SUPER BEAVER
成りたい自分に成るためには
2025年12月3日に“SUPER BEAVER”が初のアコースティックアルバム『Acoustic Album 1』をリリースしました。本作には、河野圭を共同プロデューサーに迎え、“アコースティック”と銘打ちながらもその枠に留まらない自由な発想で再構築し、既発アレンジとはまた違う魅力を放つ楽曲の数々で紡がれた壮大な作品に仕上がっております。
さて、今日のうたではそんな“SUPER BEAVER”の柳沢亮太による歌詞エッセイをお届け。綴っていただいたのは、収録曲「 人として 」にまつわるお話です。「人として格好いい」の解像度を上げて、考えてみると、その「人」とは一体どんな在り方をするのか。成りたい自分に成るためには必要なものは…。ぜひ、歌詞とあわせてエッセイを受け取ってください。
本当に一個人として考える「人として格好いい」の解像度を上げていくと、その「人」は損な役回りが多いのだろうなと思う。
損を損とも思わないのではなくて、損だと分かった上で引き受けるような。そしてそれは、無償の愛や純粋無垢な善意とも異なり、大なり小なり思惑も欲求もある上での立ち回りで、故に褒められたら嬉しいはずなのに自ら明るみにすることはないような在り方。
どうせ知られることもないのであれば放っておけばいいのに、目に入った以上は無視できないこと。探しにいくほどの甲斐性はなくとも巡り合ってしまえば向き合いたくなる性のこと。
小さいことで言えば、自分が捨てたわけでもない無関係な道端のゴミがどうしても気になって、誰も見ていないのに拾うあの感じ。拾った分だけ良いことが起きるとも思っていないし、褒められるわけでもないし、無視して通り過ぎても怒られやしない。
じゃあなぜ? 単純にどうにも気持ち悪いのだ。気がついたくせに気づかなかったふりをする自分のダサさ、小ささ、情けなさを直視するのが耐えられないのだ。気づいてしまった以上は無かったことにはできない。無かったことにしようとする自分を許せない、ただそれだけなのだと思う。
つまり、損な役回りを回避して他の誰かへ擦りつけるような意地悪さとか、波風立たぬうちに不可抗力で誰かの受け持ちになるように願う情けなさとか、そんな自分が、成りたい自分の真逆だからどうにか抗おうとしているのだと思う。
今日なお持ち続ける願望であり、成れていないからこその気持ち。他人の得は自分の損ではない。関係もない。どれだけ嫉妬しても自分も環境も状況も変わらない。成りたい自分に成るためには、自分が自分のために自分と向き合い、自分で責任を負いながら自分で努力する。結局それしかないんだろうなって思う。大変だ。
<SUPER BEAVER・柳沢亮太>
◆紹介曲「 人として 」 作詞:柳沢亮太 作曲:柳沢亮太
◆『Acoustic Album 1』
2025年12月3日発売
<収録曲>
1.人として
2.ひたむき
3.正攻法
4.秘密
5.グラデーション
6.mob
7.美しい日
8.値千金
9.名前を呼ぶよ
10.予感
11.Q&A
12.切望
13.それでも世界が目を覚ますのなら
14.アイラヴユー