映りました。
車一台通らない閑静な道路で、律儀に青を待つことに意味がありました。
遺骨代わりの歌詞が残ったので、それを撒いていこうと思いました。
 
変わることは私にとって何よりの畏怖の対象です。過去の拙作の中でも度々、思い出したようにそれを口にします。変わっていくのも悪くないさ、という言葉は、その変化を自身のコントール下に置けていることが大前提の保身めいたものなのかもしれません。心がある。感情がある。だからこそ変化は避けられないし、同時にそれを怖がってしまう。それが良化なのか、悪化なのかを語るには人生はあまりに現在進行形で進んでいきます。
 
楽曲制作に限らず、もっと言えば創作ですらなくても、半永久的に残る場所に自身の思惑を残すことは容易になりました。故に、その発言の一貫性に、より一層の責任を求められるようにもなりました。
 
「遺書」という曲はその責任に対する私なりの答えです。変わることが怖い、はもしかしたら言葉足らずかもしれません。かつての私は、「自身が変わったことに気付けないまま、ただ、周りの人たちがそれを敏感に感じとって離れていくこと」が怖かったのです。
 
楽曲ひとつとっても、たかが数分、数行の中で己を表現し切ることはほとんど不可能に近く、その集積が僕たち私たち、彼ら彼女らの手鏡であるかのように扱われるのは光栄であり、時に不安でもあります。
 
私は自身の作品を好いてくださる方々に、頭と身体を目一杯使って応答することは出来ません。必ず嘘を吐くことになります。これは誠実さではなく、了見の狭さに他ならないと笑殺していだいて構いません。変われないのではなく、変わる気がないのです。矛盾するようですが、その偏屈さゆえに人が離れていくことなど物の数ではないのです。少なくとも、今の私に「離れられては困る人」はほとんどいません。
だからこんな曲が出来たのです。しかし、着実に今よりは光が漏れている方向へ歩けているような気もします。そして、それこそまさに気の所為かもしれません。嘘を吐きながら、変化を恐れながら、本音を吐きながら、変化を受け入れながら、愛しながら、愛されながら、探り探り進んでいこうと思います。現在進行形の人生ですから。
 
<澤田 空海理>



◆紹介曲「遺書
作詞:澤田 空海理
作曲:澤田 空海理



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