ちくり

 2023年10月18日に“Sano ibuki”が3rd Mini Album『革命を覚えた日』をリリース! 昨秋リリースしたMini Album『ZERO』以来、約1年ぶりとなる新作。3月「眠れない夜に」、6月「下戸苦情」、そして8月に発表した「少年讃歌」の新曲3曲をはじめ、MBSほかドラマシャワー『ワンルームエンジェル』エンディング主題歌として書き下ろした「久遠」を含む全6曲を収録したアルバムとなっております。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな“Sano ibuki”による歌詞エッセイを3週連続でお届け! 今回は第2弾です。みなさんは胸が“ちくり”と痛む、という経験をしたことはありますか? なぜ私たちは“ちくり”を感じるのか。“ちくり”とは一体どんなものなのか…。今作と併せて、エッセイをお楽しみください。



胸がちくりと痛む。という経験をしたことがある人はどれくらいいるのだろう。僕はしょっちゅうある。
 
がんばって育てた紫陽花が枯れてしまった日に。
地元の駅で、母校の制服を着た学生に自分を重ねた時に。
ライブの後のひとりぼっちの帰り道に。
ずっと隠していた嘘がバレた時に。
大切だった人が吸っていた、たばこの匂いを嗅いだ時に。
初恋の人とよく似た姿の人を見かけた時に。
 
これら、情動反応という現象らしいです。
 
全身に血液と酸素を送って、逃げるにせよ戦うにせよ、生き抜く行動を取るための手段で、特に脳と筋肉の血流が増すらしいです。感覚を研ぎ澄まし、生存するための行動を取る態勢に、全身が瞬時にセッティングされ、血液を流す装置の心臓の辺りが痛むみたいです。
 
…なんだか分かるのだけれども、分からないような、要領を得てないような、そんな気になる説明文ですよね。“ちくり”ってこんな生物として正しい反応なのかなって少し違和感も抱いてしまいます。
 
そもそもこの“ちくり”大きく3種類存在している気がしていて。一つが出会えてよかったと思うと同時に失いたくないと切に願ってしまった時。もう一つがもう手に入らない大切だったものを振り返った時。そして悪だとわかっていることをしてしまった時。大きくこの三つな気がします。
 
あ、失った瞬間はちくりではなく、ずきずきとし、見つけた瞬間はばくばくだとしたのでこれらは省いてます。
あくまで“ちくり”だとした時に、どれも僕にとっては生き抜くための事象ではなかったと思うのです。
 
じゃあ無くてもいいのかというと、そうでもないと言いたい。
 
生き抜くためなんてたいそうなもんではなく、感情の無駄な部分の煌めいているもので、それは汚くて、酷い部分だとしても人間らしいと言える瞬間でもあって。
僕らは要らないけど、そういう感情の機微に生かされていて、心が揺れて、傷ついて、満たされている。
そういうことに気付ける可能性として、“ちくり”と痛むことがあるんじゃないかと思うのです。
 
そういう愛すべき無駄の一つな気がするのです。
 
ちくりとする匂い、音、感触、景色、味。どれも大切な自分を形成している一つで、そして自分が出来ているかどうかは分からないけれど、無駄さえ愛せた時、無駄に惹かれる自分のことも愛せる気がするのです。
蓄積した思い出と共に“ちくり”が肯定してくれると思うと、その事象も愛したいのです。
 
長くなりましたね。まあ何が言いたいか纏めると、“ちくり”がちゃんとある人生でいたいのです。
 
<Sano ibuki>


 
◆3rd Mini Album『革命を覚えた日』
2023年10月18日発売

<収録曲>
01. 少年讃歌 
02. 罰点万歳 
03. 下戸苦情 
04. menthol 
05. 眠れない夜に 
06. 久遠
<bounus track>※CDのみ
07. エイトビート