歌謡界50年史

「ジャケ歌」コンテンツでは、1960年以降の音楽界の歴史を年代別に、その時代を代表するアーティストの特集ページをもうけ、楽しんで頂けるよう構成しております。60年代から90年以降のJ-POPという言葉で呼ばれるようになった現代まで、メディアを通じて流行した音楽を、「歌謡界50年史」という大きな枠でくくり、レコードジャケットと共に紹介していきます。貴方もこの「ジャケ歌」というタイムマシーンで「あの日、あの時、あの歌」の旅をお楽しみ下さい。

  ロカビリー+ポップス。そして、演歌からGSへ
  フォークブームからニューミュージックへ
  アイドル全盛期からロックサウンドの台頭
  プロデューサー至上主義、そして、歌姫の誕生
  メディアミックスと音楽の多様化

 
 

1951年にNHK第一回「紅白歌合戦」(ラジオ)が始まり、美空ひばりや鶴田浩二など映画スターが活躍。53年NHKテレビが放送開始。55年、島倉千代子、三橋美智也がデビューし、石原裕次郎が人気者に、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が大ヒット。

1956年、SP盤から17cm45回転シングルレコードへ移行するこの時期、当時人気のウエスタンバンド小坂一也とワゴン・マスターズが「ハートブレーク・ホテル」を発売し、小坂一也が和製プレスリーとして、十代の女性を中心に絶大な人気を博した。その後、平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎が「ロカビリー三人男」と呼ばれ超人気者になり、ロカビリーブームが巻き起こった。彼らの出すレコードはほとんどが、米英のヒット曲の日本語カヴァーであった。

  そんな中、1959年に第一回レコード大賞が始まり、水原弘の「黒い花びら」が受賞した。レコード大賞は、その後の歌手たちの目標になり、民放のテレビ放送が開始されると共に、テレビから新しい音楽やスターが次々に誕生し、日本のポップスの歴史が幕開けした。